そこ、 土足禁止ですよ
私は基本オープンな、自動ドアタイプの性格だと思う。
心の奥底の扉は頑丈に鍵もかかっていて滅多に開かないけれど、心の入り口にあるドアは自動ドアだ。誰かが来たら、ウィンっと開く。
そりゃ秘密はちゃんと守るけど、自分のことに関しては聞かれたら答えるし、警戒心は多分そこまで強い方ではない。すぐに人の言うことを信じる。人を信用しすぎる。いや、単に自分軸がブレブレで意志が弱いのかもしれない。自分のことながらよくわからない。
なんでもかんでも他人からの言葉をストレートに、まずは素直に受け入れる。
「お前はだめだ」と言われたら、私はだめなのだと思う。
「何もできないよね」と言われたら、私は無力なのだと思う。
「ポジティブだよね」と言われたら、楽観的な方だと思う。
「ネガティブだよね」と言われたら、鬱だもんと思う。
「〜しなきゃいけないよ」「〜しないと○○になれないよ」と言われたら、(あぁそうなのか・・・やらなきゃ・・・)と大体思ってしまう。それが正解かどうか判断する前に、やらねば!と発進する。どこまでも自分を追い詰める。
身体に不調がでてから「あれ?」と目的や自分のやっていることが急にわからなくなる。なんのために、誰のために、私は何をしているのか。
こうして私は、いま、どこにいるのかよくわからない。
現状がよくわからない。
何を、誰を信じればいいのかわからない。
初夏に転院してから今も週1で精神科に通っている。
先生は優しく、鋭い。「メンタリストDaiGoだ!」と未だに何度も思う。
先生のことは心から信頼している。
先週の通院で「上瀧さんは双極性障害の疑いもあるから、それをこれから見極めながら薬も調整していきます」と言われた。はて、双極性障害とは。うつ病とは違うのか?
その後自分なりに双極性障害について調べた。とりあえず、現状では「自分が双極性障害なのかどうか」まだわからない。たしかに可能性は考えられる・・・と身に覚えを感じつつも。
どんどん休職が延びるなか、家族とは頻繁にモメる。家族もどこか疲弊しているのがわかる。家族とか関係なく誰だって心に余裕があるときはみんな他者にも優しくできると思うけど、忙しい時には家族だからこそ鋭すぎる言葉が降りかかってくることが多々ある。
「何もできないクズになっちゃって」
「ずっと引きこもってみっともない」
家族以外からも悪気なく、不意打ちに痛い言葉を投げられる場合もある。
「まだ治んないの?」
「ずっと休みでいいな」
そんな言葉たちは時に頑丈な心の鍵も扉もぶった切って奥まで突き刺さってくる。
そのたびにボロボロになって消えたくなる。居場所がないと感じる。逃げようとするにもお金もない。どんどん医療費に消えていく。「あぁ鬱になんてなっていなければ・・・」何度そう思ったか。イライラ、不安、怒り、後悔、過去の自分、、行き詰まる気持ち。止まらない負の連鎖。
でも、最近思った。
やっと、気づいた。
全ての言葉を そのまま心に刻む必要はない。
突き刺さった矢をそのまま刺しておく必要はない。
土足でズカズカと私の心の奥底へ入り込んでくる言葉たちを、全部入場許可する必要なんてまったくない。これ以上は、土足禁止。心の入場制限をもっと厳しく規制していいんだ。
土足で入ってこられたらどんどん追放していいんだ。対等に向き合わずに心から追い出していいんだ。自分の心を守れるのは自分だけだから。
弱いやつだと、だめなやつだと言われても、それでも今の私は本当にギリギリのところに立っているんだから。土足で入ってきた他者を許してあげるほどの寛容さなんて持ってなくていいんだ。
でも、投げられた矢を投げ返すことはしない自分でいたい。
逃げてもいい。入場制限をしてもいい。でも反撃はしない自分でいたい。
痛みをたくさん味わっているぶん、誰よりも優しいひとになりたい。
思いやりの気持ちをいつも持てる人でいたい。
ね、私いまそんなに強くないんだよ。
前の私なら大丈夫だったけど今はだめなこと、たくさんあるんだよ。
まずはピンポン。もしくはドアを3回ノック。ゆっくりね。
OKがでたら入ってどうぞ。靴は脱いで、ちゃんと揃えてね。
おいしいルイボスティーでも飲みながら、
温かくて優しい話をしましょう。