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Nathaniel Mary Quinnの脆弱性と共感について

The transformation of tragedy into art

上記は、ジャズシンガーのホセ・ジェイムズの言葉だ。『悲劇を芸術に変えていく』と翻訳されている(アルバム「Yesterday I Had The Blues: The Music of Billie Holiday」でホセが書いたテキスト)。これは、往年のジャズ・シンガー、ビリー・ホリデイのことを表した言葉だ。彼女は幼少期の様々な暴力や虐待に始まり死ぬまで深い痛みを抱えていた。その彼女が曲を作り(or 選び)歌で表現した様を表した言葉だ。

980 マディソン・アヴェニューでのナサニエル・メアリー・クインの展覧会を紹介するGagosian Premieresのビデオを見た時に真っ先に思ったのは、ホセの言葉『悲劇を芸術に変えていく』だった。

ビリーについては歴史として知り、後付けで、彼女が『悲劇を芸術に変えていった』ことを知った。ビデオの中でクインが画家になるまでを語っている。タフすぎる内容だ。そのような状況が起きた当人自身は悲劇と思わないだろう。だけどそれは心の中に残っていて、クイン曰く『indelible mark(消えることのない痕跡)』を心につけた。それが作品になった。この営みは『悲劇を芸術に変えていく』に他ならないのではないか。どうしたら悲劇を芸術に変えていけるのだろう。

クインは画家であり、ツールとしてパステル、チャコール、オイルなどを使うが、その一方で脆弱性と共感もツールだと言う。彼の言う脆弱性に私は共感した。

とにかくガゴシアン・プレミアのビデオを見て欲しい(以下)。余談だがサムネイルがクインになってないのが謎。上の写真がクイン、下のサムネイルはゲストのラファエル・サディーク。

そして、私が経験した脆弱性と共感について覚書しておきたい。

Nathaniel Mary Quinn

ビデオで語られていることを書くだけなのだけど・・・クインはシカゴのロバート・テイラー・ホームズ(貧困層のための公営住宅プロジェクト)で生まれ育った。4人の兄がいて、一人はアルコール依存症で素面でいるのを見たことがないと言う。朝はいつもガンショットの音で目が覚めた。だから、のちに寮制の学校(インディアナ州のカルバーアカデミー)に入って朝に鳥がさえずっているのを聞いて驚いたと言う。入って最初の学期に母が死ぬ。そして、感謝祭の休みにシカゴに帰ってみたら、家には誰も居らず、家具もなかった。自分が見捨てられた瞬間だった。彼は15歳だった。

この時の語りが、まるで今見た映画のシーンを人に語っているようだった。そして帰る家がないことは、寮制の学校に入ったクインにとって逃げ場がないことを意味していた。

クインのミドルネーム、Maryは、元々は彼の母親の名前だ。彼が自分でミドルネームとして付けたものだ。ハイスクールを卒業する頃だった。だから、自分の学位には全て母親の名前がある。そして今、ガゴシアンの980 マディソン・アヴェニューのギャラリーの壁にも母親の名前が書かれている。今でこそ母親の名前は(クインの名前の一部として)知られているが、当時は誰も母親を気にしなかった。

そして、クインが子どもの頃に自分の父親が読み書きできないということに気づいた。その前は父親はパワフルで不死身だと思っていたのに、彼がいかに脆くて傷つきやすいかを思い知り、その瞬間が心に残っているという。そして、椅子に座っている父親の姿のリフレクション、「At That Very Moment」という作品が生まれた。

Vulnerability

私の場合、小学校高学年から中学生の頃は両親の諍いが絶えなかった。お互いに折れることはなく、父が怒って出て行き、そのまま飲みに行ってしまったり、母が怒って出て行きすぐ帰ってきたりしていた。自室のない私は見えない壁を作って本を読んだり音楽を聴くのが常だった。母が怒って出て行ったある日のこと、いつもと微妙に様子が違っているのに気付いた私は、すぐに追いかけて母を連れ戻した。前掛けをつけたままで、サンダルを履いて、がま口一つを手にしている母。帰らないと言うが、母に他に帰る家がないことを私は知っていた。その時ほど母が脆く見えたことはない。その瞬間が心に残っている。クインに共感するのはここだ。

