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仕事を続けられる理由を考えてみたい

生活の糧を得るために、ヒトは必ず働かなければならない、と思っています。もちろん例外的に、不労所得をたくさん稼ぐリッチな方もいらっしゃるのですが、多くのヒトは読んで字のごとく、頭や体を動かして、働いています。

私は政治家として働いていますし、事業家としても働いています。この二つの仕事が、今私は岐路に立っていると感じています。二足の草鞋を履くことは容易ではなく、ずっと抱いていた政治の志が、立場をいただけて、少しづつですが充実感を得てきていることから、逆に事業の方が疎かになりがちになのです。そして、事業に抱いていた期待が、少しずつ萎んできているような気がするのです。

政治の世界へ政治家として進出を決めた時、事業をある程度相棒に任せ、私の役割は限定的にしました。事業への志をある程度理解してくれている相棒に恵まれ、私は、愛すべき事業から一歩下がることを思い切って決断ができたのです。一歩下がる以上は、任せる以上は、あまり口出ししないで、自分の役割を果たすことに徹しようと私は考え、これまで進んできましたが、ここにきて自分が抱いていた事業への夢と、現実の事業の距離が大きく離れ始めたのです。政治の夢も、事業の夢も、欲張って叶えたいと思っていた私ですが、そうそう簡単ではないことに気づかされたのです。

事業から一歩下がったことで、私は事業家としての歩みを止めてしまったようで、かつてはリスクも背負ってチャレンジしたことが、考えることを止めてしまっていて、ただただ漫然と自分の役割を果たすだけになってしまっていたのです。もちろん相棒は相棒で一生懸命頑張ってくれてもいますし。自分の考えを出して事業を展開してくれているのです。でも、そこに私の気持ちが追い付いていない現実があるのです。

ヒトはなぜ仕事を続けられるのか、それは自分なりに価値あることをしている満足感があるからではないでしょうか。


笑顔で仕事を続けたい

その満足感が、今の事業からは十分に得られていない、自分がそうしてしまっていると今感じているのです。だから岐路に立っていると感じてしまうのです。そして、望んで飛び込んだ政治家の世界でも、私は満足ではなく、飢餓感を感じてしまっているのです。

事業への物足りなさと、政治への物足りなさは、言葉こそ同じでも、内容は違うと私はわかっています。そして、共通している課題もわかっています。それは望むべき方向へ進むため、ある程度のリスクを取る覚悟を決めること、なのだと思います。

仕事を続けられる理由、それは希望であり、実績であり、その結果得られる満足感であると思います。どんな価値を見出しているかによって、希望も、実績も、結果も、内容はヒトそれぞれとなるでしょうが、一定のリスクもありながら、その困難を超えられるという価値もあるのではないでしょうか。ヒトが仕事を続けられる理由にはそんな背景があると思います。

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