面白い漫画に上手い絵は必要なのか?『とんかつDJアゲ太郎』から考える現代の漫画表現の自由
この記事は、以前「マンガ新聞」に掲載されていたレビューの転載記事です。(編集部)
過去、東京タワーにて「テクノうどん」というイベントが開催されました。
書いて字の如く、テクノミュージックを聴いて踊りながらうどんを打つという奇祭。狂気と神懸かりの境界線上にあるようなイベントです。その存在を知った時の私は、初めてクトゥルフ神話に触れた時のように世界の無限の多様性に感動すら覚えていました。
そして、その時と同質の感動を覚えたのが、『とんかつDJアゲ太郎』です。「何でとんかつとDJ?」と誰もが思うことでしょう。そして、そう思った時にはスデにこの作品の術中にハメられているのです。オリジナリティという点において、他の追随を許さない異色作。この数奇なマンガは、しかし驚くほどに堅実な作りでテーマをはつらつと語り、かつ、その存在自体が漫画界の一つのあるべき姿を剥き出しにします。
「とんかつDJ」とは一体…。うごごご!
「とんかつDJ」という、誰もが初めて聞くであろう謎の単語。そして、この絵柄。「ちょっとアレなギャグマンガかな?」という印象は、半分は間違っていません。
『とんかつDJアゲ太郎』(イーピャオ/小山ゆうじろう/集英社)より引用
No matter I be cookin' meat or droppin' beat!!
(豚をアゲるか客をアゲるかに大したちがいはねぇ!!)
All what matter is yo move to the groove!!!
(重要なのはオマエがグルーヴを感じるかだ!!!)
という、今作最大の名言とタイトルが示す通り、本当にとんかつを揚げつつDJとしてクラブをアゲるという内容の漫画です。
主人公は、実家である渋谷道玄坂のとんかつ屋「しぶかつ」で働く若者・勝又揚太郎。
仕事に意欲はなく漫然と日々を送っていたある日、とあるきっかけで初めてクラブへと足を踏み入れる。その新天地(ユートピア)でクラブカルチャーの魅力に取り憑かれた揚太郎は、とんかつを揚げてクラブもアゲられる「とんかつDJ」を目指す……。何を言ってるか分からないと思いますが、考えないで、感じて下さい。この作品に流れる熱いバイブスを!
フライヤーやミキサーといった単語を始め、「キャベツの千切りと同じBPM」、「ぬか床だと思ってディグをする」、「音の組み合わせはまるで串かつ」と、クラブカルチャーの全てを無理やりとんかつ屋に結びつける強引さ。相当に嫌いじゃありません。
しかし、このマンガはただのイロモノではありません。
友情、努力、勝利が詰まった正統なるジャンプ漫画の系譜上にある作品なのです! それこそ、揚げたてのとんかつのように、熱い熱い作品なのです!
揚太郎が想いを寄せる可愛いヒロイン・苑子ちゃん、圧倒的に自分より兄弟なライバル・屋敷、一度は深い挫折を覚えるさま、自分を高みへと導いてくれる師匠・オイリー……。外側だけ見れば突飛な漫画ですし、一日ラード3かけで結ばれる師弟関係などツッコミどころも満載なのですが、一つ一つの骨子を見て行くと驚くほどオーソードックスな作品です。
『とんかつDJアゲ太郎』(イーピャオ/小山ゆうじろう/集英社)より引用
苦しくも熱い修行シーン。1000回のアタマ出しや無限スクラッチを繰り返す中で、確実に何かを掴み得ていく揚太郎。
『とんかつDJアゲ太郎』(イーピャオ/小山ゆうじろう/集英社)より引用
その結果生じる、確かな成長。とんかつ屋としてもDJとしても、着実に少しずつステップアップしていく揚太郎の姿は実に正統派な感動を与えてくれます。
また、DJというテーマに関しても少なくとも想像するよりはずっと真摯に描かれており、「DJ漫画」として読んでも差し支えありません。コミックスに加筆された幕間のDJコラムと併せて、クラブカルチャーを知らない人でもこの世界について学びながら楽しめます。
一目見て「絶対この人とは仲良く出来ないだろうな」と感じながらもいざ話してみると意外と普通でいい人だった(でも相変わらず外見はちょっとぶっ飛んでる)、そんな漫画です。
