櫻井義秀『統一教会』(中公新書)における翻訳の剽窃疑惑とその他の問題点について
昨年3月。信頼と実績のある老舗のレーベルである中公新書から、『統一教会』という簡明かつタイムリーな題目の書籍が出版された。著者は、本邦における統一教会研究の第一人者の櫻井義秀氏である。「あとがき」によれば、櫻井氏は2012年に本書の執筆を依頼され、2022年7月の安倍元首相銃撃事件を受けて、中公新書のほうから新書の完成を促され、脱稿に至ったという。
その分野の最高の権威を誇る学者が十年の歳月をかけ書き上げた本書が、中公新書から出版された反響は大きく、朝日新聞や沖縄タイムス、日本ジャーナリスト会議(鈴木エイト氏がこの団体から「大賞」を受けている)のブログ等でも好意的な書評が掲載された。中でも、日本の宗教学を牽引する島薗進氏が、日本経済新聞に本書の書評を寄稿し、読書系ウェブマガジンで2200字に及ぶ「重厚な」コメントを残しているのは注目に値する。
稀代の宗教学者に一点の注文をつけられながらも「新宗教研究書としても高い達成度をもった書物である」と称賛された本書ではあるが、一方で、看過することのできない様々な問題も抱えている。
本記事では、櫻井義秀『統一教会』(中公新書)において、著者の櫻井氏が、個人ブログの翻訳を剽窃したことが疑われる箇所について指摘したい。さらに、不適切な引用、誤植、事実誤認等のその他の問題点も示す。
なお、本稿の内容は、本書の紙書籍の初版の内容に基づいている。電子書籍(Kindle版)ではここで指摘する内容の一部は修正されている(後述)。また、資料や引用内における赤線や赤字、太字は全て筆者TKMTによるものである。
この記事を公開する前に、櫻井義秀氏と中公新書に剽窃が疑われる箇所について2度問い合わせたが、いずれからも返答はもらえなかった。
先に断っておけば、筆者は教会に通っていない信仰のない統一教会2世である。そのため、この記事を書く上で護教的な動機は持っていない。ただし、信仰はないが、信教する自由を自覚的に強く擁護している立場でもある。私の大切な家族や友人の信仰を尊重したいと考えている。また、筆者は2024年1月現在、東京大学大学院総合文化研究科に所属しているが、宗教学や宗教社会学等の宗教研究を専門としていない人文・社会科学系の大学院生である。
剽窃や誤植、事実誤認を指摘するために、このような筆者の立場を明かす必要はないだろう。だが、いわゆるカルト論の議論において論者の立場性が厳しく問われることがある(特に櫻井氏は本書以外のところでこのことを強調している)ゆえ、煩雑な指摘を避けるために、予め筆者の立場を明示しておいた。
櫻井氏は、かつて新宗教団体「摂理」(正式名称は、キリスト教福音宣教会)から盗用の嫌疑をかけられたこと(『人口減少時代の宗教文化論』(北海道大学出版会)第四章第七節。櫻井氏が所属する北海道大学は、研究不正に当たらないと判断した)を論じたり、『週刊ポスト』と統一教会との名誉毀損裁判(統一教会側の一部勝訴)に関わったことを理由に、「カルト」側からの言論への圧力を訴えている(「再販(文庫収録)によせて」『信仰か、マインドコントロールか』(法蔵館文庫))。
そのため本稿も、信教の自由を盾にした「カルト」側からの言論への圧力の一環とみなされるかもしれないが、本稿の意図は、言論への圧力をかけることではなく、ましてや本書の絶版や回収等を求めるものでもないということは強調しておきたい。本書の問題点を指摘することが第一の目的であるし、その指摘に応じて言論の場における議論が活性化されることも望んでいる。相手側から反論があるならば、できるだけ誠実に応じたいとも考えている。その議論における筆者の主張内容の妥当性については読者の判断を仰ぎたい。
1.翻訳の剽窃疑惑
1-1.翻訳の剽窃が疑われる箇所
本書において翻訳の剽窃が疑われる箇所は2つある。第一章で、統一教会教祖夫婦の七男の亨進氏(現サンクチュアリ協会のトップ)の説教を翻訳した以下の部分(①の原文はおそらく韓国語、②の原文は英語)が、個人ブログの翻訳と丸かぶりする。
剽窃の疑いを指摘しているから当然のことではあるが、本書には、翻訳の出典は明記されていない。
櫻井訳①
櫻井訳②
これらの翻訳が、ちゃぬ氏という統一教会元信者が運営している個人ブログに掲載されている内容と酷似する。(翻訳の初出は不明もしくは他の個人ブログの記事であるが、後述の理由により筆者は櫻井氏がちゃぬ氏の記事を「参照」したと考えている。なお、翻訳の初出はちゃぬ氏のブログ記事ではないが、本稿では便宜上、ちゃぬ氏のブログに掲載された翻訳を「ちゃぬブログ掲載訳」として引用する)
ちゃぬブログ掲載訳①
ちゃぬブログ掲載訳②(初出はFollow My Heart氏による訳)
