小学校の国語科の授業 古文編⑤ 『枕草子』の「むすび」(清少納言の主張を考える)
『枕草子』でよく見られる指導は、四季それぞれについて児童自身に「まとめ」の根拠となる「なか」を考えさせるというものです。私のゼミの学生が教育実習で行った授業では以下のような考えがあったということです。
夏の例:夜空いっぱいに咲き誇る花火
このような指導を通して「昔の人のものの見方や感じ方」について「現代にも通じること」「今ではよく理解できないこと」(冬の「なか」②等)「現代ならではのもの」(前述の夏の花火等)を把握することができるでしょう。
ここにおいて古文に「親しむ」ことができたと言ってもよいでしょう(「まとめ」を自分なりに変えてもよいでしょう。例えば春において「なか」を「あたたかい風」「ほのかに香る花の甘いにおい」とすれば「まとめ」は「春は日中がよい」となるでしょう。こうすることによっても「親しむ」ことができるでしょう)。
ここからさらに論理的な表現としての随筆の特徴を生かし、論理について思考を深めさせていく必要があります。そして、そのことによってさらに「親しむ」ことができることになるのです。
四季ごとに4つの「まとめ」があるのですから、それらを帰納的にまとめれば1年間としての「まとめ」を導き出すことができることになります(大「まとめ」と言ってもよいでしょう)。まずはそこを考えさせていきます。すると以下のように考えられるでしょう。
1年通して季節それぞれよい時間帯がある
(どの時間帯も季節によってよさがある)
さらに「むすび」が省略されていることも考えさせる必要があります。清少納言は、あえて「むすび」を省略して表現しなかったと考えていくのです(つまり、昔の人のあえて自己主張をしない、自分の思いを相手に委ねるという言語文化とも言えるでしょう)。
この1年としての「まとめ」から導き出される「むすび」を考えさせていくとよいでしょう。すると以下のような考えを発表するのではないでしょうか。
・四季それぞれのでよさのある日本に生まれてよかったな
・四季それぞれに違ったよさがあって1年はとてもおもしろい
そして、これらの「むすび」に現れた「昔の人のものの見方や感じ方」と現代の自分たちの「見方や考え方」を比べて考えさせていきます。すると、昔も今も四季の中で工夫しながら楽しみを見つけて暮らしていることに改めて気づくことができるでしょう。
ここまできて『枕草子』に本当に「親しむ」ことができたと言えるのではないでしょうか。
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