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読書感想文、友だち幻想、菅野仁

余談

今でもよく本は読んでいるのですが、読書感想文となるとハードルが高くなり、なかなか更新頻度があがりません。読書感想文として書き出した方が本の内容や考えた事が記憶に残りそうなので、なるべく文字として感想を残しておきたいと思ってはいるのですが、、、。

最近、友人との会話の中でも、本の内容をちゃんと覚えてないなら、読書の意味ないじゃんと指摘をされました。
たしかに、本の内容をちゃんと記憶に定着させるに越したことは無いでしょう。特に、自己啓発本やビジネス書など、本を読んだ先に別の目的があるような読書であれば、尚のことでしょう。

その一方で、記憶に残らなかったとしても、筆者と対話し、豊かな時間を過ごせた事実は変わらないし、それ自体が目的でもあると思います。
それに、価値観とか、考え方とか、人格って、記憶に残っている部分だけで形成されているわけではないですよね。
むしろ自分の意識や記憶以外の部分で、薄く色を重ねていくように、形作られていくものではないでしょうか。
知識が身に付くと表現されるくらいですから、意識や記憶の外に気づかないうちに染み付いているくらいのほうが、むしろ理想なようにも思えます。

なので、本の内容をちゃんと覚えてなくたっていいじゃん!って思っちゃってます!
(その時は友人に自分の意見を言えなかったので、ここで昇華させます。笑)

現代での他者との関係

現代での他者との向き合い方について書かれた本です。
一昔前は、他者との繋がりが物理的な意味で生活を保つ上で必須でした。例えば、衣食住です。他者とのつながりに明確な根拠があったのです。
現代は、物理的な意味では一人でも生きていけます。誰ともコミュニケーションを取らずに衣食住を満たすことができるわけです。他者とのつながりに根拠がありません。
もちろん、野菜を作ってくれる農家さんや、それをスーパーまで運んでくれる運送業者さんがいないと、成立しないわけですが、その関係は間接的で目には見えにくいです。

そんな一人で生きていける現代ですが、他者と繋がりを欲する人間の性質は変わりません。
なので、現代に即した他者との繋がり方を模索していく必要があるのです。
15年以上前に書かれた本ですが、この傾向はより一層強くなっているように感じます。

中高生向けに書かれた本なので、学校での悩みについての記述が多いです。
僕はもう二十代中盤なので、クラスメイトとの関係に悩むようなことはもうありません。ただ、社会人一年目の今、他者との関わり方も学生時代とは大きく変わり、共感する部分も多くありました。

コミュニケーション阻害語

この本の終盤に、コミュニケーション阻害語という言葉が登場します。
コミュニケーション阻害語とは、異質な他者ときちんと向き合うことから自分を遠ざける、いわば<逃げのアイテム>としての機能をもつ言葉です。
そうした言葉を多用することによって、知らず知らずのうちに他者が帯びる異質性に最初から背を向けてしまうような身体性を作ってしまう危険性があると指摘されています。

「ムカツク」、「うざい」、「かわいい」、「やばい」、「KY」などが一例として挙げられています。15年以上の前なので、今とはトレンドが違いますよね。
KYは僕が小学生くらいのときに流行っていた記憶があります。懐かしいです。「かわいい」、「やばい」、は、僕も今でも頻繁に使ってしまいます。「えもい」もこういった類の言葉の代表例でしょうか。

言葉というのは、自分が関わっていく世界に対していわば網をかけて、その世界から自分たちなりの「意味」をすくいとることによって、自分たちの情緒や論理を築き上げていく知的ツールなのです。しかし、いま取り上げた「阻害語」群は、人間の情緒や論理を築き上げていくための網の目としては、あまりにも粗すぎるのです。」と筆者は述べています。

自分の身の回りで、コミュニケーション阻害語を考えてみました。
最初に思い浮かんだのは、「しごでき」です。
「しごでき」とは、仕事ができるの略です。就職後、同期との会話等でよく聞くようになりました。
用法としては、「あの上司はしごできだよね。」みたいな感じです。

でも、仕事ができる/できないって、そんなに一元的に評価できるものではないですよね。
職場やチームへの貢献の仕方ってもっと多様だと思います。状況によって発揮する力も変わるでしょう。

「しごでき」という言葉は、漠然とし過ぎていて、何を指しているのかよくわかりません。職場での人の活躍を形容するには粗すぎる言葉だと思います。
だからこそ、この言葉に苦しめられている人も多いように感じます。(私もその一人かもしれません。)
定義が定まっていない分、それになれない焦りや不安ばかりが大きくなってしまいます。

なので、僕も今後はあの人素敵だなと思ったときは、より具体的に表現していこうと思いました。
「あの先輩、若手が発言しやすいような雰囲気作りしてくれて、素敵だな」とか、「あの上司、指示が的確で作業しやすいな」とか。
こうやって表現していくと、「仕事ができる」は一意に定まっておらず、いろんな貢献の仕方があることが明らかです。
言葉が自分を作るので、自分や他者の個性も認め合っていけそうですよね。

世代の壁を越えたい

この本にも記載がありますが、社会に出れば、自分たちと同じ属性を帯びる集団以外の、さまざまな世代や違う価値観をもった人たちと関係を作っていかなくてはなりません。
異質なものをさまざまに取り込む力が必要であると筆者は述べています。
僕は同性の中年の方が少し苦手です。もちろん同じ世代内でも、個人個人で違いがあり、いろんな人がいるのは承知ですが、平均的には苦手意識があります。
特になにかされた訳ではないのですが、体が萎縮してしまいます。僕が勝手に萎縮して苦手意識を感じているのですから、向こうからしたらたまったものじゃないですね、、。
ですが、先輩や上司の話はたくさん聞きたいタイプなので、世代による価値観の違いといった異質性もうまく取り込んで、よい関係性を築けるようになりたいものですね。

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