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超飽き性のわたしが、3年間編集長を続けて、読書感想文さえ書けなかったわたしが、200記事書いた話

この記事は、広報note勉強会アドベントカレンダーに参加して書きます

やえがしさん、ありがとうございます!

ソウルドアウト株式会社のみやたけです。公式note編集長をしています。

仕事ではnoteを書きまくっていますが、自分のアカウントではあまり書かないので緊張しています。お付き合いください。



このnoteは、やりたいが多くて、どれも中途半端になってしまうことが悩みの超飽き性のわたしが。読書感想文さえ書ききれたことがないわたしが。

3年間編集長を続けて、200記事を公開できたので、振り返りとして書きたいと思い、はじめて参加してみました。


もうこのnoteの結論を言ってしまいますが、ここまで継続できた理由は、やっぱり❝楽しかった❞からだな~と思います。

しょうもな!当たり前やろ!って思ってしまった方すみません。でも、この一言に収まってしまうような気がしているのです。

仕事をする理由は人それぞれです。そこに正解も間違いもないと思います。ですが、わたしの場合は楽しさを感じられるからこそ、昨日も今日も明日もパソコンの前に座っているし、こうやって、朝から晩まで頭や手を動かしています。


なのでこのnoteは、仕事でモヤモヤを抱えていた4年前くらいの自分に向けて、書きたいと思います。


エッセイみたいに、自由に、書かせてもらいます。


▾ここから先の内容
「超飽き性のわたしが、3年間編集長を続けられた理由」
❶ 好きなことをやる時間を無理やりつくる
❷ 好きなやり方で仕事をやれる場所にいく
「読書感想文さえ書けなかったわたしが、200記事書けた理由」
❸ 好きが高じて、苦手を奇跡的に克服する

それでは始めていきます。


「超飽き性のわたしが、3年間編集長を続けられた理由」

❶ 好きなことをやる時間を無理やりつくる

まずは対処療法です。でもこの対処療法の積み重ねで、最後に理想の形につながったような気がしています。


わたしはもともと、誰かの話を聞いて、それを「わたしフィルター」を通して、またほかの誰かに伝えることが好きでした。ひとことでいうと、インタビューです。

自分と近い存在であっても、遠い存在であっても、経営者であっても、とある会社の一社員であっても、自営業であっても、どんな人にも魅力があって、それを見つけたときにすごく嬉しい。


会社で編集長をやる前は、広告の運用や制作をしていました。正直なところ、わたしは楽しさを見つけられず、モヤモヤしていた。そのときにやってみたのが以下のこと

  1. 会社のなかで、自分の「好き」が役立つ場所を見つけて取り組む(上司に許可をもらう必要がある)

  2. 会社のそとで、自分の「好き」が役立つ場所を探して取り組む(副業やプロボノ的な動き)


あとから気づいたけれど、1.2. とも、「他人から認めてもらえる→自信になる」を自分から獲得しに行ってたんだなって。他人からの評価で自分の評価をしちゃダメ!という声もあると思うけど、わたしにはこれがまず必要だった。

1.も2.もエネルギーがいるけれど、恥ずかしがらずにちょっとがんばったり、ちょっと周りの助けてくれる友だちに言ってみたりするだけで、チャンスが舞い込んでくるな、と今ならいえます。


1.はこれ。ほかにも会社のなかでメンバーインタビューをして、発信するなどしていました。

インタビューしたメンバーに「ついつい話したくなった。話しやすい。これって才能やとおもうねんな」と言われてウルウルしたことは、今でも覚えている。

それで感動して、最初に書いたnoteを発見(読みづらいし、鬼恥ずかしい)。


2.はたとえばこれ。

役場の方からの「みやたけさんのおかげです!」この言葉が当時のわたしをどれだけ支えてくれたか。



❷ 好きなやり方で仕事をやれる場所にいく

2年前くらいに気づいたことです。わたしは、一人で仕事をするのが好き。チヤホヤされることが好き。チームで何かを成し遂げるのが嫌いなわけではなく、かっこつけていうと、ほかに誰も同じことをやっていなくて、一人で舵を取れるような仕事が好き。

2021年8月から3年と半年ほど、「ひとり編集長」としてやってきました。何も苦ではない。

手前味噌ですが、メンタルの安定に働く環境って重要だと思うんです。

誰とやるか、どこに身をおくか、どれくらい裁量があるか。



「読書感想文さえ書けなかったわたしが、200記事書けた理由」

❸ 好きが高じて、苦手を奇跡的に克服する

お恥ずかしながら、わたしは読書感想文を書いたことがありません。正しくは、書けたためしがありません。いつもインターネットからの引用か、母に書いてもらっていました。(もし昔のお知り合いの方が目にする機会があれば、本当にすみません。)国語も現代文もいつも赤点。平均点さえ取ったことがない。


そんなわたしが、「聞いて書く」インタビューが好きになったきっかけは、大学時代のインターン。

関西の企業やNPO法人の団体の代表の方にインタビューを行ない、新聞に載せる記事を書くという仕事。長い文章を書いたことのないわたしでしたが、新聞記者になりたいという友人からの誘いで、気軽に参加してみることにしました。



案の定、
わたしの書いた記事は、何十回も赤字付きで返ってくる……それはもう酷い有様でした……
「書くのが下手すぎるし、メンタルがやられて、こいつはいつか辞めてしまうのでは!?」と噂になっていたほど。


でもわたし、インタビューが、めちゃくちゃ好きになっていた。
だから、何十回原稿が返ってこようが、どうでもよかった。


インタビューは、自分の知らない世界をどんどん拓いていく感覚があり、そのおもしろさにのめりこんでいきました。3回に1回は泣いていた。それくらい感動していた。(価値観が大きく揺さぶられた話はまたいつか。)すると、だんだんと原稿の戻しの回数も減ってきて、人並みに書けるようになったんです。

新聞社のプロのデスクの方から、初めて来たお褒めのメールは、今でもスマホの奥の方にしっかり保存しています。

2015年7月3日のメール


今ではそれが、まわりまわって仕事になっているんだから、大したもんだ、

と、普段自分を褒めることはしないのですが、年末なので褒めてもいいかなと思います。
最初に誘ってくれた友人や、あたたかく支えてくださった大人たちに感謝しかありません。この経験がなかったら、今のわたしはないから。

苦手を克服しようとすると、かなりのエネルギーが必要です。わたしにとってこの経験は「苦手を克服した」という感覚ではないから、できたことなのかもしれません。


そして先日、会社の公式noteでは通算200記事の公開を(いつのまにか)迎えました!これが200記事目のインタビュー記事でした。

やっぱりインタビューが好きだなあ~と思います。大学時代にはじめたときから、インタビューに対する「好き」の気持ちは変わっていません。



ここまで書いて、ようやく振り返ることができました。「超飽き性のわたしが、3年間編集長を続けられた理由」も「読書感想文さえ書けなかったわたしが、200記事書けた理由」も、本当はもっと迷ってばっかで、寄り道しまくってばっかで、たくさんの人に助けられすぎた結果の話

「好き」はこれからもまた変わるかもしれない。これからも柔軟に、もっと幅を広げていけるといいな。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
みやたけ



広報note勉強会アドベントカレンダーのみなさんの記事も、素敵な記事がいっぱいです。ぜひご覧になってみてください!



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