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なぜ人のせいにしてはいけないか
何か問題が起きたとき、「〇〇さんが時間通りに来ないから」だとか、「〇〇さんが遅刻したせいで」とかよく報告があがってくる。さらに感情を滲ませていたり、激昂している場合もあったりする。
原因を個人の性質に矮小化するのは問題分析の障壁になるためやめたほうが良いのは言わずもがなだが、怒っている本人の気持ちに着目したい。
怒っている当の本人は、とても不幸そうに見える。ストレスも凄そうだ。このストレスは、相手の性質を修正しない限り根本的には解決しない。そして、これはきっと解決しないのでまたストレスがたまる。なぜ解決しにくいかと言うと、人の性質を変えるのは至難の業だから、ということは想像に容易いと思う。
遅刻した人に、遅刻をするなと言ったところできっとまた遅刻するはずだ。なぜなら、産まれてから今まで1度も遅刻することを怒られたことがないとは考えにくいからだ。もうすでに怒られたことがあるのに遅刻している可能性が高い。
何回か言えば改善するのかもしれないが、何回言えば改善するかは個人差があり過ぎて観測不能である。
つまり、相手に修正を迫ることは、観測不能なことに対し徒手空拳で挑むギャンブルに身を投じることになる。
同じことが子育てにも言える。子供を注意したり叱ったりする母親はやはりストレスが凄いのだ。子供だから大人より性質が変わりやすいとは言え、いつ改善するかわからないギャンブルに身を投じていることになる。
ただ、母親は子供の性質を変える(この場合教育というのだろうか)ことが仕事でもあるので、甘んじてこのギャンブルに身を投じる必要がある。
話を戻すと、「〇〇さんが時間通りに来ないから」だとか、「〇〇さんが遅刻したせいで」と言っている人は、その後に〇〇さんの性質を改善しなきゃいけないと思っているので、〇〇さんの母親になろうとしているようなものだ。
母親でもないのに母親になるのは、わざわざ自分から貧乏くじを引きに行っているようなものだ。
〇〇さんの性質の改善は、〇〇さんの母親に任せるのが、ストレスフリーである。
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