図解の価値ってなんだろう。
イベントや想いをグラフィックでまとめるグラフィックレコーダー/サマリーデザイナーのタカタです。
今回、図解のアドベントカレンダーの企画で、記事を書いてみようと思います。
この1年の総集編的な記事を更新しようかとも思ったのですが、せっかくの図解アドベントカレンダーなので、私にとっての図解のお話をしようかと。(1年のまとめ記事はまた改めて。私がいつも作っている成果物のまとめはこちら。)
https://note.com/tktyn/m/m641cf37bbb58
普段はイベントでのグラフィックレコーディングをすることが多いのですが、行っていることを抽象化すると「情報整理」→「見える化」です。
即興で行うことや材料はその場で起きたことであることなど詳細の違いはあれど、「やっていることは図解に近いかも…?」と思ったりもしました。
でも先月参加してきた第7回の図解お茶会では、特に図解をこれまでやってきた方々のフレーム力に驚き。
(↑の記事よりお借りしました。)
同じテーマのお題を書いても、そこから違うフレームを作ったり、位置関係を作ることで、新しい考察が生まれていたように思います。
それは、そこにある情報を整理してまとめるイベントのグラレコとは違って、軸を作った上で「膨らませる」という工程がありました。
当然、イベントレポート的役割のグラレコでは、自身の主張を入れることは必要ありません。
ですが、ファシリテーショングラフィックのように議論にもっと踏み込む形は、もっと図解に近いものになるのかも、とふと思ったり。
結局のところ「誰のための」「何を目的として」書くのか、によって必要な素材が違ってくるなぁ、というお話。
図解は、誰のための、何のためにあるんだろう。
「すごいスキルだね」「面白い取り組みだね」で終わらないその先を考え続けなければいけないのは、私も同じだなと思いました。
ちなみに私にとって図解は「新しい装備」「武器を進化させる効果」、グラレコは「今持っている武器」、サマリーデザインはそれらを含めて「自身のステータス」「目指したい姿」という感じの位置付けです。
図解の考え方は間違いなく、自身の情報整理を強化してくれるし、それ自体を楽しんで作る側に回れば、新しい武器にもなりうる。
これからも関われるポイントを作っていこうと思います。