改めて、櫻井訳とちゃぬブログ掲載訳を並べて比べてみよう。
櫻井訳①:何故私たちはお父様を恥ずかしがりますか。キリスト教がそのような話を出す時どうして私たちは隠れますか。何故摂理的に説明できませんか。はっきりとした摂理的な道であったのに
ちゃぬブログ掲載訳①:何故私達はお父様を恥ずかしがりますか。キリスト教がそのような話を出す時どうして私達は隠れますか。何故摂理的に説明できませんか。はっきりとした摂理的な道であったのに
櫻井訳②:私は、お父様の六マリアを恥じません。私は、真の御父母様が幸せな結婚でなかったことを恥じません
ちゃぬブログ掲載訳②:私は、お父様の6マリアを、恥じません。私は、真の御父母様が、幸せな結婚でなかった事を、恥じません
漢字のひらき、漢数字、読点の位置を除けば、一言一句、同一の内容である。これだけでも剽窃の疑いが濃いと言えるが、さらに疑惑を深める事実が2つある。
1-2.剽窃の疑いをさらに深める事実①:誤訳や拙い訳まで全く同じ
櫻井訳②は、原文と照らし合わせてみると、誤訳であることを確認することができる。原文は、下記のとおりである。
これを正しく翻訳するならば、「私は真のお父様の六マリアを恥じません。私はサミー〔筆者注:朴サムエルという人物のこと〕を恥じません。私は、真のご父母様が幸せな結婚生活を送れなかったことを恥じません」となるだろう。
櫻井訳②は、どういうわけか「I'm not ashamed of Sammy!(私はサミーを恥じません)」という部分を訳出していない誤った訳文である。これはちゃぬブログ掲載訳②も同様である。
加えて、"I’m not ashamed of True Parents not having a happy marriage!" も、櫻井訳②とちゃぬブログ掲載訳②はどちらも(読点の位置等は違うが)、「私は、真の御父母様が幸せな結婚でなかったことを恥じません」と訳されている。たしかに文章の意味することは理解可能ではあるが、「真の御父母様が幸せな結婚ではなかった」という部分は日本語として少し不自然である。「私は、真のご父母様が幸せな結婚生活を送れなかったことを恥じません」と訳すほうが適切だろう。
正確で短い翻訳文が被ることは一応はあり得ても、誤訳や拙い訳まで全て同一になるということは剽窃でない限りほとんど奇跡的なことのように思う。
1-3.剽窃の疑いをさらに深める事実②:亨進氏の説教の選定が個人ブログと被る
上記の通り、櫻井氏は、本書45頁で亨進氏が2010年10月18日、2015年3月15日に説教した内容を引用し翻訳している。これらの引用によって、初期の統一教会においていわゆる「血分け」の儀式が存在したことを示唆しようとしている。本稿では血分けの存在の真偽については論じない。問題となるのは、数多くある亨進氏の説教から選び取った内容が、上記のちゃぬ氏のブログ記事と被ることである。
筆者が調べた限りでも、亨進氏が血分けの存在に関わることについて論じたことは、本書で引用された説教を含め、少なくとも13度ある。13の説教の当該部分を全て読んでみたが、その中から櫻井氏が本書で引用した説教を選ぶべき必然性は見当がつかなかった(どのような基準でこれらの説教を選んだのか櫻井氏に質問したが、前述の通り回答はなかった)。
極めて単純化した計算ではあるが、これらの13の説教から完全にランダムで2つの説教を選んで、ちゃぬ氏の記事による説教の選定と被る確率は、1/{(13*12)/2} = 1/78 である。翻訳が完全に一致したことからも、筆者は、櫻井氏がちゃぬ氏のブログ記事を「参照」し剽窃した可能性が極めて高いと考えている。
以上のように、本書には個人ブログの翻訳と(読点の位置等を除いて)完全に一致する翻訳文が存在することから、著者の櫻井氏が剽窃した疑いが濃いと言えるだろう。しかも、誤訳や拙い訳までが一致し、偶然にも個人ブログの記事の内容とも被ることから、その疑いはより濃厚なものになっている。
ちなみに、剽窃の指摘とは別の問題であるが、櫻井訳①の原文(韓国語)の出典となる資料は不明である。統一教会本部職員に問い合わせ、ネット上でも時間をかけて調査をしたが、筆者の力不足でついには出典資料を見つけることはできなかった。これについても櫻井氏に問い合わせたが返答はない。
まさか櫻井氏は、櫻井訳①の原文の出典資料の存在を確認しないまま、ちゃぬ氏の記事だけ読んで、著書で引用したということはないであろう。それゆえに、櫻井訳②においても、原文から訳出していない部分に気づけなかったということはないと思いたい。だが、もし、そうであれば剽窃の疑いがあるだけではなく、本書の論を立てる上で出典も明記せずに、教団の資料や学術研究でもなく、個人ブログの記事の情報に大きく依拠したことまで疑われる。
