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#7 おイモ店長 その①

『JJ』『ViVi』『BLAENDA』『AneCan』・・・

浜崎あゆみ世代の私は『お姉ギャル』という、華々しい生き物に憧れて、学生時代はこんな雑誌を読みまくっていた。

そんな私が『軽々しい』1つの決断をする。

「洋服に関わる仕事がしたい!」

しかし、当時の私は、ゴリゴリのギャルには程遠い、田舎くさい『イモ娘』

1980年代生まれの女性が95%が知っている「カリスマ店員」には、ほど遠い容姿とセンスだった。

それでも「なんか、こうすればギャルっぽいでしょ」と、
無理やりローライズのデニムを履き※1、ザックリ編んだドルマン型のニットを着て※2、厚底サンダルで※3・・・福岡天神地下街を練り歩いていた。

※1 お尻の割れ目ちゃん、こんにちは
※2 「黒いブラ紐は下着じゃない」と躊躇なく見せびらかしの術
※3 高さ15センチ上等の花魁道中

「大人になった私の解釈」より

そんな私の高校生時代は、生徒会の副会長と軟式テニスのマネージャーという『THE・真面目』プロフィール。

つまりギャル的なセンスも要素も、日常生活の中で触れることさえなかった。残念ながら「イモ」としか言えない。

しかしイモなりに、メイクやファッションを勉強し、奇跡的に(いや、神様のイタズラなのか)希望のアパレルブランドに内定が決まった。

私の目標はアパレルショップ店員ではなく、もっと根元のほうの職種。
商品の開発から販売戦略を考えたり、色やサイズごとに何枚ずつ生産するのかなどの商品展開を考えたりする、MD(マーチャンダイザー)の仕事だった。

私に内定をだした会社は、全員「販売員」からスタートする方針。
MDを含め管理職や本部仕事と呼ばれる職種を希望していても、まずは店頭でファッションコーディネーターとして働く。

これは「現場を知ってから、ものづくりに携われ」という社長の意向で、
私はこの考えも大好きだった。
そして「絶対にこの会社のMDになってやる」と心に誓ったのである。

そして私は内定が決まったあと、大学を卒業するまではアルバイトとして同社の希望ブランドに配属された

出勤初日。
押切もえ似の美人でスタイル抜群のK店長にこう言われた。
「えっと・・・あいちゃん(私の下の名)・・・だっけ?うーんとね、あと5キロ痩せようか」

刺された。

さらに押切もえの目を見て、彼女の言わんとすることが手に取るように分かってしまった。『あなたみたいな容姿のスタッフが店頭に立っていたら、ブランドイメージが悪くなる』

「あ、すみません、ホント、ごめんなさい」

なんに対しての謝罪か分からないが、自分の顔が真っ赤になるのをしっかりと感じながら、私はこの言葉を連呼していた。

K店長はこのとき、私の体型のことしか指摘しなかった。
しかし私は、容姿もセンスも心意気も、私の全てに「バツ」を付けられたように感じた。

そこからその日の記憶はない。

「あこがれのMDになるための第一歩!」そんな私の意気込みは、初日の5分で見事に崩れた。

「おイモ店長 その②」に続く





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