2018 オリンピック国立公園とカートコバーンの旅 (4)
July 28, 2018
車が変わる
Bremerton:ヒュンダイのミニバンに変更
トランクが広いミニバン
電話で事前に知らせていたせいか、手続きはスムーズだった。
スタイルがめちゃくちゃいい黒人のお兄さんが、さささっと手続きをしてくれた。イケメン従業員のおかげで釘ローグからヒュンダイへの移行は割とスムーズだった。
カリフォルニアナンバーだ!残念ながらSUVからださいミニバンに変わってしまったが、トランクが広く、スーツケースをそのままトランクで広げることができるという、驚きもあった。
ただ、山を登るときは、パワーが出ないのが、ミニバンぽい。
ここまで、朝からトータル5時間ほどのロスで、やっと本来の旅行プランに戻る。
出だしから結構トラブル続きで、不安になってきた。すでに予約をしているのでキャンプ場のあるDungess County Parkを目指す。
Blyn:ネイティブアメリカンの歴史を学ぶ
自分勝手なアメリカ人たち
Blynという街に寄った。ガソリンを入れるために寄ったのだが、何やら興味深いモニュメントを発見してしまう。もうすでに5時間遅れているのに寄り道をしてしまう。
Blynはジェームズタウン・スクラム族(Jamestown S'Klallam Tribe)の土地の一部で、先住民族の文化的・歴史的背景が町に影響を与えているとか。オリンピック国立公園へのアクセスの起点となるため、観光や地元のビジネスが経済に貢献しているらしい。町自体は静かで落ち着いた環境。
途中で交換となったレンタカーは、ガソリンが半分しか入っていなかったのだ。もちろん、洗車・掃除もされていなかった。急遽借りたので、仕方ないのだけどね。
ネイティブアメリカンの文化が残る街。Jamestown S'Klallam Tribeという部族のアートギャラリーや文化センターがあった。
建物には入ることはできなかったが、外にたくさんの作品なのかモニュメントが置いてあり、見ることができる。
マンホールまで、独特のデザイン!
このセンターは敷地も広く、道路の下のトンネルと渡ってまで広がっており、庭も丁寧に手入れされていた。
回想:ネイティブ・アメリカンの歴史
アメリカに来て初めて知ったネイティブ・アメリカンの歴史
インディアンの居留地は、ネバダやアリゾナ、ユタに多いのかと思っていたが、こんな北のワシントン州にまであったとは。
建物の中には入ることができなかったので、詳細はわからない。
アメリカの貧困層といえば黒人と思っていた私だが、アリゾナの居留地に行ったときに、多くのネイティブアメリカンが含まれると知った。
学歴が低く、低所得で、働く気力をなくした男性がアルコールに走りアル中になる。当時の居留地では、店ではアルコールを置いていなかった。隣町までいかないと行けなかった。
こういうカルチャーセンターが、その民族の文化を大切にし、ネイティブアメリカンの人たちの自立を支援するものだといいなと思った。
かつては70以上の部族がいたらしい。
このあと向かうオリンピック半島に居住するマカー族と捕鯨の話をあとで知ることになるのだが、とにかく毎回インディアンの話は心を痛める。
マカー族は捕鯨文化をもつ部族で、自分たちの土地、オリンピック半島の大半と引き換えに捕鯨の権利を得たのに、最終的に絶滅危惧にまで追いやったアメリカ人のために捕鯨が不可能になった。絶滅が回避できそうになった時、また捕鯨を再開しようとしたら今度は活動家から攻撃の対象となってしまった。今、マカー族は、もともとあった法律(土地と引き換えに得た捕鯨権の復活)を守ってほしいと言っているだけだそうだが。。。
文化を守るということももう少し尊重してほしいな、と思う。
なぜかツバメが巣を作っていた。
続く