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NO.75「今度は今度、今は今」(映画『PERFECT DAYS』から)
映画『PERFECT DAYS』は記憶には残る美しいシーンが多いけれど、僕が特に好きなシーンは、映画の後半、主人公の平山(役所広司)と姪のニコ(中野有紗)が二人で自転車を漕ぎながらこんな話をするシーンだ。
ちなみに、ニコ役の中野有紗は2005年生まれのモデル。この映画が女優デビューとなるそう。
少女から大人に移り変わる一瞬だけに放たれる淡い光のようなオーラがとても良い。
僕はこの映画での中野有紗の姿に、『花とアリス』で初めて蒼井優(当時18歳)を見た時の鮮烈な記憶を思いだした。
(※以下、映画の中のシーンについて触れます…)
☆☆☆
(二人並んで自転車を漕ぎながら)
平山「この世界は、本当は沢山の世界がある。つながっているように見えても、つながっていない世界がある。僕のいる世界は、ニコのママのいる世界と違う」
ニコ「私は?私はどっちの世界にいるの?」
平山(自転車を停める)「……」
ニコ(自転車を降り、眼の前の隅田川の流れを眺めながら)「ここ、ずっと行ったら海?」
平山「うん、海だ」
ニコ「行く?」
平山「……今度ね」
ニコ「今度っていつ?」
平山(ニコを見つめながら)「今度は今度、今は今」
ニコ(反芻するように)「……今度は今度、今は今」
二人(再び自転車に乗り、ジグザグに並走しながら)「今度は今度、今は今」
☆☆☆
このシーンを見ながら、僕は昔読んで少し理解できなかった、道元の『正法眼蔵』の中の「前後ありといえども、前後裁断せり」という言葉を思いだしていた。
こんな言葉だ。
「薪は薪の法位に住して、先あり後あり。前後ありといえども、前後際断せり。灰は灰の法位にありて、後あり先あり。」
少し分かりにくい言葉だけれど、例えばこんな意味だろうか。
「薪は灰になる。しかし、灰はもう一度戻って薪にはなれない。(薪と灰の間には)時間的な前後はあるけれど、その前後は切断されていて、瞬間瞬間にそれぞれの姿が独立してある。(過ぎた姿は戻らない)」
まだ少しぼんやりとしか分からないけれど、この文章の少し先にはこんな言葉がある。
「生も一時のくらいなり、死も一時の位なり。たとえば、冬の春となるをおもわず、春の夏となるといはぬなり。」
これは例えばこんな意味か。
「生まれるということもそのような瞬間の一場面であり、死もそうである。例えば、冬が春になるのではないし、春が夏になるとは言わない」
平山とニコが語る「今度は今度、今は今」に、道元の言葉の遠い木霊を感じるのは、少し考え過ぎだろうか。