さらに蛇足になるが、櫻井氏が「参照」した可能性が極めて高いブログの運営主であるちゃぬ氏は、統一教会教祖の韓国語の膨大な説教集(『文鮮明先生御言選集』等)からその時の特定のテーマに沿って「御言」をピックアップし日本語に翻訳するなど、たしかに貴重な情報を提供してくれることもある。
一方で、統一教会とフリーメーソンとの関係を語ったり、統一教会がCIAから洗脳プログラムを一億円(安い!)で購入したという説を述べるような典型的な陰謀論者でもある。基本的に、ちゃぬ氏は、点と点を強引に結びつけて「陰謀」を見出すタイプの人物だと考えたほうが無難である。さらに、韓国人は「息を吐くようにウソをつく」などという読むに耐えない嫌韓論を平然と披露する差別主義者でもあるから要注意だ。韓国語の原文にアクセスし前後の文脈を把握することができ、かつ、統一教会に関する背景知識があるのではない限り、ちゃぬ氏のブログを参考にするのはリスクが高いと言えるだろう。
櫻井氏が書いた本書を高く評価している(その内容は本稿の冒頭で述べた通り)宗教学者の島薗進氏も、X(旧ツイッター)上で、政治と統一教会の関係を示唆するちゃぬ氏のポストを度々引用し、拡散しているのだから興味深い。政治と統一教会の関係について考察した、島薗進編『これだけは知っておきたい 統一教会問題』(東洋経済新報社)第5章や『政治と宗教』(岩波新書)第1章、「統一教会と現代日本の政教関係」『自壊する「日本」の構造』(みすず書房)を書き上げる際にも、ちゃぬ氏の「論考」を参考にしたのだろうか。
櫻井氏が、「自民党政治家と統一教会との関係であれば、鈴木エイトさんというジャーナリストの方の情報が正確」と高く評価している鈴木エイト氏もちゃぬブログの「愛読者」である。
追記(2024/04/02):櫻井訳は、「(翻訳された)一次資料の孫引き」であり、新書のような一般書ではそのような場合に出典を明記しないことも普通であるという意見がある。しかし、この指摘は失当である。
ここで言う「一次資料」とは、統一教会公式もしくはそれに準ずる資料(翻訳)であると思われる。譲歩すれば、そのような「一次資料」から引用することはある程度は自明であるから、一般書において出典を省略するということも理解し得る。しかし、上述した通り、櫻井訳②の初出は個人ブログ( https://ameblo.jp/truemoonycanada/entry-12003332497.html )であり、ブログ運営主のFollow My Heart氏も「私の要約」であると明言している。したがって、少なくとも櫻井訳のうちの一つは、「一次資料」ではなく、個人ブログから「コピペ」したものと言って間違いないだろう。
さらに櫻井訳①も、櫻井氏及び中公新書に出典となる資料を示してほしいと要望したが、一切の返事がなかった。個人ブログ掲載の訳と櫻井氏の訳は一言一句、同一であり、しかも櫻井氏は2-1で示す通り、教会の公式文書ではなく運営者身元不明のブログから引用することがある。これらのことから判断すれば、櫻井氏が「一次資料」なるものを確認していなかった可能性は十分にあると言えよう。
学術に携わる者の中で、「一次資料の孫引き」という形で、無理くりに櫻井氏を擁護する人達がいることが残念でならない。
2.その他の問題点
本書には、上述した剽窃疑惑以外にも、不適切な引用や多数の誤植、事実誤認がある。ここでは、それらの中の一部について論じる。
2-1.運営者の身元不明のブログからの引用
本書の3頁では、統一教会の教団内の「憲法」(天一国憲法)の前文や条文が引用されている。教団の「憲法」を引用するのだから、出典は教団の公式文書であって然るべきだろう。しかし、本書では、出典は「『天一国 憲法 摂理的葛藤に対する真の視角と理解』HP」と書かれている。
これをGoogleで検索すると、記事タイトルとブログ名が一致する以下のブログ記事がヒットした。
ブログの運営者の身元は不明である。ブログの目次等を読むと、統一教会(家庭連合)と敵対するいわゆる分派の家庭平和協会(統一教会教祖の三男が率いている団体)系のブログであることもわかる。
櫻井氏は、統一教会の「憲法」を引用する際に、あろうことか、教団の公式文書ではなく運営者の身元不明かつ統一教会と敵対するいわゆる分派系のブログ記事を参照したことになる。一般向けの新書とはいえ、研究者が書く書籍としてはあまりにお粗末な内容ではないだろうか。
ブログ記事を参照したため、案の定と言うべきか、引用した内容も不適当なものになっている。本書では、天一国憲法の条文がいくつか引用されているが、その中には18条の「天一国国民は天一国摂理のために寄付または献金をしなければならない」という文がある。だが、この条文は2013年の旧版のものであり、2016年に改定された最新版の「憲法」では、18条から15条1に移り、内容も「天一国国民は、天一国摂理のために自発的に寄付又は献金をすることができる」に変更している。
