32歳社内ニートだった僕が「うんこミュージアム」をヒットさせるまで
「うんこミュージアム」を知っていますか。
「MAXうんこカワイイ」がコンセプトの、ちょっと変わったエンタメ施設です。
僕は2019年に、この「うんこミュージアム」をつくりました。
今年でオープンから5周年。お台場の常設ミュージアムのほか、今月オープンした札幌や、福岡、広島、名古屋、さらには上海やメルボルンなど、うんこミュージアムはいまも各地で開催しつづけています。
来場者数は、累計で150万人を突破しました。
いまでこそ、たくさんの人に愛していただけている「うんこミュージアム」ですが、企画を進めていた当時、周りからの反応はさんざんなものでした。
「うんこ……?」
「え、なにそれ、大丈夫なの?」
「うわーそっか、小林くん、そっちに行っちゃったかあ」
学生時代からの友人や、お世話になっている仕事仲間に「こういうのやろうと思ってて……」と相談すると、軒並みこのような反応がかえってきました。
「うんこで勝てる」なんて確信は、まったくなかったのですーー。
*
今回は、うんこミュージアムが生まれ、150万人に愛されるヒットコンテンツとなるまでの道のりをふりかえってみたいと思います。
企画やものづくりをしている人はもちろん、なにか新しいことにチャレンジする人にとって、すこしでも参考になればうれしいです!
32歳、社内ニート
うんこミュージアムができる、たった1年前。
僕はアカツキという会社で、社内ニートをやっていました。会社に来てはいるものの、仕事がない状態だったのです。
どうしてそんなことになっていたのか、というと……。
大学卒業後、僕は新卒で日本マクドナルド🍔に入社して、マーケティングを5年ぐらいやりました。学生のころから「いずれは起業したいな」と思っていたので、その後は経営を学ぶために、旅行系のスタートアップに転職しました。
ところが、その会社が1年ぐらいで倒産しそうになってしまったのです。
それで、先輩にご紹介いただいて、アカツキに拾ってもらいました。
アカツキに入るときは、ゼロイチで事業の立ち上げをやらせてもらおうと思っていました。でも、最初に配属されたのは、すでにリリース済みで伸び悩んでいる事業の部署。半年ぐらいそこにいたのですが、結局うまくいかずにクローズしてしまいました……。
やることがなくなった僕は「社内ニート」状態になっていたというわけです。
それから半年ぐらい、本当にやることがないので、ものにならない企画の提案をしたり、窓際で本を読んだりして過ごしました。
気がつけば32歳になっていました。
当然、焦りはありました。「このままいくと、しょうもないサラリーマンで終わりかねない感」をひしひし感じていたからです。
「何かやりたい」「自分で事業を成功させたい」という気持ちはありました。
でも、前の会社もつぶれかけちゃったし、アカツキに移ったら移ったで、これといった成果も出せていなければ、自分から積極的にアクションを起こせているわけでもない……。成功体験も自信もなく、踏み切れずにいたのです。
「いやー、どうしようかなあ……」と、ずっとモヤモヤしていました。
「アソビル」の1フロアをたまたま任される
そんなとき、チャンスが訪れました。
僕をアカツキに紹介してくれた、前職からの先輩がいます。その人がいっちょかみしている「盛り上がりそうなプロジェクトがあるらしいよ」という話を聞いたんです。
それが、アカツキの新規事業として立ち上がった「アソビル」のプロジェクトでした。(※現在のアソビルは、運営権が別会社に移って営業を続けています)
「モノではなく『体験』を売る商業施設」というのがアソビルのコンセプトでした。横浜駅のすぐ近くにそれをつくろう、と。プロジェクトは動きかけていてざっくりとした工事の大枠などは決まっている状態でした。