クインは『その瞬間』にどう思ったかを語っていない(少なくともこのビデオでは)。私は、こんな風にはなりたくないと思った。母を見ないようにした。その瞬間を拒絶することで生きようとしてきた。だが、その瞬間はまだ心に残っている。

一方クインはどうだったのか。アウトプットした。蓋をしていない。その瞬間をworking through(取り組み続ける? 克服する? 考え通す?)して何かを得ようとした。その瞬間を無かったことにはできない、であればworking throughするしかないのだろう、悲劇を芸術に変えるには。

クインは、鑑賞者に対して、作品を見て、そして鑑賞者自身を見て、作品を通して自分の人間性の複雑さを知ってもらいたい、それが自分の仕事だ、と語る。

Invisible Man, Blind Man

ところで、このビデオをなぜ知ったかと言えば、ミュージシャンで長年ファンであるラファエル・サディークのInstagramの投稿でだった(予告編が紹介されていた)。

そしてビデオに興味を持ったのは、ギャラリーの中で作品に囲まれてパフォーマンスするラファエル見たさに、だった。まさかペインターに興味を持つとは思わなかった。

さて、ビデオでは、クインの作品の背景について解説している。曰く、作品はコンテンポラリー・ペインティングだが、歴史を語り、アメリカの歴史を語っていて、西洋での500年にわたる黒人に対する客観化と暴力の文脈で考えることができる、とのこと。ラルフ・エリソンの小説「Invisible Man(見えない人間)」も引き合いに出していて、つまり、自分が黒人であるがゆえに街中では『見えない』ことに気づくというくだり。生前の母親について誰も気にしていなかった、と言ったクインの発言に通じる。

ラファエルは2002年のアルバム「Instant Vintage」から「Blind Man」を披露する。元々はブルースとソウルバラードで構成された曲。曲調が陰から陽に変わるその展開もいいのだけど、歌詞が寓話というか変な夢のような内容(というのも今調べたのですが笑)。心にトラブルを抱えた男、占い師のようなブラインドマン、ブラインドマンが教えてくれた娼館の女性、3人のナラティブが詩になっている。元々バンドで演奏しているものを、ピアノとラファエルの歌&ベース&バスドラのキックだけにしているため、相当アレンジしている。こんな風に演奏するのか!と驚いた。

歌詞の内容とは全く異なるが、blind manとは、invisible manから見た際の相手のことなのではないか、という気がした。つまり、白人にとって黒人はinvisible manだが、黒人にとって白人はblind manであり、その間にクインの作品を置いてみるとよいのかもしれない。クインの作品は白人でも黒人でも対象を見ることができ、そこに人間性の複雑さを知ることができる、そんな気がする。

クインとラファエルがギャラリーを周りながら話すシーンが好きだ。「"do you know what today is"の曲のイントロ(実際に口ずさむ)の音がこの線なんだ」とラファエルの古い曲(Tony Toni Toneの「Anniversary」)について語るところは、ある種の告白みたいで微笑ましい。音楽からも知ろうとしていたというクインに対して、ラファエルは、「だってシカゴはサム・クックとカーティス・メイフィールドの街だから」という。

私がラファエルを知ったのは、1993年だったかグラミー賞で功労賞か何かを受賞したカーティス・メイフィールドのトリビュートで出演した時だった(どうでもいい話だが、今のラファエルの髪型がこの頃と同じなんですよ!)。カーティス・メイフィールドのことはもちろん好きだったけれども、後付けで70年代のアルバムを聞いてきた私にとっては、教科書的に好きと言っているに過ぎないのかもしれない。彼らの対話からカーティス・メイフィールドを同時代的に捉えることができて嬉しい。


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