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利益という言葉の実態は、焦燥と排他の装置である。

最近では、「脱成長」という言葉が語られるようになってきましたね。
先日、国会でも小川淳也議員から、この言葉が出ました。

脱成長の是非は個々にあるでしょうが、私は物事の本質から考えて、
やはりこの世のすべてのものは永遠にはつづかないというのが
大宇宙の原理であると思いますし、
そうなると人間が考え出した産物である資本主義や、
お金というものも永遠ではないと考えています。

1000年前の人類が何をしていたのかを考えれば、
1000年後、まだ資本主義がつづいていると考える方が
ずっと不自然だと思いませんか?

そこで、いつか終わりが来るのだとしたら、
それはいったい何をきっかけに? どんなふうに?
と想像してみて欲しいのです。

そんなことが起こるはずがない、
と考えると思考がストップしてしまいます。
可能性はゼロではない。すべてのことは起こり得ます。

だから我々はいま、ここに生きているのです。

「人新世の資本論」の著述者で、「脱成長」の提唱者の斎藤幸平さんが
先日の報道ステーションに出演されたとき、番組のコメンテーターは
「経済成長を前提にするのは当たり前だっ」という論調でした。

その構図こそ、「今」なのですね。
人は意識の外にある意見については、最初のうち把握ができないし、
全体像がつかめないものです。

しかし、どこかに共感の糸口を感じた瞬間に、
価値観が急激に瓦解していく、というのが、パターンなのですよね。
だから、今後の変化を注視していきたいです。

さて、「脱成長」について考えるとき、
私は、人類が自らその道を選ぶのだと思っています。

その前段階として「経済成長は必要だ」という考えが、
単なる思い込みであった、ということに気づく。
経済成長ではないものの価値やそれを模索する方法に気づいて、
自ら路線変更をするのだと思うんですね。

「発想の大転換」が起こるのだと思うのです。
その結果、最近話題の「システムチェンジ」は起こる。

それは、例えばこんなことです。
いま、ビジネスの最前線にいるような人や、頭脳のトップにいる人たちが
こぞってやっていることに「瞑想」がありますね。

ユバル・ノア・ハラリさんは1日に2時間も瞑想されるそうです。

瞑想とは、ようするに「座禅」であって、
一部の日本人が古くから採用していた「心を処すスキル」です。
その有用性が、今では宗教の枠を大きく超えて人々に受け入れられている。

これは、人が気づきによって、今までとは別の方向へと成長していく
価値観の転換のひとつなのでは?と私は感じています。

だって座禅に、いわゆる経済的な生産性はないですよね。
座禅は自分の心と向き合う出来事であって、内面性です。
しかし、そこにこそ、現代を生き抜くスキルがあるという発見です。

では、人は瞑想して、何をやっているのか、というと、
自分の心をコントロールしているんですね。
心に負荷をかけるできごとをスルーしていく、
という術を身につけることです。
拘りをスルーしたり、感情をスルーする。

そうすることで、目の前にある邪魔な何かによって
見えなくなっていた本質を見つめる目を養うわけです。

仏教の世界では「生きることは苦である」という言葉があります。
これは人生は修行だ、というような意味ではなくて、
人間はデフォルトで、自分が苦しむような思考をしてしまう生き物だ、
ということを伝えています。

その苦とはネガティブに考える発想や、
その原因になる我欲やエゴのことです。
人間は勝手に嫌な過去を何度も思い出し、
勝手に未来を予測して、不安を募らせます。
しかし実際のところ、過去はもう過ぎたことで、
未来はまだ起きていないことです。

つまり考えたって仕方がないことを勝手に考えて、
しかも多くの場合、それはネガティブな思考に向かいます。

そういう感情を「自然発生させる」という習性がある。
だから「生きることは苦」なのです。

楽しい思い出も、嬉しい気持ちも、それが次の苦しみの原因になります。
あの人からメールの返事がこない、とか、
今日はこないだのように馬券が当たらない、とか。
ポジティブも次のネガティブの原因にしてしまう。

だから、座禅でも、瞑想でもいいのですが、
そこでやっていることは自分の感情からの解放なのです。
自分からの解放の術を身につけることです。

仏教で、そこに達することを「解脱」というのは、
そういうことなのですよね。

人間は自分の感情にしがみつくあまり、
結果としてなぜか自分自身を苦しめるという習性があるので、
その自分から自分を解放するというわけです。

そういうことに、今、人類全体が気付きつつあるわけです。

これは経済的価値ではない新しい価値ではありませんか?