「天一国国民は天一国摂理のために寄付または献金をしなければならない」(旧版)と「天一国国民は、天一国摂理のために自発的に寄付又は献金をすることができる」(最新版)とでは、印象は、180度までとは言わないまでも、大きく変わるのは確かであろう。櫻井氏が、意図的に旧版の「憲法」を引用したのか、それとも教団の最新の公式文書を参照する能力を持っていなかったのかは不明であるが、いずれにせよ引用が不適切であったことは否定できない。
他にも、天一国憲法に関する不適切な説明や最新版の「憲法」と比較すれば誤情報と言える内容もいくつかあるが、教団の公式文書が存在するにもかかわらず運営者の身元不明のブログ記事から引用したことと比べると、些末な内容になるのでここでは指摘を控えておきたい。
2-2.数多くの誤植、事実誤認、矛盾
本書には、多くの誤植や事実誤認、矛盾点も存在する。
本書の第一章は、統一教会の歴史を踏まえた上で、統一教会の成り立ちが記述されている。統一教会は韓国朝鮮発祥の宗教であるから、当然、韓国人や韓国朝鮮にまつわる事柄が、多くの場面で関わってくるし、本書にも多数登場する。本書では、韓国人の名前等にルビが振られているが、あまりにも誤りが多い。間違いと言えるか微妙なラインのものは除き、甘めに見てもはっきりと誤りだと言えるルビは以下の通りである。本書の第一章にこれだけのルビの誤植がある。
1. クンモニム(訓母様)(6頁)×
→フンモニム◯〔훈모님〕
2. トンガク(東学)(15頁)×
→トンハク◯〔동학〕
3. イウシン(李有信)(24頁)×
→イユシン◯〔이유신〕
4. イギエン(李奇淵)(30頁)×
→イギヨン◯〔이기연〕
5. ナチェソゥ(羅最燮)(33頁)×
→ナチェソプ◯〔나최섭〕
6. ヤンユヨン(梁允永)(43頁)×
→ヤンユニョン◯〔양윤영〕
7. カンイヨン(姜義弘)(44頁)×
→カンイホン◯〔강의홍〕
8. キムヨンギ(金榮輝)(50頁)×
→キムヨンフィ◯〔김영휘〕
9. ジョンデワ(鄭大和)(同上)×
→チョンデファ or ジョンデファ◯〔정대화〕
これらの他にも人名を間違えていたり、カタカナ表記は正しいものの漢字を誤っているものもある。
10. 康卿淑(カンギョンスク)(30頁)×
→康淑卿(カンスクキョン)◯〔강숙경〕
11. 韓忠燁(43頁)×
→韓忠嬅(ハンチュンファ)◯〔한충화〕
韓国語では、漢字の読みは(例外はあるものの)原則として一字に一つしかないため、韓国語の漢字辞典さえ引けばルビを間違えることはほぼない。仮に間違えたとしても、辞典を引いた上での誤りは大抵、読めばそれを認識することができる。しかし、櫻井氏のルビの誤りは辞典を引いた痕跡すらないものばかりである。
たとえば、7番の「姜義弘」の「弘」は、日本人にも馴染み深い観光地にもなっている「ホンデ(弘大)」の「ホン(弘)」である。本書では、これに「ヨン」というルビを振っている。日本語の音読みや中国語の発音ですらなく、なぜこのようなルビを振ったのかも理解し難いものである。まさかとは思うが、雰囲気だけでなんとなくそれっぽいものをオリジナルで「当て字」したということはないだろうか。
1番の「訓母様」は、日本人信者のあいだでも「フンモニム」と頻繁に呼ばれているから、現役信者からまともに聞き取り調査さえしていれば、音から覚えて間違えることもなかったであろう。筆者は、櫻井氏が、「外堀からの調査」(『「カルト」を問い直す』(中公新書ラクレ)21, 22頁)や、「カルト問題研究者の当事者性」(『カルト問題と公共性』(北海道大学出版会)63-65頁)を掲げて、日本在住の現役信者からの聞き取り調査を忌避して、それを正当化してきたことも、このようなミスが生じた一つの背景要因となっているように思う。
櫻井氏が、日本における統一教会の活動にのみ焦点を置いた研究をしているならまだしも、韓国朝鮮発祥の宗教の歴史や教義にまで踏み込んだ研究をしているのだから、韓国語の漢字辞典すら引かないような研究姿勢は、いい加減すぎるものと言えるのではないだろうか。必要とされる最低限の語学力を身に着けていないまま、このような研究を進めるのも「専門家」としてはなかなか冒険的なことであるように思う。
本記事の本筋からは逸れるが、統一教会問題をめぐる言論を語る上でも、重要な論点でもあるので、「外堀からの調査」について付言しておきたい。「外堀からの調査」とは「教団の外側から内側に迫ろうとする調査」であり、裁判資料や教団に批判的な離教者や団体から提供される資料を用いて行う調査だという(『「カルト」を問い直す』22頁)。本書では、日本在住の現役信者のあいだでは、他の言葉に置き換えられ、現在はあまり用いられない「古い」用語(たとえば「エバ国家」「ヤコブ」など)が、その「新しい」用語(「母の国」「信仰2世」など)以上に散見される。これは、離教者など教団から離れたアクターから情報を得ることの限界を端的に示していることのように思うが、本書は読者に向けてその限界について明示していない。