ビルには合計で6つのフロアがあって、先輩はそのうちの2フロアを見なきゃいけなくなっていたんです。でも「俺、2フロアも手に負えないから、小林くん1フロア見てくれない?」というので、僕が1フロアを任せていただくことになりました。
ぜんぜんカッコよくもなんともない、ほんとうに偶然のなりゆきでした。その人が手いっぱいで、たまたま僕が暇だった。
それでも僕にとっては、願ってもないチャンスだったのです。
「これは絶対に成功させるしかない!!」と思いました。
全くの素人がエンタメをつくることに
……とは思ったものの。
エンタメづくりのノウハウなんて、当時の僕にはまったくありません。
親の影響もあって、小さいころからエンタメは好きでした。マクドナルドで学んだC向けのマーケティングの知識もありました。でも、それだけでいきなりエンタメが作れるわけではありません。
そこでまず、いろんな人に相談しに行きました。
協力してくれるパートナーを探しに、いろいろな人や会社に会いに行ったんです。
「こういう場所でこういうことをやろうとしてるんだけど、一緒に何かつくりませんか」みたいなことを、企画会社からイベント会社や代理店まで、いろんなところに相談しまくりました。
でも、なかなかうまくいかなくて。
「エンタメ体験」なんて言ってもみんなピンときていないし、「上場したばかりのアカツキはお金を持ってる」と思って、とんでもない金額の提案をしてくる会社もあるし……。「まったく実現に近付いている気がしない。。」という感じでした。
手がかりが見えないまま、時間はどんどん過ぎていきました。
「うんこはどうだろう?」
相談した会社のひとつに「面白法人カヤック」さんがありました。いまは鎌倉を拠点に事業展開されているのですが、当時は横浜駅のアソビルのすぐ近くにもオフィスがあったんです。
カヤックさんと話すなかで「うんこの何かはどうだろう?」みたいな話が出てきました。
カヤックの社長の柳澤さんが、すごい「うんこ好き」だったんです。「これまでも色々うんこの企画に挑戦したけど、全然ハネなかったんだよね」と言っていて。
それで、いっぱいあるアイデアの中の一つの線として「膨らませてみようか」ということになりました。
なんやかんやで、「うんこ」に人生賭けることに
うんこミュージアムの話をすると、よく「うんこを思いついた時点でアイデア勝ちだよね」と言われたりもします。
しかし、そんなことはありません。
この時点で「うんこ、いけるぞ!」という確信は、まったくありませんでした。うんこをテーマにするだけで勝てるのであれば、世界は勝者で溢れかえっていることでしょう……。
漠然と「なんかおもしろそうだな」という感覚はあったのですが、あまりになにもかもわからなすぎて、確信なんて持てませんでした。
当初、僕のフロアの方向性は「遊びのシネコン」をコンセプトにしていて、頻繁にコンテンツを入れ替える予定でした。うんこミュージアム以外にも、いろんな企画の構想があったんです。
だから、最初に予定していたうんこミュージアムの広さは、全フロアの約400坪のうち、ちょっと小ネタ的に50坪ぐらいでした。
「まあ、うんこだし……」という感じだったんです。
でも、他の企画の話がなかなかまとまらずに、時間だけがどんどん過ぎていきました。それで、うんこミュージアムの広さがどんどん広がっていったんです。50坪から100坪、100坪から150坪と増えていって……。
気づいたらうんこミュージアムが、180坪のメインコンテンツになっていました。
「もう、うんこに賭けるしかねえ!!」「これでコケたら終わりだ!」みたいになっていたんです。
「人生かけて勝負するしかない」ってときに、「うんこ」しか切り札がなかったというのは、恥ずかしいやらなんやらという感じなのですが。でも、楽しい時間でした。
