今の頭の中を整理してみた
お堅い本を読んでいたら、少し哲学的なことを整理して書いてみたくなりました。錆びついた頭の考えですが、お付き合い願いましょう。うふふ。生まれも年代も異なった思想家2人のことを整理させてください。共通するのは「人間とはなにか」ということです。ということで、まずはハンナ・アーレントについてです。
ハンナ・アーレントは、近代政治に対する批評を行いました。彼女によれば、近代政治の問題は、政治的な権力が自然法や神の法に代わって、個人や集団に対して独自の法を課すことにあるとされています。
アーレントによると、近代政治は「法治主義」から「支配主義」へと転換したと考えられます。すなわち、近代政治は、権力者が自らの権力を行使することに重点を置くようになり、個人の自由や尊厳を脅かすものとなったということです。
アーレントは、「人間の条件」を考えることで、近代政治の問題を明らかにしようとしました。彼女によれば、人間は「プライバシー」と「パブリック」の2つの領域を持っています。プライバシーは、個人の内面的な領域であり、パブリックは、集団的な領域であり、政治的な権力が行使される領域です。
しかし、近代政治は、この2つの領域を混同し、政治的な権力が個人のプライバシーに干渉することを許容するようになってしまいました。これによって、個人の自由や尊厳が侵害され、人間の条件が破壊されることになりました。
アーレントは、自由と尊厳を守るためには、政治的な権力がプライバシーに干渉することを禁止することが必要であると主張しています。彼女は、政治的な権力が個人のプライバシーに干渉することは、人間の自由や尊厳を脅かすものであると考えています。
そして、全体主義やナチズムは、ハンナ・アーレントが非常に厳しく批判した政治的な体制です。
まず、全体主義とはなにか。全体主義とは、個人の自由や権利よりも、国家または集団の利益を最優先する政治的イデオロギーです。全体主義は、国家や政府が市民の生活のあらゆる側面に介入し、人々の自由を制限し、思想や表現の自由を抑圧することがあります。
全体主義政治体制は、権力を絶対的に握り、反対意見を許さず、政治的な意見の多様性を排除する傾向があります。また、国家による国民統制や、特定の民族、宗教、人種などの団体や集団を優遇することがあります。
全体主義は、20世紀の多くの国で見られ、特にファシズムやナチズムなどの形で現れました。これらの政治体制は、権力を中央集権化し、一党制を導入することで、個人の自由を犠牲にして、国家の力を強化しようとしました。
全体主義は、個人の尊厳や自由を脅かし、人権侵害や戦争などの破壊的な結果をもたらすことがあります。したがって、現代の政治においては、全体主義的な思想に対して強い批判が行われています。
アーレントによれば、全体主義は、個人を完全に支配し、個人の自由や尊厳を奪い去ることを目的としています。全体主義体制は、個人を無力化し、政治的な権力を絶対化するために、独裁者による絶対的な支配を必要とします。彼女は、全体主義が個人を単なる「資源」と見なし、個人の人間性を完全に否定することで、個人の自由と尊厳を破壊すると述べています。
同様に、ナチズムは、人種差別主義に基づくイデオロギーであり、全体主義的な支配体制を確立することを目的としていました。ナチズムは、人間の尊厳や平等を完全に否定し、特定の人種や民族を優越的であると定義し、その他の人々を排除することを目的としていました。彼女によれば、ナチズムは、個人を単なる「生物」と見なし、人間性を完全に否定することで、個人の自由と尊厳を破壊しました。
アーレントは、全体主義やナチズムが個人の自由や尊厳を脅かし、政治的な権力が絶対化されることを警告しました。彼女は、個人の自由や尊厳を守るためには、政治的な権力を抑制し、個人のプライバシーを尊重することが必要であると主張しました。アーレントは、個人の自由と尊厳が最も重要であると考え、全体主義やナチズムのような政治的な体制が持つ危険性を強く訴えました。
また、ハンナ・アーレントは、20世紀のフェミニスト運動が起こる以前に活躍した思想家であり、彼女の著作の中には、現代のフェミニスト思想に影響を与えたものもあります。しかし、彼女の思想にはフェミニスト的な視点が欠けているという指摘もあります。
ハンナ・アーレントは、政治的な行為としての自由と公共的な場所における行動が重要であると考えています。彼女は、政治的な行為とは、他者との間で意見を交換し合い、自己を表現し、自由な判断に基づいて行動することであり、このような行為によって自己を確立し、自由を実現することができると主張しています。
一方で、フェミニスト運動は、男女平等や女性の権利擁護を目的としています。この観点から見ると、ハンナ・アーレントの思想は、男性を中心とした公共的な領域に焦点を当てているため、女性の政治的な権利について十分に考慮されていないという批判があります。