単純に考えても、裁判資料や離教者から情報を得る場合に、どうしても情報のタイムラグが生じることはわかるだろう。統一教会研究の「第一人者」による情報に頼るあまり、現在の教団とは離れた内容が、言論の中で行き交っている可能性も考えたほうがいいのではないだろうか。
これらのルビの誤り以外にも、統一教会(家庭連合)の教理研究院が発行した、本書に対する反論文でもいくつかの問題が指摘されている。この反論文は、興味深い内容が含まれてはいるものの、護教的な側面が強く、文章の癖も独特で、非関係者が読むには様々な意味で苦しい内容になっている。ただし、17, 18頁に掲載されている誤植や事実誤認の指摘は外部の人間でも読む価値があるだろう。
たとえば、本書(『統一教会』)の163, 164頁には下記のような文章がある。
さらに、その数行後には、「韓鶴子の母親(太母様)」とある。(頁を跨ぐが)分量としては、1頁にも満たないこの文章の中に、以下の通り、4つの誤植があると、上述の教理研究院の反論文は指摘している。
12. 漢方病院×
→韓方病院◯
13. 正心苑×
→情心苑◯(現在は、天心苑)
14. 親和官×
→親和館◯
15. 太母様×
→大母様◯
その他にも、下記のように数多くの誤植、事実誤認、矛盾点が指摘されている。
16. 矛盾点:「洪順愛は文鮮明が統一教を創設する〔筆者注:1954年〕前に活動していたころからの信者」(42頁)と「韓鶴子の母親は洪順愛(1914~89)であり、1955年に入信したとされる」(48頁)
17. 興進は文鮮明の長男(168頁)×
→興進は文鮮明の次男◯
18. 1975年の1800組の合同結婚式には、10代会長の大塚克己前会長が参加している(183頁)×
→1982年の6000組の合同結婚式には、8代および10代会長の大塚克己元会長が参加している◯
19. 小笠原節子(56頁)×
→小河原節子◯
20. 〔崔奉春(西川勝)宣教師が〕1958年7月に福岡に上陸したものの(同上)×
→福岡県の小倉港に入港したが、上陸の許可が下りず◯
21. あべともゆき〔阿部知行氏のルビ〕(108頁)×
→あべのりゆき◯
22. 藤井菱雄(ふじいひしお)(同上)×
→藤井羑雄(ふじいみちお)◯
23. 桜井節雄(118頁)×
→桜井設雄◯
この中でも17番の誤りは統一教会研究を専門とする研究者による誤りとしては深刻なものである。「興進」とは統一教会教祖夫婦の次男であり、10代の若さで交通事故で亡くなった人物である。統一教会内でこの出来事は教会の歴史上、重要なものとして位置づけられ、興進氏が次男であることも教義と関連付けられて解釈されている。当時は、教祖夫婦の写真と一緒に興進氏の写真を飾っていた信者家庭も多かったようだ。
さらに長男の孝進氏(故人)は、スキャンダルなどで失脚するものの、そのカリスマ性から一部の信者達には、亡くなったいまも慕われている人物である。元妻による孝進氏のスキャンダルの暴露によって、少なくない統一教会信者が脱会したため、反カルト運動内でも有名な人物でもある。
このようなことから、信仰歴が極めて浅い信者ならともかく、一定程度の期間、信仰を持ってきた信者ならば、興進氏が「長男」であると誤認していることはほぼあり得ない。統一教会研究の第一人者である櫻井氏は、この興進氏について「長男」だと記してしまっている。
教理研究院は、(具体的には挙げていないものの)その他にも多くの事実誤認や誤植があると指摘している。筆者のほうでも上に挙げたもの以外にも、八割、九割方、事実誤認であるという内容を多数確認しているが、裏を取って事実確認をするだけでも膨大な時間がかかるため、本稿ではそれらを指摘しないでおきたい。
最後に、参考になるAmazonレビューがあったので紹介したい。評者は、統一教会に批判的な立場で、天地正教の元信者でもある。
本書の天地正教と関わる部分(本書の紙書籍の頁数で言えば5頁にも満たない量)において多くの誤りが指摘されていて、その誤りも当時の公開情報から確認することができるものだけに絞ったものだという。(数え方によるが)天地正教に関する部分で誤りが5つ、それ以外の部分での誤りが1つ記されている。
天地正教とは関係がない部分ではあるが、最後の内容は特に重大なものではないだろうか。本書の第二章にある「統一教会と立正佼成会」という項目の中での事実誤認の指摘である。櫻井氏は、立正佼成会の庭野日敬開祖が統一教会の研修会に息子を送ったと述べ、「久保木〔筆者注:日本統一教会初代会長〕によれば」という断りを入れた上で、その「息子」が、長男の庭野日鑛氏(立正佼成会現会長)だと明記している。