「家にうんことか届くんじゃないか……?」
うんこミュージアムを作っている最中も、成功する確信はまったくありませんでした。
リリースを出すときなんて、極端ですけど「こんなの出したら殺されるんじゃないか」ぐらいに思っていました。「家にうんことか届くんじゃないか……?」ってわりと本気で思ってました。本当にわからなすぎたのです。
自分では「おもしろい」と思っていても、世の中の人がどういうふうに反応してくれるかって、出してみるまでまったくわからない。とんでもなく不安なんですよね。
リリースを出すと、まずTwitterがざわつきはじめました。前売り券も徐々に売れはじめたんです。「なにかが起こりはじめてるぞ」という予感みたいなものはありました。
それでも、まだ「お客さんが楽しんでくれる世界」までは想像できませんでした。
なにもかもが初めて、プレッシャーで死にそう
そのときの僕は、とにかく準備に必死でした。
オープンまで残り3週間ほど。
未経験の要素があまりに多いチャレンジだったので、体験としての中身そのものもまだ完成していなかったし、グッズもよくわからないままつくって発注してはいたものの、ちゃんと届くのかすら不安な状態でした。
イベントのイロハが全くわからず、必要な契約が多すぎて、締結したはずのものが完了していなかったり……。
どういう人が来て、どういう感じで体験して、どういう感じでものを買っていくかも、まったくわかりませんでした。決済端末やレジもとりあえずあるんだけど、これでいいのかよくわからない。
人も、アルバイトを含めて100人ぐらい雇っていました。雇ったはいいけれど、研修を進めながらも考えているコンテンツを実際に形にできるのか、その100人が実現してくれているイメージは全く描けていませんでした。
プレッシャーと心労で、僕はもうやけくそみたいになっていました。
いま振り返るとこれが一番大反省かもしれませんが、お酒も飲みまくって生活も乱れていましたね。いまは心身ともに整ってきて健康なんですが、当時はもうわけのわからない状態でした。
ある種の現実逃避をしながらも、プレッシャーに向き合うことに必死でした。本当に、よく倒れなかったなと思います。
初日から1000人の大行列
そうして迎えたオープン初日。
うんこミュージアムには、1000人近くの大行列ができていました。
うれしかったのと同時に「来たか……」と、覚悟が決まった感覚でした。感動している暇はありませんでした。この行列にいるみなさん全員に、体験を届け切らないといけないからです。
今のうんこミュージアムはオペレーションや集客予測などが習熟しているので、キャパをちゃんと管理して、時間帯ごとのチケットを売ったりしています。でも当時は知見もなく、「よくわからないけどチケットを売ろう」というノリで、「期間中いつでも来ていいよ」という、オープンチケットでも売ってしまったんです。
そのせいで、初日からとんでもない行列になってしまって。
行列は施設の2階からぐるーっと、1階の飲食店を通り抜けて、川の向こうまで伸びてしまっていました。
そうこうしていたら、あちこちでトラブルが発生するわけです。行列の先頭で、お客さんと受付担当の新人がケンカしはじめたり。「人数が揃わないと入場できないです」とかで揉めていて、あわてて新人に「入れてあげてくれ」って言って引き離して……。
施設全体の管理もチームのみんなと担当していたので、あちこちで起こるトラブルにとにかく駆けつけて対応していました。
本当にカオスな状態でしたね。
他のフロアのみんなにも協力してもらって、なんとか行列をさばいていきました。(アソビルチームのみんな、当時来てくださったみなさま、申し訳ありませんでした……。そして、本当にありがとうございます!!)
