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#14 入間市OLCビブリオバトルの課題図書『藤子・F・不二雄SF短編集〈PERFECT版〉4 ”未来ドロボウ”』

こんにちは。
以前の記事で書きましたが、入間市オリエンテーリングクラブ※の有志でビブリオバトルを行いました。せっかくなので開催レポートも書きたいところですが、まずは私の発表した作品について記事にしてみます。

※あくまで”オリエンテーリング”というスポーツに取り組むクラブなのですが、老若男女、趣味教養溢れるたくさんの人がいて、今回は読書好きのメンバーで集まってこういう企画を行うことになりました。


藤子・F・不二雄SF短編集〈PERFECT版〉4 ”未来ドロボウ”

選書理由

小説、人文学書など数多ある書籍ジャンルの中であえての漫画ですが、プレゼンバトルという背景を踏まえて、シンプルにここ数年で最も感動し、私自身の価値観やその後の行動にまで影響を及ぼした作品を選びました。

物語のあらすじ

物語の主人公は2人います。
一人は勤勉で貧乏な少年です。元々スポーツ万能で友人も多いのですが、立身出世の志向が強く、友人との約束も断って”人生の成功”を目指して脇目も振らず毎日を生き急ぐように、イライラと生きています。ある日少年の父はリストラにあい、"高校進学を諦めるように"両親から諭されて、自暴自棄になった少年は家を飛び出します。

もう一人の主人公は大脳生理学の世界的権威で資産家の老人です。ある日、医師から余命半年を宣告されます。大きな屋敷に住み、莫大な資産と地位と名声を持っていて、手に入らないものは何もありません。それでも脇目も振らず研究だけに没頭してきた人生に疑問を持ち、どこか満たされない心を嘆きます。

そんな2人がふとしたきっかけで出会い、老人の発明した"脳と身体を交換する装置"で身体を交換する代わりに、老人の資産を全て渡すという契約を結んでしまいます。

翌日から少年の身体になった老人は生きていること全てが楽しくて感動します。お母さんが作ってくれるご飯が美味しい、友人と野球をすれば大活躍、ガールフレンドと過ごす何気ない時間、どんなに豪勢な食事をしても満たされなかった老人は若いということの素晴らしさに、『しあわせすぎる』とホロリと涙をこぼします。

一方、老人の身体になった少年、リュウマチで満足に動かない身体を抱え、自分の相手をしてくれる人は執事しかいません。契約を後悔して"元に戻して欲しい"と何度も必死に訴えかけるも老人は聞き入れず、両親も、友人たちも、もちろん気付いてくれません。
そして、心と身体は結び付いているようで、あと半年は生きられたはずの身体は見る見る弱っていきます。

しかし、物語の終盤に大きな転機が訪れます。
少年の父の就職先が決まり、高校に進学できることになったのです。そして、少年が元々進学できないことに絶望していたのを知っていた老人は身体を少年に返すことに決めます。その理由はこうです。

『若いということは想像以上にすばらしい、すばらしすぎるんだ!!
世界中の富を持ってきても釣り合わないだろう。ようするにこの取り引きは不公平だった。』

老人の幸せを第一に考える執事はその判断を止めますが、老人はこう返します。
『だからこそ、なおさらこの未来を正当な持ち主にかえさねば』
そう言って老人は元の身体に戻り、少年のこれからの幸せを願いながら、静かに自分の人生を受け入れ、物語は終わります。

藤子・F・不二雄SF短編集〈PERFECT版〉4,P218〜220,小学館,2000,藤子・F・不二雄

心に響いたポイント

藤子・F・不二雄先生のシンプルな絵と構図で見せる短編集はたった10分で読めるのにまるで極上の映画やミュージカルを観たような読後感です。
私は老人が最後に発揮するフェアネスと"自分の人生を受け入れることの美しさ"に特に感動しました。老いや死は受け入れ難く、老人のようにこれまでの人生に後悔の念を抱いてしまうのは当然です。これは"死期を宣告された老人"という境遇に限らず、多くの人が直面しているであろう普遍的な課題です。
この話が刺さるのは何より私自身が元来"あの時ああしてたらどうだっただろう"とありもしない未来への後悔を重ねてしまう性格だからでしょう。
だからこそ、老人の最後の潔い決断は美しい。たとえそれが"死"であっても、自分の運命を引き受けようと覚悟を決めるのです。
そして、それを最後に決断させたのが"若いということは想像以上にすばらしすぎる"という老人自身の感動だった、というのもグッとくるポイントです。契約が不公平だったと気付いた時に相手に返せる度量も素晴らしいですが、老人は自分の心にとても素直に、正直に向き合っているのです。

『わずか数日のいれかえだったが、わしにはなん十年にもあたる充実した毎日だった』という時の老人の清々しい表情、老人のフェアネスは少年に対してももちろんですが、むしろ老人自身に対して向かっているように感じました。"人生最後に奇跡が起きて素晴らしい宝物に出会えた"、自分の感情に嘘をつかず、そのことを認めます。それを自覚できたからこそ、最後はどこか人間として誇り高く、崇高な生き方をしたいと望んだのではないかと私は思いました。
この物語が老人の死に対する受け入れ難い戸惑い・葛藤から始まったことを鑑みれば、これは1人の人間が死の間際に大きく成長する物語なのです。

