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『協調性』が生んだ成功と硬直化――変革のカギは『ぶっ壊し野郎』か?
人口密度が高い割に日本が経済発展することが出来たのには様々な理由があるだろう。そのひとつに、組織や社会のあり方があると思っている。
日本では、個性よりも協調性が重視され、個人よりも組織が優先される(と思っている)傾向があると感じる。協調性を持って組織のために尽くすことが良しとされている。最近ではその傾向が和らいだとは言え、組織の規律や雰囲気を乱さないように振る舞うことが暗に求められている。
そうしたことが良いとか悪いとか言うつもりはない。だから日本はだめなんだという文脈にもしたくない。しかしながら、ことあるごとに協調性が大切だと言われてきたし、上司の命令には有無を言わさず従えと思っている上司が少なからずいた。
確かに多くの人間がひとつの目標に向かって働き、それを達成するためには協調することが無くてはならないのだが、組織ありきの考え方が優先されると同調圧力が生まれる。同調圧力とは、多くの人と違ったことを言うと変な目で見られ、たいていの場合干されることになるということを意味する。
ある意味で強制力によってまるで軍隊の様に突き進んだからこそ、戦後の経済成長があったと言えるかも知れないが、そうでないやり方でも良かったはずなのである。そもそも、経済成長を追い求めることだけが善という価値観が広く浸透したこと自体が、貧しかった日本の社会にとって真に求められていたということであもあるだろう。
軍隊の様な組織作りや組織運営が戦後を通じ今の今まで残っているのは、それだけ国を挙げて戦わなければならない状況だったとも言えるのだろう。もっとも、そうした組織論の起源は軍隊というよりも日本の官僚制度にあったものだ。例えば、上司の言うことに無条件に従うこともそうだし、人事異動での転勤や単身赴任ということも明治時代に作られた官僚制に起源がある(官僚の異動は昇進するためや見識を広めるために行われたとされる)。
問題は、そうした制度が企業に都合の良い形であまねく広まって、現在になってもそれを暗黙のうちに正しいものと思い込んで受け入れている点にある。というか、他の正解を知らないと言った方が適切かも知れない。
日本に限らず官僚的な組織制度では、失敗しないことに重きを置かれがちだ。ミスをすれば叩かれ、足を引っ張られ昇進や出世は望めない。リスクを取らず、組織が硬直化し、組織を維持することが目的化していく。大小に関わらず現在の多くの企業がそうした官僚組織のコピーになってはいないだろうか。
官僚的な組織では、結果として眼の前で起きている事実よりも、規則やマニュアル、階層と権限、文書による統制、そして形式主義が重視されるようになる。リスクを避けて現状維持に専心し、問題を見ずに悪いことは先延ばしにするようになる。日本の会社や政治、行政、ひいては日本社会がやっていることと重なるように思える。
こうした傾向は、現在の日本を表しているとしても、日本だけに当てはまることではないと考えた方が良いだろう。なぜなら、明文化し、論理やエビデンスを重視して、物事の因果関係を整然と分かりやすくさせようとするのは、人間の特性だからだ。人間がそうした特性を持っていたからこそ、科学や工業が発展し、都市化が進んだと言っても良い。しかし、それに伴って引き起こされたのが、エネルギーの大量消費と自然破壊だ。自然を軽視し、人工が良しとし、人工物で身の回りを固めた空間が心地よいと思っていないだろうか。予測がつくことだけで世界が作られていると思っていないだろうか。
人間の社会は経済のグローバル化とともに自由度が高まるどころ、むしろ硬直化しつつあるように見える。硬直化した考え方に固執し、権力を守ることに執心し、分断が大きくなる方向に進んでいるように感じる。
協調性を重視することがもはや成功体験とは関係が無くなりつつある日本が変わって行くとしたら、考え方を根底から揺るがすようなぶっ壊し野郎が登場しなければならない。かつて自民党をぶっ壊すと言った人が支持を得て、NHKをぶっ壊すと言った人も一部の人気を集めた。現状をぶっ壊すことを期待している人が実は多いということなのかも知れない。
おわり
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