再現模倣と自己表現で、見えないものを見えるようにする
「究極の思考」を読んだ。
東京藝大美術学部の卒業生へのインタビューを通して、以下のことが書かれている。
印象に残ったことが2つある。
ひとつは、表現の構成要素について。
わたしは、5歳頃からクラシックピアノを習い、大学ではジャズサークルでトランペットを吹いていたので、音楽に置き換えると理解しやすかった。
クラシックは、再現模倣(リプレゼンテーション)に重きが置かれている。間違えずに、楽譜通りの音を弾くことが必須。その上で曲を解釈し、自分の感情や思考を圧縮して、自己表現をする。
一方でジャズは、そもそも、カウンターカルチャーとして生まれたものであり、自己表現の比重が大きい。キーやコードを意識して、軸となるテーマをベースに自由に演奏する。
コードがCのときに、C#の音を出しても間違いではない。音がぶつかって濁った響きになるけれど、意志を持ってやっていれば、それもあり。ジャズは、ゆるくリプレゼンテーションしつつ、がっつり自己表現している音楽だと言えそうだ。
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この文章を読んで、Nizi ProjectのJ.Y. Parkの言葉を思い出した。
空間芸術である絵画や彫刻、時間芸術である音楽、ダンスや劇。
これらを見聞きして感動するのは、パフォーマンスする人の精神や心(に基づく表現)に、私たちの心が共鳴するからなのかなと思った。
技術が洗練されていることもすごいけれど。心に深く響く表現は、パフォーマーが自問自答を繰り返して、自分の精神や心を探求した先にあるのではないだろうか。
芸術とは、「再現模倣と自己表現を通して、見えないものを見えるようにすること」だと、言えるのかもしれない。
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