シャワー浴びながら泣く
目が回り続けたままなんとか初日が終わって、家に帰って、風呂に入って、シャワーを浴びて。
そこでようやく涙が出てきました。
「ああ、よかったな」
「みんな、たのしんでくれてたな」と。
その後も「うんこミュージアム」の勢いは止まりませんでした。
8月にはお台場に、常設のうんこミュージアムがオープン。
たまたま、ダイバーシティのスペースに空きが出ることがわかったんです。そして、エンタメの旬は夏。「いま行くしかない!」「やるなら絶対、夏にオープンだ!」と思ってがんばりました。
なんと10月には、上海にも限定オープン。
そしてさらに、うんこミュージアムから1年後の3月には、アソビルで『バンクシー展 天才か反逆者か』を開催することになりました。
いま思い返すと、本当にめちゃくちゃなスケジュールでしたね。
うんこミュージアムの新規オープンをやりながら、バンクシー展の準備もやらなきゃいけない。毎日めまぐるしく動き回っていました。横浜に行って、お台場に行って、上海に行って。あとは年明けに、大阪にもうんこミュージアムをオープンする予定だったんですけど……。
コロナ襲来、すべてが消し飛ぶ
そのタイミングで、コロナがやってきました。
すべての予定が消し飛んで、僕は寝込みました。
比喩ではなく本当に寝込んでいました。ベッドから起き上がれなくなったんです。あまりにもずっと動き続けていたので、反動で糸が切れてしまったんだと思います。
うんこミュージアムもバンクシー展も休業になって、やることもなくなってしまいました。あのまま働き続けていたらたぶんもっと大変なことになっていたので、今になって思えば、強制的に休ませてもらってよかったのかもしれないですが……。
コロナ収束のめどはまったく立っていなかったし、ニュースやSNSを見ていると「もうリアルの時代は終わりだ」みたいな空気になっていました。
どうなっちゃうのかな、、と不安を抱えたまま、2ヶ月間ほど寝込んで過ごしました。
エンタメの火は消えない
緊急事態宣言が明けても、世の中のエンタメ施設はまだほとんどが休業していました。うんこミュージアムもほとんど休業状態で、ずっと赤字が続いていました。
ただ、幸運なことに、バンクシー展だけは違ったんです。
バンクシー展は美術展なので、声を出したり、接触をしなくても楽しめます。だからコロナ禍でも、人数制限やマスク着用をおこないながら、なんとかオープンすることができたんです。
横浜の再開後、大阪、名古屋、福岡、広島、東京(原宿)、札幌と、全国各地をまわりました。
どの開催都市でも、みなさん本当によろこんでくれました。特に、他のエンタメがほとんど実施されない状況だったので、余計に喜びと感謝の気持ちを伝えてもらうことも多かったです。
それぞれの地域で地元の方に話を聞くと、やっぱり飲食店も閉まっていたり「知り合いの店が廃業した」なんて話があったりしました。
そういう空気のなかで、気持ちを明るくしてくれるエンタメの需要は、社会がどんなに変わったとしても、決してなくならない。バンクシー展に来てくれた人たちの姿を見て、僕はそう確信しました。
「うんこミュージアムにも、きっと人は戻ってきてくれる」
そう信じることができたんです。
コロナ禍を経て、アカツキでも経営方針の転換がありました。うんこミュージアムは「撤退しよう」という話になっていたんです。ずっと赤字が続いていたので、それは無理もないことでした。
でも僕は「絶対に復活するはずだ」と信じていたので、事業を買い取らせていただき、会社から独立してうんこミュージアムを続けることに決めました。
来場者数150万人を突破
そして今年。
うんこミュージアムの来場者数は、累計150万人を突破しました。
お台場のうんこミュージアムには、家族連れから学生や若い女性のグループ、海外の方まで、幅広いお客さんが毎日あそびに来てくれています。リピーターの方も多いです。
今年1月には、オーストラリアのメルボルンにオープン。7月からは、札幌でもうんこミュージアムを開催しています。
こんなに愛し続けてもらえるなんて、はじめたばかりのころは想像できませんでした。「コロナから復活できる」と思った根拠も、あのとき見たお客さんの顔だけでした。
信じてここまで続けてきて、本当によかったなと思います。
なぜうんこミュージアムはヒットしたのか?
うんこミュージアムはなぜ生まれ、なぜヒットしたのか?
