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キャラは作っちゃいけないのか
別に良い。というか、キャラは全て作られたものである。
例えば、
「私実は65歳だピョン」と、語尾に"ピョン"をつける人がいたとしよう。この人は「キャラを作っている」と言えそうだ。
だが、「私実は65歳です」と、語尾に"ピョン"を付けない人も「キャラを作っている」と言える。"ピョン"をつけないキャラだ。
ピョンを付けない人が圧倒的に多いので、キャラを作っている感じが全くしないが、どちらもキャラを作っているのだ。
「いやいや、意識して作ったものを「キャラ作ってる」って言うんでしょ!」
なるほど確かに。では意識して作られたものを「キャラ作ってる」として、意識しないで作られたものを「キャラ作ってない」と定義しよう。
では意識して作られたものと意識しないで作られたものの境目は観測できるだろうか。
いやできない。
例えば小学生の時に、「何度か友達に優しくして暖かい気持ちになったから,
いつしか優しいキャラになった」という場合、意識して作ったかどうかは微妙なところだろう。
サラリーマンになって、周りの仕事を手伝いまくってたら自分の仕事が遅くなって良い評価が得られなかったため、いつしか手伝わない冷たいキャラになった場合、これは意識していたのだろうか。
なんか語尾にピョンピョン付けるとフォロワーが増えていったため、いつしかピョンピョン言うのが当たり前になってしまった場合、意識していたのだろうか。
いよいよ意識していたかどうかの線引きは曖昧である。
「え~、じゃあキャラを作ってるかどうかわからないってことは、キャラを作ったほうがいいかどうかわかんないじゃん」
いや、そもそもそんなに「意識していたかどうか」が重要な線引きなのかという話である。
「意識していたかどうか」は観測できない。しいては、「キャラを作ってるかどうか」も観測できないのだ。観測できないことに悩む必要はない。それはカント曰く「理性の暴走」だ。
まとめると、キャラは作り放題だ。どんどん作ろう。ピョンでもズラでも語尾につけ放題だ。
A:「今日は疲れたズラ」
B:「キャラ作んなし」
A:「なんだとぉ!?俺が意識してキャラ作ったかどうか証明してみろズラ!!」
B:「うっ、ごめんズラ」
今Bさんにズラがうつった。これも「意識しているかどうか」は観測できない。
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