櫻井氏は、わざわざ括弧で「後の庭野日鑛」と補足しているが、これは誤りである。研修会に参加したのは次男の欽司郎氏であった。
24. 庭野日鑛(60頁)×
→庭野欽司郎◯
この内容は筆者も独自に立正佼成会側と統一教会側に問い合わせたが、どちらも、研修会に参加したのは次男の欽司郎氏であると返答した。したがって、上記のAmazonレビューの指摘は正確なものと言える。
さらに言えば、櫻井氏は、「久保木によれば」と書いているが、本書の参考文献に挙げられている久保木氏の発言や講演内容等をまとめた二冊(『久保木修己講演集』(光言社)と『美しい国 日本の使命――久保木修己遺稿集』(世界日報社))を確認しても、久保木氏は庭野日敬開祖が「ご子息」(『久保木修己講演集』42頁)「息子さん」(同46頁)を統一教会の研修会に送ったとは言っているものの、その「ご子息」もしくは「息子さん」が庭野日鑛氏であるとは述べていない。櫻井氏は、なぜ久保木氏が言ってもいないことをわざわざ括弧で補足してしまったのだろうか。
立正佼成会の現会長である庭野日鑛氏が、「後継者として信者の模範にふさわしくない息子」だったと評された上で、他宗教の研修会に参加して人が変わったと記されているのだから、立正佼成会側からすれば宗教法人の名誉に関わってくる問題であろう。
上記のAmazonレビューでも書かれている通り、櫻井氏と中公新書は早急に修正すべき点を周知し、謝罪しておいたほうがいいのではないだろうか。
補足:電子書籍版(Kindle版)の修正点について
なお、これまでに指摘した誤植や事実誤認の中で、筆者が特に深刻だと述べた17番と24番の内容は、Kindle版のほうではすでに修正されたことを確認している。Amazonのヘルプページによれば、Kindle版の書籍は、ユーザーによるハイライトやメモが削除されてしまうことがあり得るので、原則として購入した時点での版のまま保存され、アップデートされることはない。ただし、出版元がAmazonに連絡し、その内容が審査された上で「重大な品質上の問題が修正された場合のみ」、元の版を購入した読者にも改訂版が配信されるようになる。
筆者がKindle版の本書を購入した時点では、17番と24番の内容はまだ修正されておらず、本記事を執筆するにあたって修正版が配信されていたことを確認した。つまり、中公新書は、少なくとも17番と24番の内容は「重大な品質上の問題」であると認識し、修正し、Amazonに連絡した上で改訂版を配信したことになるであろう。それならば、電子書籍の元の版を購入した人たちにその差分を知らせるためにも、紙書籍を購入した人たちに向けて修正点を周知するためにも、本書の正誤表を公表したほうがいいのではないだろうか。
最後に
これまで論じてきた通り、櫻井義秀『統一教会』(中公新書)の内容は、翻訳の剽窃疑惑や不適切な引用があり、誤植、事実誤認、矛盾も数多く確認される、問題点の多いものになっている。
本来ならば、統一教会の教義や信仰実践に対する一方的な悪意のある解釈、著者の立場性(自覚的に反カルト運動のプレイヤーとして動いていること)を明らかにしない不誠実さ、日本在住の統一教会現役信者には聞き取り調査を行っていない欠陥、韓国朝鮮の文化(「恨(ハン)」など)についての通俗的な誤解、論争的な「事実」に対する慎重さの欠如、ほぼ間違いなく参照し論を立てる上で大きく依拠したであろう研究を参考文献に挙げていないこと等の内容を指摘し、主張の中身、研究方法の妥当性に踏み込みながら実りある議論を展開したかったところである。残念ながら、本書にはそれ以前の問題があまりにも多く、本稿では論じることのできなかった部分が多々ある。また機会があれば、これらについても論じたい。
最後に、櫻井義秀氏と中公新書との因縁を振り返った後、統一教会が解散命令請求を受けた現在の話に戻りながら、櫻井氏やその周辺のアクター達をめぐる、これまでの問題を指摘し、本稿を締めくくりたい。
櫻井義秀氏と中公新書との因縁を振り返る
櫻井義秀氏と中公新書との組み合わせの因縁は、2006年に中公新書ラクレから出版された『「カルト」を問い直す』に遡る。実は、この時にも大きな問題が生じていた。本書の第三章「宗教をやめない自由VS.やめさせる自由――脱会カウンセリングへの告発」では、統一教会信者に対する「脱会カウンセリング」に関する内容が論じられている。この章で櫻井氏は、宗教ジャーナリストの(安倍元首相殺害犯が手紙を送った人物でもある)米本和広氏のルポ(「書かれざる「宗教監禁」の恐怖と悲劇」『月刊 現代』)を批判的に取り上げた。そのルポの内容は、「脱会カウンセリング」が、本人の同意もなく完全な密室の監禁下で長期間(数ヶ月や数年)行われることがあり(元)信者達にPTSD等の重大な被害が生じていることを告発するものだった。