藤子・F・不二雄の温かな眼差しと、人間に対する鋭い洞察とアイロニー

藤子・F・不二雄は代表作"ドラえもん"が有名過ぎて、一見少年少女向けの物語を描く作家だと思われがちですが、この物語に代表されるように彼の作品はあらゆる人間への人間愛に満ちています。それが最も多様な形で見えるのが『藤子・F・不二雄SF短編集』のシリーズを通した魅力です。

また彼の描く絵は誰もがが知っているシンプルでかわいらしい"ドラえもんの絵"です。しかし、これは一つの舞台装置のように私は感じています。その理由は、彼の描くSF作品は時にあまりにも生々しくグロテスクだからです。
たとえば『ミノタウロスの皿』、これは”ある青年が牛(ミノタウロス)が人間を食べる星に辿り着いた”という設定で、ラストシーンは"銘柄人肉として喜んで出荷される裸の女の子"が描かれます。文章にするとあまりにもグロテスクではないでしょうか。藤子・F・不二雄の絵だからギリギリ観られるくらいに、残虐に感じてしまう描写です。

また、この話の裏にあるのは明らかに"『殺生に対して無自覚に』家畜を殺して食べ続ける人間への警鐘"です。極端なアイディアを再現してみるという意味ではある種思考実験的とも言えます。現実はあらゆる制約でそう簡単に極端には振り切れませんし、小難しく説教くさい論述は読んでもらえません。(もうそろそろ私の文章、飽きてきたでしょ)
リアルの世界を切り取って発想の転換や批判的思考を働かせる上で、SF物語にしてしまうというのが有効であることを圧倒的な説得力で味わえるのが藤子・F・不二雄の作品たちです。
もちろん『ミノタウロスの皿』のような異世界の話は現実からはほど遠いのですが、現実のどの価値観を対比・強調・批判しているのかがとてもわかりやすいのが彼の作品の特徴かもしれません。藤子・F・不二雄作品のSFを名作たらしめるのはリアルの世界や価値観を鋭く切り取る審美眼だと私は思います。こうした特徴から、SFを読んでいるにも関わらず、誰もが自分の価値観と地続きの感動やカタルシスを得られると思います。短編集ですからどれも10分で読めますし、自分にあった作品がきっと見つかるでしょう。

SFの魔力

テスラのイーロン・マスクやアマゾンのジェフ・ベゾスがSF作品を愛読していることや、SF作品で描かれていた"便利な機械"のいくつかが、現代ではすでに開発されていることなど、科学技術発展の文脈でSFが語られるのはもはや言うまでもないかもしれません。
今回はまた別の観点でSFを役立てている事例を紹介して本記事を締め括りたいと思います。

"若いということのかけがえなさ、素晴らしさ"を語る上で、メジャーリーガー・ダルビッシュ有選手のインタビューを紹介したいと思います。
20歳の時に試合で大崩れしてしまい腐りかけた時に、"20年後の努力せずに落ちぶれた自分を想像し、今の人生は神様に20年前に転生させたもらった奇跡のような時間を生きている、だから腐らずに今できる限りの努力をする"という思考をすることで、腐りかけていた気持ちを入れ替え、アスリートとしての姿勢を見直したと語ったインタビューです。

ダルビッシュ選手と言えば、日本旧来の"走り込み"を重視した練習方法に疑問を呈するなど徹底的な理論派として有名です。ある種"リアリスト"なイメージの強かったダルビッシュ選手が"神様にお願いして転生"というSF的思考を活用してマインドセットを変えたことに驚きと、同時に尊敬の念を抱きました。

何年もその身体と心で生きてきたその価値観を疑うのはまるでそれまで積み上げてきた自分の人生を否定するようで、誰にとっても恐ろしいことです。ダルビッシュ選手のように幼少期から野球の才能に溢れた人物であれば、その葛藤は凡人には想像もつかないでしょう。プロ野球という超ハイレベルな怪物しかいない世界で、それまでの人生で味わったことのないレベルの挫折だったかもしれません。
そういう当たり前の価値観を疑い、自分の殻を破るために使ったのはまさしく藤子・F・不二雄の世界に出てくるSF的思考だったというのはとても印象的でした。そして、そういう発想が出てくること自体、"SF物語を楽しんだ経験"がベースになっているのは明らかです。

私は最近スポーツに取り組む上でも、その他人生に関するいろいろな判断をする上でも、"今生きている時間に後悔を残さないように積極的に行動すること"を大切にしていますが、"未来ドロボウ"はそういう気持ちを応援してくれる本当に素敵な作品でした。
私自身が老人に自分を重ねて、どうしたら後悔のない人生を生きて、どうしたら最期の時を老人のように受け入れられるのか、そういうことを考え直すきっかけにもなりました。これこそ最大のSFの魅力であり、"SFの魔力"と言っても過言ではないと思っています。

(ちなみに最近増やしているnoteへの記事投稿も"今生きている時間を大切にする取り組み"の一つです。"今思っていること"は"今の感性"でしか書けないですから。)

さて、そんな魔力をぜひみなさんにも味わっていただきたく、『藤子・F・不二雄SF短編集』をおすすめします。
私に刺さったポイントを書いたら随分説教臭くなってしまいましたが、藤子・F・不二雄は読者をそんなつまらない葛藤には導きません。『教訓や学びを得よう』なんて一切考えずに、たった10分で観られる映画やミュージカルのような藤子・F・不二雄ワールドをただただ楽しんで、最高の読書体験に浸っていただければと思います。(終)

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