上田晋也という男
僕は「好きなお笑い芸人は誰?」と聞かれたら、迷わず
「くりぃむしちゅー。」と答えるだろう。
いや、「回砂利水魚」と答えて、「誰?」と聞かれたら、
得意げに「あ、それはくりぃむしちゅーの前のコンビ名」とくりぃむしちゅーを昔から知ってるアピールをするかもしれない。
いや、そんなアピールは鬱陶しいだけだわ。
くりぃむしちゅーを知ったのは私が小学校5年生の頃。当時通っていたサッカーのクラブチームのバスで見た「リチャードホール」というDVDだった。
これは、くりぃむしちゅーをはじめ、おぎやはぎやアンタッチャブル、劇団ひとり、森三中など今考えればありえないほど豪華なメンバーが出演しているコントのDVDである。
その当時のコーチがなぜ我々小学生にリチャードホールを見せていたのは未だに謎である。決して上品とは言えない内容なのだ。もっと、ジブリとかディズニーとか、ドラえもんとか小学生にふさわしいDVDがあったじゃんか。
こう言ってるが、我々はリチャードホールの同じシーンを何度も食い入るように見て、リチャードホールに出ていた数多くのキャラやシーンをやそれぞれマネして楽しむほど熱狂していた。
そんなこんなで、リチャードホールに出てくる芸人さんがみんな好きになった。中学生になると、特に上田晋也が好きになるある転機が訪れた。
中学校でたまたまリチャードホールの上田晋也がやっていた桃井かおりのモノマネのモノマネをしたらめちゃくちゃウケたのだ。
たぶん他の人は、上田晋也の桃井かおりのモノマネのモノマネをしていることは知らず、ただ純粋に私が桃井かおりのモノマネをしていると思っていただろう。しかし、そんなことを気にしている僕ではなかった。
当時の中学校で流行語大賞があったならば、僕がモノマネしていた桃井かおりのセリフの「やっぱ40代の肌って大変よね~」だった思う。いや、記憶を美化しているだけかもしれない。
まあでも、実際に文化祭で桃井かおりのモノマネを全校生徒や教員、保護者の前で披露したのは事実であり、「面白かったよ」とそれなりのフィードバックを得た記憶も確かなので、ブームを巻き起こしたと思い込むことにする。
中学生以降はこのモノマネを封印しているが、くりぃむしちゅーが出ているしゃべくり007は毎週見るし、くりぃむしちゅーの2人の絡みにはいつも笑わせていただいている。
くりぃむしちゅーはお笑い的に面白いだけではなく、2人は休憩時間に楽屋で4時間話し込むほど仲が良いため、テレビの2人の絡みを見て笑う時は友達同士の面白くじゃれ合っているような会話を聞いているようで、微笑みの笑いも含まれている。
先日、ふらっと書店に立ち寄った。
すると、そこにはくりぃむしちゅーの上田さんが本を出版しているではないか!
人ごみの中で自分の名前を呼ばれたかのように上田晋也という文字を見つけ、タイトルを確認せずにすぐさま手に取りレジに向かった。いや、さすがにタイトルは確認した。
チャリで来ていたので、原付と並走するぐらいの猛スピードで帰宅した。
タイトルは「経験」
50歳の上田さんが40代にあった出来事を振り返るというエッセイ本のようなものだったが、身の回りにあるエッセイ本と一味も二味も違った。
そもそもの出てくる話が面白い上に、そこに上田さんの代名詞であるキレのある鋭い例えツッコミが付されていた。
読んでいる時、本当に耳元で上田さんがツッコんでいるようで、不思議な感覚になった。
おそらく、僕が上田さんの出ているテレビを見すぎたせいであろう。
さらに読み進めていると、上田さんは日本にはツッコミよりボケの方が多く、その元凶は、ツッコミどころの多い昔話を幼児期に感情移入して読み、それで自然とボケの感覚が育まれているという説を唱え、昔話を生み出したボケの方々に失礼ということから、自身が昔話にツッコむという規格外のコーナーがあった。
冒頭の「むかし、むかし、」から
「2度手間だよ!ご飯味のふりかけみたいなもんだよ!」
といったツッコミ具合。
このコーナーこそが「パンに塗るパン味のジャムみたいなもんなんだよ!」と思いながらも、その後もバンバン出てくる上田さんのツッコミから多くのことを学んだ。
例えツッコミ以外にも上田さんはうんちくや語彙力を持っていて、その表現方法に圧倒されることも多くあり、上田さんの魅力をフルに味わえる最高の一冊だった。
皆さんにはぜひ買って読んでいただきたい。
私の中では、同書は「嫌われる勇気」に並ぶ人生のバイブルである。
この本を皆さんが買って、読んで、笑い、ハピーになり、そしてそのお金が上田さんの政界進出への政治資金となれば、僕にとってこの上ない幸せである。
最後に言っておくが僕は上田晋也の回し者でも何でもない。
ただのファンだ。