櫻井氏の批判を受けて、米本氏はそれに反論するような形で櫻井氏に質問状を送っている。筆者は、20にも及ぶ米本氏の質問全てが揚げ足取りのようなものでもなく、検討に値する真摯なものだったと判断している。しかし、当時、櫻井氏はその質問状に実質的にほぼ無回答で応じた。櫻井氏は、著書の中で自ら批判的に取り上げた相手が、丁寧に反駁する質問状を送っているにもかかわらず、それにほぼ応答せず一方通行で批判したままであった。『「カルト」を問い直す』を出版してから、8年後に『カルト問題と公共性』(北海道大学出版会)の第二章第四節「脱会カウンセリングと信教の自由」において米本氏に対する「回答」とも言えそうな内容を書いているが、それも質問状の問いには正面から答えず、自論を繰り返すことに留まっている。筆者は、学者として無責任な姿勢であるように思う。
さらに、櫻井氏が上述の第三章の中で(名前は明記していないものの)取り上げた、「脱会カウンセリング」経験者であり被害者でもある統一教会元信者の宿谷麻子さんが、「大学教授だからといって、勝手に他人の病気の原因を特定する事は、許される事ではありません」という内容を含めた、櫻井氏に抗議をするような感想文をアップしている。筆者が知る限り、櫻井氏がこれに真剣に対応した形跡はない。
この時に、中公新書の編集側が書籍への批判に真面目に応じたり、宗教研究者をはじめとする学術界が櫻井氏に厳しく見解を求めていれば、その後の櫻井氏の統一教会研究における様々な問題は生じなかったかもしれない。
たとえば、その後の櫻井氏の研究では、読者が裁判資料や統一教会側の資料を読まない(もしくは読んでも見逃してくれる)ことを前提にしたような、事実が歪められた内容が論じられることがある(本稿の1で指摘した「誤訳」の剽窃疑惑や、2-1での天一国憲法の不適切な説明、2-2で論じた、庭野日鑛立正佼成会現会長の件もそのようなケースと言えるだろう)。櫻井氏は、北海道大学出版会版の『統一教会』ではデータの歪曲とも言えるような内容を書き、同出版会の『カルト問題と公共性』(新版は、『信仰か、マインド・コントロールか』(法蔵館文庫))では、統一教会側の資料について明らかな虚偽の内容を含めた論評をしている。どちらの文献も国から助成金を受けた研究に基づいているものである。
解散命令請求と統一教会をめぐる言論状況
さて現在の話に戻るが、昨年10月13日、政府から統一教会に対して解散命令請求が出された。
しかし、統一教会をめぐる言論を振り返ると、統一教会に関してトップランナーを務めているはずの学者が書いた著書がこれほどまでに杜撰な内容という状況にあり、日本における宗教学の泰斗である島薗進氏がそれを称賛する事態にある。
島薗氏は、他にもマネー現代に掲載された片岡亮氏による「旧統一教会の信者が働くボランティア団体に振り込まれた『大金』…不可解な『資金移動』の裏側」という記事をX上にて何度も引用し拡散したが、これは後に記事に登場する人物まででっち上げた全くのデタラメな内容であることが判明している。そのため、マネー現代からも記事が削除され、島薗氏も指摘を受けて関連ポストを削除するに至っている。櫻井氏の研究のような「外堀からの調査」だけに頼らず、現役信者の一人にでもこの粗雑な記事の感想を聞いていれば、このようなことにはならなかったはずであろう(現役信者なら登場人物の言葉遣いからすぐに違和感を抱く内容だった)。
解散命令請求に対してどのような立場にいたとしても、統一教会をめぐるこのような言論状況にも煽られ、基本的人権である信教の自由と密接に関連した解散命令請求が出されたことが何を意味するのか、一度、立ち止まって考えてみる必要があるのではないだろうか。
櫻井氏は、これまで「カルト研究」において社会科学研究者は社会の「共同の物語」を作り上げていく責任ある当事者の一員であるとしてきた(『カルト問題と公共性』63-65頁)。社会学者の立場から、「外堀からの調査」という名目で、巧妙にカルト視される側(や、その「シンパ」とみなされる人たち)の証言を信頼すべきではないものとして排除し、反カルト側の証言に依拠しながら、社会にあふれたステレオタイプな認識である、悪と正義が対峙する「カルト対反カルト」、もしくは「『まともではない』人たち対『まともな』人たち」という構図を再生産してきたのではないだろうか。その構図の中で、櫻井氏の統一教会研究及びカルト問題研究に対して、批判的に言及することが躊躇せざるを得ない状況が生じていても不思議ではない。
