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スプーンもう一本ください。--秋の月、風の夜(34)

「……といういきさつで、四郎を置いてきてしまった」高橋は額田家の玄関口で話そうとしていたことを、カフェでやっと話しおえた。

奈々瀬が、じいっと心配そうに、高橋を見る。
「どしたの」
高橋が、微笑してたずねた。
「怪我、してないですよね?」
「……んーー。……誰が?」主語がないと、何を聞かれているのだか、よくわからない。

「四郎が」と、心細そうに、奈々瀬が言った。

「中途半端なちんぴら相手に、ケガなんかするわけがない。大丈夫だよ。……」高橋は言いながら、けげんそうな顔をする。「奈々ちゃん、あいつがケガしないかなんてことが、心配なの?」

「だって」

「……ええとさ、どこまであいつが身体能力高いか、ただしく知ってる?」高橋は、ほんとうに怪訝そうに、半分わらって聞く。二重まぶたの優しい瞳が困ったような色をおびて、八重歯がのぞく。
「……しってますけど……でも」
「よっぽど卑怯な手を使われないかぎり、あいつは大丈夫だ」高橋はそういって、わずかに残ったアイスティーを飲みほそうかと思ったが、先に残したパフェを食べてやることにした。「もう残す?」

「……あっ」奈々瀬はなぜか、顔をあからめる。
「僕に頂戴」やさしげなまなざしで、高橋が言う。奈々瀬はうつむいたまま、そーっと、パフェの器を高橋の方に押しやった。高橋はウェイトレスを呼び止めて、「スプーンもう一本ください」と告げた。

「こんなに、いろいろ、どきどきしちゃって……私、めんどくさいです」奈々瀬が、うつむいたままでつぶやく。

「僕のこと、好きになってくれたんだ」
高橋は、そんなふうに言った。

奈々瀬は、ためらったあげく、こくりとうなずいた。

「うれしいよ。ありがとう」
「私、自分が、……どうしたらいいんだか……」

「四郎も好きだし、僕も好き。困る?」
「困ります」

「苦しまないで。四郎は新幹線で後追いしてくれる。それまで、ちょっとだけ2人ですごそう。こんな時間は、もうないと思う。
だから、楽しんで。僕も、この時間を大事にするから。

……大津に、僕も残るって言ったんだ。奈々ちゃんと2人きりになったら、自分がどんどん、四郎を裏切りそうで嫌だからって。

そしたら四郎は、奈々ちゃんがドライブを楽しみにしているだろうから、奈々ちゃんの時間のほうが大事だから行ってやってくれって、そう言った。
ねえ奈々ちゃん、あいつの愛情表現はとっても地味で控えめで、一途で深いよね。あいつに愛されてて、嬉しいよね」
奈々瀬は、そう言われて、やっと笑った。

「僕さ、つい生き急いじゃうんだ。立ち止まって楽しむのが、へたっぴなんだ」
「そうなんですか」
「だから今だけ、僕にゆっくりした時間の使い方教えてくれる?」
奈々瀬の笑顔は、ぎこちなくて、でも笑っていた。やっと、高橋のすんなりした鼻筋の顔立ちを、正面から見られた。
優しい目だ、と思った。



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高橋照美
「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!