しかし、ハンナ・アーレントの思想は、フェミニスト運動においても参考になる部分があります。例えば、彼女は、政治的な行為が自己を確立し、自由を実現する手段であると主張していますが、これは、女性が自己を確立し、自由を実現するためにも必要なことです。また、彼女は、政治的な行為によって自己を確立することができるという点で、女性が自己実現するために必要な政治的な参加を促す考え方を提供しています。
総じて言えることは、ハンナ・アーレントの思想は、フェミニズムとは異なる観点から政治的な行為や自由について考察していますが、その思想は、女性が自己を確立し、自由を実現するためのアプローチとして、参考になる部分があると言えます。
次に取り上げるのは、ジョルジュ・アガンベンというイタリアの思想家です。学生のころ、よくこの人の本を読んでいました。いま読んでいるロベルト・エスポジトもイタリアの思想家なのですが、考え方がどうやら異なるようなので一旦ここでまとめさせてくださいね。
「ホモ・サケル」という用語は、ジョルジュ・アガンベンによって提唱された概念であり、人間の生命のあり方に関する哲学的な問題を探究した彼の著作において中心的な役割を果たしています。
「ホモ・サケル」とは、ラテン語で「裸の人間」という意味を持ちます。そして、これを「剥き出しの生」と定義します。アガンベンがこの用語で指し示すのは、生命を抑圧する政治的な力から逃れるために、その生命を危険にさらすことを余儀なくされた人間のことです。すなわち、生命の価値が無視され、自らの人間性を奪われた状態にある人間のことを指しています。
アガンベンは、現代社会において政治的な力がますます拡大し、人間の生命がより一層抑圧される状況にあることを指摘しています。そして、政治的な力から逃れることができる唯一の手段が、自らの生命を危険にさらすことであることを示唆しています。
つまり、「ホモ・サケル」という用語は、政治的な力から逃れるために、自己を危険に晒すことを余儀なくされた人間の状況を表しており、アガンベンの哲学において重要な概念となっています。
そして、アガンベンは、現代の政治的状況について深刻な批判を行っています。彼は、西洋の政治的伝統が過去数世紀にわたって、権力の拡大と生命の抑圧をもたらしてきたと主張しています。
アガンベンによれば、近代政治は、権力の拡大を目的として、人間の生命を管理し制御するために、社会全体にわたって強力な規制と監視を行ってきました。その結果、個人の自由や尊厳を侵害する政治的な力が横行するようになり、政治的な抑圧や排除が日常的な現象となってしまいました。
アガンベンは、特に現代の国家の状況に対して厳しい批判を行っています。彼は、国家が国民に対して強制力を行使することによって、国民の生命を管理し、制御することを目的としていると主張しています。そして、このような国家の態度は、自由や尊厳を持つ人間の存在を脅かすものであり、社会的な不平等や抑圧を助長することになると警告しています。
アガンベンは、政治的な力によって生命が管理されることを「バイオポリティクス」と呼んでいます。そして、このような状況から抜け出すためには、「ホモ・サケル」として自己を危険にさらすことが必要であると主張しています。アガンベンは、人間の自由と尊厳を守るために、政治的な力に抵抗することが不可欠であると考えています。
つらつらと頭の中を整理させてもらいました。2人に共通する「人間とはなにか」、そして国家に対する個人とはなにかについてを中心にまとめてみました。日本でも起きてしまったオウムサリン事件という大規模なテロ、そして現在進行形で進められているロシアによるウクライナ侵攻。私たちが生きる世界は暴力で溢れていますが、それを思想という面から抑制できないかとわたしは思うのです。今日はちょっと小難しい話ですみませんでした。ただちょっとだけ動いた頭を止めたくなかったんです。また書き散らすとは思いますが、ご容赦を。それでは、プチ・フランス語講座にいってみましょうか。
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今回もc’estを使った文章ですが、疑問文です。
さっそく見てみましょう。
Qu’est-ce que c’est?(ケ・ス・ク・セ?これはなんですか?)
qu’est-ce queが英語のwhatにあたります。語尾にc’est(これ)がついて、「これはなんですか?」となります。そうしたら、c’estを使って
C’est un château.(セ・タン・シャト。これはお城です)と答えれば良いわけですね。リエゾンが入って、「セ・アン」ではなく「セ・タン」となるのが注意ポイントですね。
というわけで、今日のプチ・フランス語講座はお終い。では〜。
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