中公新書版の『統一教会』は、批判者の言葉が届かない、緊張感の希薄化から生まれた「集大成」と言うべきものであり、その意味で「高い達成度」を誇る書物と考えることもできるだろう。
カルト視される側の問題点を適切に批判することが必要であっても、一方で、「識者」達が再生産した構図の中で、社会が無意識のうちにそれぞれの主張内容を具体的に検討する前に、「カルト側」という立場には「まともではない」、「反カルト側」という立場には「まとも」というタグをつけて、それぞれの証言を不正に扱ってきた部分がごく一部だとしてもあるのではないか。本稿が、そのように問い返すきっかけとなり、統一教会問題において健全な緊張感のある議論が少しでも取り戻される一助になることを願いたい。
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本稿の性質上、迷惑をかけかねないので、名前を挙げることはできませんが、記事の執筆をする上で、統一教会(元)関係者(統一教会職員、現役信者、元信者)、統一教会外の宗教関係者、識者など、多くの方々にご協力、助言を頂きました。改めてこの場を借りてお礼申し上げます。
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記事執筆後&公開前の追記:『月刊住職』に掲載された櫻井義秀氏による統一教会問題に関する連載記事が、2月10日に『明解 統一教会問題のすべて――宗教に無関心の人も宗教者も知らなかった事実』として出版されるとのこと( https://www.kohzansha.com/tankoub43.html )。楽しみにしておきたい。
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記事公開後の追記
追記1(2023/1/28 午後11時):櫻井義秀氏と中公新書宛に、本記事を公開したことを通知した。私のほうに誤りがあれば指摘してほしい旨を伝えている。中公新書宛には、Kindle版の修正点を具体的に教えてほしいと、別途で問い合わせた。Kindle版の修正があったために、筆者が記録したはずのハイライトとメモが消えてしまったと述べておいた。
追記2(2024/02/01 午前11時):メールにて、中央公論新社の「総務局 ライツ担当」宛に、著作権と関連付けて剽窃疑惑に関する内容を問い合わせた。
追記3(2024/02/04 午後9時):本記事の公開した日(2024/1/27)に、X上にて島薗進氏に、剽窃疑惑、多数の誤植等がある本書についての見解を求めたが、1週間経っても返答が無かった。昨日(2/3)、改めて見解を訊いた。
追記4(2024/02/10 午後6時):研究者による翻訳の剽窃に関連した過去の事例について、記事に整理した。
追記5(2024/03/05 午前11時):日本宗教学会、「宗教と社会」学会それぞれの倫理指針において剽窃が禁じられていることと照らし合わせながら、両学会に、櫻井義秀氏による剽窃疑惑に関連して質問を送った。櫻井氏は、日本宗教学会で常務理事、「宗教と社会」学会で常任委員を務めている。質問内容は、常務理事、常任委員に倫理指針に背く行為があった場合、どのような処分を下すのか、櫻井義秀氏の剽窃疑惑に関して調査を行うか、というものである。
追記6(2024/04/16 午前10時):追記5の問い合わせに対して、日本宗教学会から返答があった。「宗教と社会」学会は対応を検討中とのこと。
追記7(同上):宗教文化士制度を運営する宗教文化教育推進センターに櫻井氏の剽窃疑惑について問い合わせをした。櫻井氏は、専門宗教宗教文化士であり同団体の運営委員である。同団体は、規定第19条で「CERC〔筆者注:宗教文化教育推進センターのこと〕は、前二条の違反又は社会通念上相当と認められる範囲を逸脱した行為若しくは不作為により、宗教文化士等に相応しくないと判断した者の宗教文化士等の認定を取り消すことができる。」と定めている。
追記8 (2024/04/17 午後2時):櫻井義秀氏が、中外日報の評論欄にて本件について、「私も、昨年刊行した中公新書の『統一教会―性・カネ・恨から実像に迫る』に対して、半年来、匿名の統一教会宗教二世から剽窃・研究不正のクレームをネット上にあげられ、出版社や私の所属学会にも送りつけられた。」( https://www.chugainippoh.co.jp/article/ron-kikou/jiji/20240412.html )とコメントした。私からの3度の連絡には一切答えず、論拠を示した剽窃疑惑の訴えに対して、「クレーム」「送りつけられた」とあたかも不当な圧力のように述べている。このような研究者が、真っ当に批判されない専門家コミュニティが存在することが非常に残念である。