いま、改めてふりかえってみて思うのは、自分のなかでバラバラに存在していた経験が、うんこミュージアムを通して、どんどんつながっていったということです。
ひとつは、幼少期から父に連れられて、落語や、野球や、ボクシングなどのエンタメを摂取していたこと。桂三枝独演会やら、後楽園ホールのボクシングなどに、よく連れていってもらっていたんです。
当時は文脈も知らないし、わけがわからないんです。でも、なんか迫力がある。なんかおもしろい。
その感覚は自分のなかにありました。
だからうんこミュージアムを作るときも、漠然とした「おもしろい!」という感覚を信じることができたのだと思います。
もうひとつは、新卒で入ったマクドナルドで学んだ、マーケティングの感覚です。
マクドナルドは「顧客を1億人から減らさない」という姿勢でマーケティングをやっていました。「斬新なこと」や「エッジの効いたこと」は一見かっこいいんだけど、届くパイが小さくなってしまいます。だからマックでは基本やらないんです。
つねに「王道ど真ん中」をいく。余計なことはやらない。
それがいちばんパワーを生むし、多くの人に届くのだと学びました。
この感覚が、うんこミュージアムの体験をつくるときや、マーケティングをするときに、道しるべになってくれたんです。
まずは「0.1%」の人に届けばいい
うんこミュージアムをやってみて、初めて気づいたこともあります。
それは「すべての人に刺そうとしなくても、ヒット作はつくれる」ってことです。マクドナルドの話とは少し矛盾しているように聞こえるかもしれないですが、ほんとうにゼロから何かを生み出すときは、この感覚も必要なんです。
うんこミュージアムをはじめるとき、僕はめちゃくちゃ不安でした。世の中のみんなに、本当におもしろいと思ってもらえるのか、自信がなかったんです。「おもしろいと思ってるのは、自分たちだけなんじゃないか……?」と。
実際、身近な友人たちは誰一人、ピンときていなかったので。
でも、それは大きな勘違いだったと気づきました。
どんなエンタメにも、おもしろさがわからない人はいます。わからなそうな人のことは、無理やり説得しようとしなくていいんです。
たとえば本が100万冊売れたら、とんでもないベストセラーですよね。
でも100万人って、日本の人口の「1%」ぐらいなわけです。
それなのに、9000万人目ぐらいのことを心配してもしょうがない。そんなことはどうでもいいんです。届きそうな人から、順番に伝えていけばいい。おもしろさのパワーがあるものなら、響く人にはちゃんと響きます。
そうやって一部の人に火がつけば、最初は響かなかった人にも、そのうち響く。
そのことに、うんこミュージアムを通して気づくことができたんです。
周りの声は気にしすぎなくていい
さらに言えば、自分のつくったものが刺さる人は、必ずしも「自分に近い人」とは限りません。
実はうんこミュージアムがヒットした今でも、そこまで熱烈なファンは、身の回りにはいないんです。
でも、会場には毎日たくさんのお客さんが来てくれて、たのしんでくれています。
お客さんは意外と、自分の日常とは離れたところにいる。
これはやってみて初めて気づいたことで、自分でも不思議だなと思います。
でも、そういう形で、つくったモノを介してたくさんの人と繋がれるのは、なんだかとてもうれしい。この感覚を知っておくと、なにかにチャレンジするとき、周りの声を気にしすぎずに済むんじゃないかなって思います。
「うんこ」よ、永遠に!
うんこミュージアムは、これからもずっと続けていくつもりです。「僕が死んでも、うんこミュージアムは死にません」ってぐらい、長く続けていきたい。
それぐらいのパワーをもったエンタメだと感じています。
そして、うんこミュージアムの「次」となる新しいエンタメも、いま仕込んでいるところです。
32歳までうだつのあがらないサラリーマンだったのに、突然「うんこ」で起業して、エンタメで食べていくことになった。想像もしていなかった人生ですが、いまはすごく楽しいです。
自分が本気で「おもしろい!」と思えるものを作って、それを世の中に出して、目の前でよろこんでくれる人たちがいる。
こんなにうれしいことが仕事になるなんて、自分はものすごく幸せだしラッキーだなと思っています。
あのとき僕に事業を任せてくれた香田哲朗さんと、アソビル開業チームのみなさん。窓際社員の僕を雇っていてくれたアカツキのみなさん。うんこミュージアムを一緒に作ってくれた、面白法人カヤックさん。
たのしいミュージアムのみんな。
そして、これまで来場してくださったすべてのみなさん。
本当に、ありがとうございます。
これからも、うんこミュージアムをよろしくお願いします!
そして、これからつくる新しいエンタメも、どうぞお楽しみに💪!
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今更ながら、Xもはじめました。
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