ファクトであることは重要か〜ヒエダノアレー現象〜
はじめに
最近ファクトファクトって「真実かどうか」にフォーカスする番組をよく見る。
確かに、どこから発生したかどうかわからないようなデマや陰謀論など得体のしれない情報であふれかえっている現代において大事な姿勢なのかもしれない。
SNSがない時代にも、大地震の原因だと言われて"挑鮮人"が虐殺されてしまったり、魔女狩りと称して拷問されたり、とんでもないことが起きている。
そんな人類は自分たちのあやまちを正すかのごとく、ファクトであることにフォーカスするようになっている。
だが、昔も今も、ファクトにはなかなかありつけない。ほとんどが真実ではないと思っていいと思う。
なぜなら必ず真実と自分の間には何人もの人間の脳みそが挟まっていて、伝聞の最中に主観がまざってしまうからだ。
一人でも挟まったら事実とは厳密には言えないと思っていい。
そんな中何人も経由してくるのだから、もう事実には到底ありつけないと思っていい。(毛沢東も実際に自分で見たものしか真実じゃないと言っていたっけ)
この「真実にはありつけない」現象にはちゃんと名前がついていて、「ヒエダノアレー現象」という。
ヒエダノアレー現象とは
天武天皇に遣えた公務員、「稗田阿礼(ひえだのあれ)」をご存じだろうか。この稗田阿礼は天武天皇に仕え、古事記編纂に従事した人物である。
上司である天武天皇が
「「日本の歴史」って本作りたくね、権威付くっしょ」
って言って、古事記の編纂を始めた。
その際、日本の歴史を色んな所から集めたが、漢文の広まり始めた日本において、古い言葉を知ってる人は少なかったため、集めたはいいが天武天皇くらいしか読み解けなかった。
なので、天武天皇が各地から集めた古い言葉を稗田阿礼に口頭で伝える形で編纂が始まった。
ところが、天武天皇は伝えきると同時に死んじゃったため、稗田阿礼の頭の中に全部の資料が入っている状態で、いったんプロジェクトが終了になってしまった。
そこから30年くらいたち、元明天皇って上司に変わったときに、「あの「日本の歴史」作るプロジェクトどうなった?」ってなり、ざわついた。
「やべ~もうやんなくていいのかと思ってた~💦」
「まじかよ、あれやんのかよ」
「とりあえず稗田阿礼先輩呼んで来ようぜ」
って部下たちは大慌て。稗田阿礼先輩を呼んできて
「すんません覚えてる限りで大丈夫なんで、当時の資料どんなことが書いてあったか教えてくれませんか?」
と聞いたところ
「一字一句覚えてるよ」といって、ドヤ顔で天武天皇が読み上げた内容を全て口頭で読み上げた。
そのときの編集長をやってた安万侶は「まじかよすげえな💦」といって、
それを全て漢文に起こしてなんとか「日本の歴史」(古事記)を編集したのだ。
さて、稗田阿礼はとんでもない天才だったって話だが、言いたいのはそこではなく、今僕達が知っている「日本の歴史」がいったん全部稗田阿礼先輩の頭を通過しているという点だ。
ファクトもへったくれもない。なんなら稗田阿礼が
「まずいな〜、覚えてない部分あるよ〜💦まぁそもそもアホみたいな作り話ばっかだし、少しくらい脚色しても分かりようがないな。適当ぶっこいとくか」
とかなんとか、ならない保証はない。
さて、こんな当時の国家の権威付けに利用され、皆が信じた古事記ですら、「一旦稗田阿礼の脳みそにしかない状態」になっているのだ。
往々にして、ファクトとして扱われているものも、フェイクとして扱われているものも、誰かの頭の中通ってきてるから真実ではないよ、というメッセージがこの「ヒエダノアレー現象」という言葉にこめられているのだ。
まとめ
ファクトとはいったいなんだろうか。もう僕はファクトにありつくことは諦めている。フェイクの世界で、幸せに生きることにしようと思う。
後書き
「ヒエダノアレー現象」はのろさとしが考えた造語です。
参考
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