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多分2年振りぐらいのお酒を飲んだ

別にそんなにめちゃくちゃアルコールに飢えていた訳ではない。ただ、飲んじゃダメって言われているのと、自分で飲まないと律するのは全然違う。

先日、大学の部活の先輩だった方と飲みに行った。私はもう部活を引退しているし、先輩はもう部活引退どころか、大学を卒業して立派に働いておられる。もうね、めっちゃ好き。多分先輩にとっても、私がいちばん仲良い後輩なんじゃないかって勝手に自負している。文字通り裸の付き合いで、お互いお風呂が好きで2人とも大学生だった時はしょっちゅう一緒に銭湯だの岩盤浴だのに行った。

飲みに行く2週間ほど前、私のアルコールが解禁された。と言っても、全然大したことではない。自分の持っていた病気が治ったとは言えないけれど、一件落着となり通院が終了、薬も飲まなくてOKになった。その薬がアルコール禁止だった、というだけと言えばそれだけ。

だけどその先輩の仕事が忙しくて、どんどん延期になって私のアルコール解禁デーもどんどん後ろに延びていった。いや、そんなに飲みたいならひとりでコンビニにでも行って、缶ビールをプシュッとすれば良い話なんだけど、それじゃあ何だか勿体無い。

アルコールだけじゃなくて車の運転も駄目だったし、献血も行っちゃ駄目だった。あと、全体的にいつも眠かった気もする。どんなに目上の人がいても、みーんな飲む場でどんどん周りが酔っ払っていっても私はシラフだった。そんなにお酒も車の運転も献血も、大好きじゃないし、解禁した今も運転はしていないし献血にも行っていないけれど、でもやっぱりこの解禁を祝いたい。

そもそも喜びたいのは、通院が終わったということだ。毎回電車でちょっと田舎の誰にも会わないような場所に行って、一応主治医に近況報告して、毎回ちょっとずつ増えたり減ったりする薬をもらう行為に終止符が打たれた。

初診時には半年ぐらいで病院は通わずに済むようになるだろうなと思っていた。診断書に書かれた文字がぼんやり見えた。そこにあったのは確かに私の本名と全く同じ漢字の別の人の名前だった。

長かった。もっともっと長い時間闘病したり、病気と共存しているような人もいるだろうけど、私にとってこの2年間は長かった。色々ありすぎた。

懐かしい。初めてこの病院におどおどしながら行った時、先生は電子カルテを開かずにいて、こちらに身体を半分だけ向けていた。パソコンに映し出されているのはホーム画面だった。そこで、私は大号泣してマスクがべっちょべちょになった。

***

ひっさし振りに飲んだのは、先輩が好きなジンだった。でも、私は炭酸が好きだからジンソーダにした。何だか柚子風呂の味がするって言って、下品な笑い方でイヒイヒヒヒと笑った。柚子風呂は完全にこの時期である冬至に引っ張られた。

結局2件行ってアルコールは2杯しか飲まなかった。飲めなかった。でも、首から上があったかくて浮いているみたいだった。次の日の朝、毎日習慣にしているランニングに行こうか迷うぐらい体が重い気がした。結局、お酒のせいでルーティンが崩れるのが嫌で、走り始めたらいつも通りだった。

結果、飲んでも飲まなくてもこのぐらいなら何てことない。多分、がぶがぶ飲む様にはならない。この2年でアルコールがあってもなくても楽しいってことには気づけたからOK。

↑病名とかについてはここ↑
流石にオープンマインドな私でも、ここは有料にしないと書けなかった。書いておきたかったから書いた。お金にしたかった訳ではなく、何となく気持ち的に有料にしている。

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おなかすいた
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