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自分原因論を間違えて解釈する危うさを私の経験をふまて一緒に考えてみませんか
今日の不運は未来の成功のタネ。
つむおです。
私はかなり長い間、自分原因論を間違えて解釈して生きてきました。
その結果、少し遠回りをしてきたなあと思うことがちょくちょくあります。
今回は私が遠回りだったと思う事を経験をふまえて振りかえってみたいと思います。
もし今現在、自分原因論でうまくいかないと思っている方は一緒に考えてみて下さい。
昨今、自分原因論を色々な所で目にする機会が増えました。私はこの言葉を見るたび過去の自分を思い出して少しムネがざわつく時があります。
私がこの考え方を知ったのは人間関係で悩んでいた絶頂期でした。
いつものように答えを探しに本屋にいた私は、そこでこの考え方に出会います。
起こった現実は全て自分に原因が有る。
雨が降っても自分のせい。
わりとよく聞く言葉では無いでしょうか。
人間関係で悩んでいた私は、うまくいかない原因は全て自分にあると思う事にしました。
選ぶ言葉が悪いから自分はダメなのかもしれない。
相手を思いやる事ができないから自分はダメなのかもしれない。
求められている事に応える事が出来ないから自分はダメなのかもしれない。
あらゆる事は自分に原因が有ると思って自分を責めること数年。
良くなるどころか環境はどんどん悪くなって行きました。
多分、自分原因論を正しく理解している方はピンと来ていると思いますが、当時の私はここまでしているのになぜうまくいかないのかと本当に悩んでいました。
私がしていた勘違い、それは、
自分に原因がある=自分が悪い
と思っていた事です。
いや、確かに自分が悪い事も、もちろん有ります。
ただ、本当に全てがそうだという事も無いと思いますし、そこにつけ込んでくる人も一定数います。
過去の傲慢さが今の状況を引き起こしているのだから、受け入れなければならないと思っていた私は全てを自分が悪いとし、そして、状況はどんどん悪くなって行きました。
自分原因論=自己責任論と捉えると、全然別の物になります。
自分原因論で一番大切なポイントはジャッジしない事ではないでしょうか。
私の今現在の自分原因論に対する認識は、
原因に対して自分の行動を客観的に見つめ直した上で対策を考えるです。
正しく理解できている人は当たり前のように思うかもしれませんが、私はここを理解するのに随分と長い時間がかかりました。
なぜそうなったのか。
理由は今はわかります。
引け目を感じていたからです。
この状況は過去の自分の行いが引き起こしたものだ。だから何を言われてもしょうがない。
傲慢であったが為に今巡り巡って自分に帰って来てるんだ。
自分を責めるだけの時間は卑屈さを増していき、人の優しさにまで、素直に感謝できなくなっていました。
自分原因論の本当の目的、それは未来思考だと私は思います。
思考を過去に向けると、あれは良かったとか、失敗だった、不運だった、のようにどうしてもジャッジしてしまいがちですが、未来に向けると、うまくいかなかったから次はこうしようと考えるようになり対策になると思うのです。
ある本の中に、
過去の失敗、苦しさは自分に何を教える為に起きたのだろうと考える。
という内容の一文があり、この一文が私の自分原因論の歪みを少しずつ修正してくれました。
良いか悪いかではなく、何を教えたがっているのか?
過去のあの経験、あの間違いがあるから今の自分が在る。
悔やんでいること、本当に悪かった、なんであんな事がおこったんだと、思うことで辛くなる時もありますが、であれば尚更、10年後、20年後の自分が胸を張って、そう言えるような未来を築くために、正しい方向性で自分の過去と向き合っていこうと私は思っています。
それが今の私の、自分原因論に対する認識です。
今回は自分原因論は過去をジャッジする為のものでは無く未来思考の為のものという内容でした。
正直、上手くまとめる事が出来なかったと思っています。
それでも上げたのは、本当に悩んでいるいる人の、小さなきっかけになれればと思ったからです。
引け目から過去の自分を悔やんで抜け出すきっかけをつかめていない誰かが、クリスマス、年末年始と、少し前向きな気持ちで心穏やかに過ごせる一助になれればと思います。
最後になりますが、
自分原因論=自己責任論ではない。
良い悪いで自分原因論を終わらせない。
軸は未来思考に置く。
何だかしまりませんが、これでまとめとさせて下さい。
それでは今回はこの辺で。
今日の話が誰かの何かのキッカケになってくれたら嬉しいです。
では次の機会まで、ごきげんよう。