『とんかつDJアゲ太郎』のヘタウマな"絵"の魅力
今作は良い漫画だと断言します。しかし、こと絵に関しては、はっきり言ってしまえば素人が描いているような拙さです。そして、ただ上手くないというだけではなく、言ってみれば丁寧さも欠如しています。
『とんかつDJアゲ太郎』(イーピャオ/小山ゆうじろう/集英社)より引用
たとえば、このコマのような集中線。普通は一点を定めそこに向かって線を引いていくのですが、中心点も取らずアバウトに、恐らくフリーハンドで描いています。もし、漫画の学校でこんな描き方をしたら明らかに注意されるでしょう。
しかしながら、私はこういった部分こそが逆説的に今作の素晴らしい点だとも思うのです。
言うまでもなく、漫画において絵は重要です。「ある程度綺麗な絵でないと読めない」という読者は一定数います(個人的には勿体ないと思いますが、各々の嗜好なのでそこはとやかく言うべき所ではないでしょう)。プロの漫画家に、雑誌掲載に求められる最低限の画力というものもあるはずです。
あの『進撃の巨人』がかつてジャンプやチャンピオンに持ち込みに行って蹴られたというのは有名な話ですが、その大きな一因が絵であったことは想像に難くありません。マガジンで佳作を取った時にも、ストーリー7点、構図・コマ割り8点、独創性8点など高い評価を受けていましたが、絵は2点でした。その時よりは格段に進歩しているとはいえ、未だ画力の問題を論じられるケースも多々目にする『進撃』。しかし、その評価や売上は圧倒的です。
つまるところ絵は重要ですが、必ずしも綺麗で上手い絵が必須ではない。むしろ、荒々しくても内容が面白ければ正当に評価される。そんな時代になってきていると感じます。
近年では漫画作品を発表する場が限りなく広がっていることにより、その表現の自由度もますます高まりつつあります。そして、求められる画力のハードルというものも著しく低くなっていると感じます。以前レビューを書いた『同人王』などは正にその典型例。決して商業誌に載せられる絵ではないですが、中身は圧巻。
その『同人王』や『ワンパンマン』のONE先生を輩出した新都社、裏サンデーのU-2リーグ(残念ながら見られなくなってしまいましたが)、マンガボックスのインディーズなど、絵だけ見れば従来の雑誌に載っているのが想像しにくい、しかし凡百のマンガにはない魅力を持った作品が沢山あります。
こうした土壌が醸成されて来た故に、『とんかつDJアゲ太郎』もスムーズにジャンプ+に掲載され多くの人の支持を受けることができたという側面はあるでしょう。そして今や絵を描かない原作者としての道もあります。多数の成功事例と共に専門の賞なども創立され、多く開かれるようになって来ましたし、実際に『テラフォーマーズ』や『賭ケグルイ』など巷を賑わせるコラボレーションが続出しています。
このように今まで日の目を見る機会を持ち得なかった作品や才能が、表の舞台に台頭してくることによって、一つの事実が浮き彫りになって来ます。本質的に、漫画は自由なんだ、と。
ほったゆみ先生の『はじマン』で目から鱗の漫画の自由さ
ここで、もう一つ紹介したいのが、『ヒカルの碁』のほったゆみ先生による『はじマン』です。
百聞は一見に如かず。知らない方は実物を見てみて下さい。
この漫画は、「漫画を描くことを特別な行為だと思わずに、誰もが当たり前にカラオケで歌を歌うように漫画を描けたら素敵だよね」という理念のもとに、気楽に自由に漫画を描いてみることを提唱する作品です。そんなこと言っても絵なんて全然描けないし……という人にも、まずはものの試しにコマを割ってみるという体験をしてみよう、と薦めてきます。
友人同士で有名なキャラクターを何も参照せずに描き合うと意外な画伯が発掘されて面白いですが、そんなノリでこの遊びを飲み会などでやると意外な程に盛り上がって楽しいので、騙されたと思って試しにやってみて欲しいです。
