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#40 「ばかもの」が食してきたコトバ

6月9日のさとゆみさんのエッセイ『今日もコレカラ』の内容に、私は自分の人生の「たられば」を考えてしまった。

そんなことを考えていた時、それでもやっぱりこの時代をちゃんと生きなくてはと思えたのは、一片の詩のおかげだったと思う。

『自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ』

この3行で終わる茨木のり子さんの詩は、戦争があった時代を思い返して書いたと言われている。
コロナ禍といういわばある種の戦場で生きなくてはならなくなった時に、この詩は「言葉ぐすり」のように効いた。
ささくれだった心をじんわりと包んでくれるような薬ではない。頬を張られ、「目をかっと見開け」と頭を掴まれたような力で、現実と対峙させられた。その圧倒的な言葉の力が、あの時代を乗り越える支えになった。

佐藤友美 Sun.06.09.2024 『言葉ぐすり、ひとつ』【さとゆみの今日もコレカラ/第222回】


「あのとき、この茨木のり子さんの言葉があったら、私はもっと生きることを楽しめただろうか」

こんな「たられば」柄にもなく、だった。
私の人生に基本「たられば」は存在しない。
過去を振り返ってもどうしようもないという「前しか向けない性格」だし、「どんな嫌な事や辛いことがあっても翌日以降に引きずらない」という、私の唯一の取柄とすら思っていたからだ。

しかし今回のさとゆみさんのエッセイを読んで、うっかりこんな「たられば」が顔を出した。


約5年前のコロナ禍、飲食店経営をしていた夫が職を失い、子どもたちの登校もままならない状況で、私は一家の大黒柱として働かねばならなかった。

それまでスーツをオーダーメイドで作る工場で、誰にでもできる事務の仕事を粛々とこなしていた。しかしその給与では全然足りないので、住宅リフォームの営業職に転職したのだ。

しかしコロナ禍の営業もまた、大変だった。
自社サービスの宣伝チラシを、対象の一戸建て住宅のポストに1件1件入れていた時のこと。
とある家の玄関前のポストにチラシを入れようとしたところ、「ウチの敷地に入ってくんなよ、こんな状況で!馬鹿なのか?」と怒鳴られた。

グッと何か喉にくる悲しみや怒りをいったん飲み込み、踵を返して敷地から一度でる。
そして振り返り、怒鳴った家主としっかり目を合わせ「すみません、じゃあここに置いときますね」と作り笑いをし、敷地の手前に置いてあった古いカゴに、チラシを突っ込んだ。

そのような冷たい対応を受けることが週に何度かあり、「こっちだって、入りたくて入ってんじゃないよ。食べていくために仕事してんだよ」なんて心の中で悪態をつきながら毎日ポスティングしていた。

その後その家主からクレームは来なかったものの、今思うと完全に社会人としてアウトなことをした。あの怒鳴った家主もまた、コロナの影響で生業が上手くいっていなかったのかもしれない。
でもあの頃はそんなことを考える余裕がなく、仕事のイライラを家族にぶつけることもあった。

やっぱりきつかったんだ。そう、つらかったみたいだ。





冒頭のエッセイが投稿される前日の夜、この茨木のり子さんの詩をさとゆみさんはラジオ(Voicy)で朗読してくださった。

私はこれを聴いて、あの頃のやさぐれたていた過去を思い出し、目頭が熱くなった。

ああ、そうか。
あの頃は「自分の感受性を守る」って発想と反対のところにいたなあ。
だからしんどかったんだ。

だってあの頃の座右の銘は「置かれた場所で咲きなさい」(渡辺和子 著)だったから。
「しょうがない、耐えろ。ご飯を食べなきゃならないんだろ?なら今いる場所で、精一杯やれ」
こんなふうに、本来の著者の伝えたかったこととは違うニュアンスで捉えていた。

あのときこの『置かれた場所で咲きなさい』ではなく、
『自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ』
を自分の心に添えられていたら、あんなに尖らずに仕事ができたのかな。

久々に考えた自分の人生のたられば。もっと早く出会いたかったな、という気持ちも込めてしばらく考えさせられた。



が、昨日、少し考えが変わった。

あの頃の私では、この茨木のり子さんの詩が受け止められなかったかもしれない、と。
つまり今は「ばかもの」と言われることは叱咤激励として受け止められても、あの頃はそんな余裕がなかったんじゃあないか、と。

あの頃の私は「自分の感受性くらい」を自分で守る方法をおそらく知らなかったのだろう。
感受性なんて完全に無視してひたすら働いていた。むしろ感受性を研ぎ澄ませたら潰れていたかもしれない。
心を麻痺させて働くのは健全じゃないにしても、その頃は「置かれた場所で咲きなさい」がベストアンサーだったのかもしれない。

そう考えたら、早く出会っていれば……なんて「たられば」は消えて、この年齢でこの経験値でこのタイミングで茨木のり子さんの詩に出会えたことに意味がある気がした。

きっと私にとって、この言葉に出会うのは今だったんだ。
コロナ禍の日々だけが、私にとって特別な時期ではない。
現に今過ごしている毎日を「何気ない日常」と片付けられる日は1日もない。
ライターを始めてからはとくに、たくさんのことを考え、想い、感じて生きるようになった。
だからこそ、今、自分の感受性を守る必要性が高いと感じる。
だから私は「感受性を守る」という考え方を学んだと同時に、「言葉は出会うべき時にちゃんと出会う」ということも体感できたのだ。

そしてさとゆみさんの同エッセイには後半部分にこんなことが書いてあった。

私たちの体は、食べたものでできている。そして触れた言葉でできている。自分が浴びた言葉は、血となり肉となり、そして骨格をつくり、私たちを内側から支えてくれている。

佐藤友美 Sun.06.09.2024 『言葉ぐすり、ひとつ』【さとゆみの今日もコレカラ/第222回】


コロナ禍では『置かれた場所で咲きなさい』という言葉を食べて生き抜いて、今は『自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ』という言葉に触れ、あの頃のツラさに薬を塗った。そしてそれらの全てを体の一部にして、今、私はこの場所に立っている。


どれもその時の「今」に出会うべくして出会った、大切な言葉たち。
ばかものである私の「職歴」ならぬコトバの「食歴」。

これからも、もっと食べて、もっと味わって、身に付けて、心を肥やしていかねば。
















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