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人の数だけ鬱がある

坂口恭平さんと糸井重里さんの対談の1回目の記事です。これを読んで「人の数だけ鬱があるなぁ」と感心してしまいました。

「書かずにはいられない」
「ロープを握りしめるように落ちていく」
「鬱には底がある」

こんな言葉が記事の中で出てきていました。それを読んで「なるほどなぁ」と思ったのが正直なところです。人によってこんなにも鬱にタイプがあるなんて思いもよらなかったです。

私の場合は、正直に言えば鬱には底があると思えないんですよね。落ちるところまで落ちてみれば、そこは沼のようにドロドロと足を取られ体が沈み込んでいくような、そんな感じの方が強いですね。

落ちる時もプツリと糸が切れたように、一気に落ち込んでしまいます。その時に感じるのは「死」です。この頃はだいぶ良くなってきたので、死のうと言う気持ちはかなり薄くなりました。そのかわり「なんで生きてるんだろう?」、「このまま生きていていいのかな?」そんなふうに感じることが多くなりました。

これからも対談が長く続くようなので、もしかするとそんな話にもなるのかもしれませんが、昔から私にとって「死」とは身近なものでした。身近な概念と言った方が正確なのかもしれません。自分の死を考えるのももちろんでしたが、他者の死や遠くで起きている戦争などで死んでいく人々の事などを考えると、夜も眠れなくなるほどでした。

そんなのが根底にあるからか、鬱の状態になると「死」と言うものが、とても身近に迫ってきます。

鬱の最中でも波があるから、明るい時もあれば楽しく過ごす時間もあります。でもそれは一瞬のきらめきのような、ろうそくの炎が安定するように輝いている瞬間なのかもしれません。

人の数だけ鬱がある。その中でどうやって生きていくか、何をしていくかが求められているのかもしれませんね。もちろんその求められているものに苦しまられてしまっては、元も子もありませんので、ほどほどに悩む位にしようかないといけませんね。

明るい鬱があっても、いいんじゃないかなぁとこの頃は思うようになりました。どんな心境の変化があったのかは自分でもよくわかりません。ただ鬱であっても、調子の良い時もあれば、悪い時もあると。調子の良い時は飲みにも行けるし、人に会いに行くこともできるし、そこはうまく調整して鬱と仲良くやっていくしかありませんね。

明るい話なんだか、暗い話なんだかよくわかりませんが、今日の交換日記はここら辺で終わりにしたいと思います。まだコロナの影響が残っているみたいなので、お体には気をつけてくださいね。それでは。


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