漫画を全く描いたことがない子供や大人が描く漫画。そこにこそ漫画の本質がありありと存在しています。たとえば、1ページに20コマを詰め込む人がいました。そこでなされたのが、「これは流石に多いよね?」「いやいや、本当は何コマ描いたって良いんだよ。大きい紙に描けば良いんだから。原稿用紙に描くという都合に縛られているだけだよ」といった具合の会話です。もう、私はこの作品を読んで目から鱗が何枚も落ちました。
漫画ってすごい。漫画って自由だ。
そして、今はそんな自由な漫画がその存在を広く許されるようになって来ているのです。良い時代になったものだ……。
漫画と制作環境は進化していく
現在では漫画の制作環境も大きく進化しています。Comic StudioやCLIP STUDIOのソフトが一本あればトーンが貼り放題というのは、一昔前からすれば革命的です。このDIOの時代には一枚数百円から千円ほどもするレトラやICのトーンをチビチビ欠片も無駄なく使っていた……。デリーターが30%オフセールと聞けば、F-MEGAのロケットスタートの勢いで飛び出したものだ……。それが今では、無料で使えるクラウドアルパカというソフトなども登場しました。
カラーイラストにしても、今はSaiのような安価で高性能なCGソフトがあります。わざわざコンプレッサーを買って使ったエアブラシが誤噴射して黄緑色が頭部付近で炸裂し、ファンキーなスプラッタイラストになってしまったあの日々を遠い目で回想します。宮城とおこ先生に憧れて買い揃えたドクターマーチンがいくらしたと思ってるのか。
背景やオブジェクトを描くための資料も、今はヘリコプターであろうがサグラダファミリアであろうが画像検索で何でも簡単に調べられます。そして、人体でも風景でもスマホで簡単に撮影してファイリングできます。一昔前は、わざわざ現物が見られる場所まで行って写真を撮るか、あるいは記憶に焼き付けるといった手段を取るしかありませんでした(それによって逆に集中力や観察力が培われていた側面もあるのかもしれませんが)。写真を撮ってもそれをプリントするまでに何時間も何日も掛かるなど今や考えられませんね。
そんな現代においては、何と東西線の中で通勤時間中に描いたという『RAPID COMMUTER UNDERGROUND』も刊行され、話題となりました。つくづく凄い時代だと思います。
今でもPCやタブレット一台で描ける漫画。3Dペンによって、空間そのものが原稿用紙になる『ドラえもん』のような世界も既に来ています。近い将来、歩いたり運動したりしながら描いたマンガや、高山や深海、あるいは宇宙で描いた漫画なども登場するかもしれません。その時には、今の漫画という言葉から想像される概念とは大なり小なり変遷していることでしょう。漫画の進化を生きている内にどこまで見られるか、楽しみです。
漫画がより自由になった素晴らしい時代に感謝と期待を
現在では、漫画を描く為のハードルもそれが認知され読まれる為のハードルも限りなく低くなっています。それは、既存の漫画家にとってみればただでさえライバルが多い世界で更に生き残るのが難しくなるという意味で脅威的なことかもしれませんが、面白い漫画・新しい漫画がより生まれやすい世界であることは業界を活性化させますし、一人の漫画ファンとして喜ばしいことです。
もしも絵が下手であることで気を悩ませている人がいたら、そんなことは何も気にしないで良いと『とんかつDJアゲ太郎』を差し出しながら言いたいです。
大切なのは、自らの偽りなき魂やパッションを存分に込めること。そうすれば、きっとこの広い世界の誰かには伝わります。誰かに届く作品が生まれます。誰かを幸せにできます。描くか描かないかで迷ったら、是非とも描く方を選んで欲しいと、私もこの世の誰かに伝えたいです。
※余談ですが、この記事を書く前に万全を期してかつ丼を食べておきました。漫画界初の巻頭カラーとんかつグラビアもあいまって、読むととんかつを食べたくなるので覚悟と準備を完了してから読んで下さい。
WRITTEN by 兎来 栄寿
※「マンガ新聞」に掲載されていたレビューを転載
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