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伝統は守るべきか

伝統は守らなくて良い。なぜなら、しんどいからだ。

基本的に伝統に「実質的な価値」はない。

例えば、「雨ごい」という伝統行事は、すでに、「雨ごいしても雨は降らない」ということが分かっているのでやっても意味がない。

「職人が一個一個手作りで作っている伝統工芸品」は、もうすでに自動で量産できるので意味がない。

と言った具合だ。ただ、伝統に「実質的な」価値はなくても、価値はある。

例えば、「雨ごい祭りって、雨なんか降らないけどこの雰囲気超好きだからまたこの町に来て一泊1万円の宿に泊まって屋台で金使いまくろ~」

とか、

「一個一個職人が作った工芸品かぁ、なんか一点物って感じで玄関にでも飾ろうかな、げ、一個2万円!?こんな器今日び百均でも売ってるけど、、、うーん、出せる!」といった具合だ。

そして、難点なのは、伝統というのは、一度消えるともう元には戻せないことだ。雨ごい祭りが途絶えてしまったら、再度初めても、しょせん「今年から始まった雨ごい祭り」だ。「1000年前から続く雨ごい祭り」ではなくなる。

伝統工芸品も、たった一人いる作れる職人が死んでしまったら、もう誰も作り出すことができないため、2万円出しても買いたい人がいるのに百均で買うしかなくなる。

「伝統は守るべきではないとか言ってたけど、さっきから聞いていると伝統守るべきって聞こえるんだけど」

確かに守るべきなのかもしれないが、守るのがしんどいのだ。理由は、以下の記事に書いてある。

基本的に、伝統を守るというのは「防衛戦」に当たる。ということはつまり、反対語は、「革新」つまり「挑戦」にあたる。

精神衛生上、防衛はきつい。資本主義は僕達に挑戦を強制している。それに抗うからだ。レジスタンスという立場はいつだって苦しくて大変だ。

資本主義というイデオロギーは別にビジネスシーンに限らず僕達を強制するほど猛威を振るっている。

つまり、僕達は「伝統なんかかなぐり捨てて、どんどん効率の良い新発明をして世の中を便利にしていきましょう」という世の中で生きているのだ。「伝統を守る」というのはこの資本主義の本質にあらがう行為のため、しんどいのだ。

雨ごいも、なんとか税金を使って観光という名目で残したり、百円ショップで買えるものを2万円で売ってなんとか玄関に飾ってもらうなど、無理しないと伝統というのは残せないのである。

なので、いさぎよく諦めよう。

大丈夫、潔く諦めても、「絶対に伝統として残したい!!」という「既得権益者」は必ずいるので、伝統を残すことを頑張ってくれるはずだ。

さて、僕達は伝統を残すことは諦めて、革新を起こしていくわけだが、その「革新」もいずれは新しい「革新」にとって代わるため、無くなるか伝統として残すかの選択に迫られる。

その時、あなたは既得権益者なわけだが、「絶対に伝統として残したい!!」と思って頑張るのだろうか。

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のろさとし | 実業家 | 製造業 | システムエンジニア
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