さて、なぜ座禅や瞑想の話をしたかといえば、
人間が自分が苦しむことになる原因というのは、
一見、甘い香りを放っているからなのです。

その中のひとつに、「利益」という言葉があると思っています。

ここでいう「利益」は、宗教的なご利益(ごりやく)のことではなく、
経済的な利益ことのです。

「利益」というと、普通はいいことのように思いますよね。
嬉しいことですし、ポジティブなことのはずです。
でも、実際にそうでしょうか?・・・私には、そう思えないんですよね。

なぜなら、「利益」という言葉には、
実は「損」という言葉と表裏一体になった焦燥感と、
他者と分け合わずに自分だけが得るという排他性があります。

利益はいつも損という概念と抱き合わせになっていて、
現代の経済社会を生きる我々は、そのことにいつもさらされているのです。

そう。人は「利益」に苦しめられているのです。

我々は「損すること」を嫌います。
なぜでしょうか。
よく考えると、当たり前すぎて理由がわからなくないですか?

でも、向き合ってみます。

「損すること」を恐れるのは、
きっと、自分が得られたものを
人に取られてしまうことが嫌だからでしょう。

そして「損」を出すと、自分の評価が落ちるからかも知れませんね。

こう考えると、利益というのは、人を嫌いにさせたり、疑わせたり、
利己的にさせたり、つまり人を不寛容にし、
人を分断する原因として機能する装置なのだ、
ということに気づいた方がいいんですね。

利益や、その追求は、宿命的に人間を苦しめるのです。
とくに経済的利益はそうです。

例えば「国益」という言葉がありますが、
この言葉を振りかざすとき、人は必ずと言っていいほど排他的で、
自己中心的で、暴力的にさえなっています。

それは限られた富を誰が受け取るのか、
という奪い合いの結果が「利益」だからですね。
国益の確保とは、
「我が物にせよ!よその国に与えるな!」ということです。

しかし、私たちが生きるにあたって、本当に大切なことは、
限られた利益を奪い合うことなのでしょうか。
そのことを、もういちど
考え直さなければならないときがきたのだと思います。

資本主義は利益の追求を是としました。
1980年代以降に台頭した新自由主義によって、
利益追求は人間の価値観の前提となっています。

人は互いに利益を奪い合って争う習性があるのだ、と説かれてきました。

人は放っておくとお互いの利益のために
殺し合いさえ厭わない生き物だと言われていますね。
無法状態になると、暴走すると。

しかし、本当にそうでしょうか。
私は、それは実際にはちがうと思います。

震災が起きたとき、人々は助け合いました。

あのとき、利益追求の荒波の中で都会の生活に疲れた多くの人が、
日常から逃れる理由として被災地にボランティアとして入り、
そこで人生の意味や自分の存在価値を見出しました。

そこで発見したのは「自分を必要としてくれる」という実感です。

人間にとっていちばん必要なことは、「必要とされる」ということです。
どんな環境にいる人も、自分は必要とされていないと感じつづけると、
心が破壊されてしまいます。

そして、現代の経済的な利益追求に突き進む社会の中で、
本当にたくさんの人が「自分の必要性」を実感できず
大切な人生を見失っています。

しかし、利益追求能力や経済的生産性などは、
人の無限の能力のほんの一部にすぎず、
必ずしもそれが人間の価値を決定づけるものではないはずです。

利益を得なければいけない。

決して損をしてはいけない。

そんな基準は、人と人を分断し、人を引き裂き、
人の心を破壊する装置であって、
むしろもうこれ以上、その価値観には持続可能性がないのです。

少し前まで、人間の生活環境は物理的に過酷でした。

そういうときには、利益追求の結果、生活環境が改善され、
多少の弊害は見送ることができました。

しかし、環境が満たされると、突如として
「お前は利益確保にちゃんと貢献しているのか?」
という刃物が振るわれます。

けれど、多くの人は、普通の人なのです。
そして、普通の人こそが、この社会そのものなのです。

いま、SDGsなどが言われて、気候変動や、人口問題など、
さまざまな現代の「限界」が示されるようになりました。
それらが「もう限界だ!」と公言されるようになった背景に、
人間の心に限界がきているのだと私は感じます。

それは「利益追求」という無理強いへの限界です。

人間は本来、もっとやさしく思いやりのある生き物です。
そんな生き物に、利益追求という暴力は、
ちょっと水が合わなかったのでしょう。

数百年かけてわかったことを、これからどうやって活かしていくか。

しかも地球環境の限界を考えると、時間があまりありませんね。
システムチェンジについて、みなで話し合いましょう。

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