日大アメフト、薬物事件の会見から
昨日、日大アメフト部の薬物使用事件に関して、
第三者委員会の記者会見がありました。
世の中の人は相変わらず日大を糾弾しつづけることでしょう。
この事件はまだ捜査なども途中でしょうから、
推測でものを語ることは良くないでしょう。
しかし、記者会見での記者たちの薄っぺらな質問から、
私が感じた日本社会の闇について、
このタイミングで一言記しておこうと思います。
※
まず、感じたことです。
記者も含めて多くの人が、学校をはじめとした
「教育」と名のつく場にいる人々が
いったいどのような環境・境遇に晒されているのか、
それをまず「自分ごと」として考える必要があるということです。
今回、日大を糾弾したい部外者の人々は
口々に「保身」という単語を出しますね。
私はそのような発言で糾弾する人々の反応こそが、
「保身」を誘発するのだという事実を認識して欲しいのです。
いま、教育現場の人々がもっとも恐れている存在は、
誰だかわかりますか?
それは「親」です。
理由は簡単です。クレームをつけてくるからです。
教育現場に優秀な人材がいないとか、
人が集まらないなどという戯言を
これみよがしに言う政治家もいますが、
私は何を言っているんだ!と思います。
彼らが何の危機に晒されているのかということを
ちゃんと把握しない限り、課題は永遠に解決されません。
日本の教育システムは誉められたものではないでしょう。
しかし、その劣った日本の教育システムを
さらに「親」が破壊しているのです。
そしてそのような親に思考を植え付けられた学生が、
教育現場を破壊しているのです。
※
例えば今回の日大アメフトの件で言えば、
一人の学生がコーチ陣に内部告発をしたと言われています。
そしてそれをその学生の「親」が告発したわけですね。
しかし、今回の場合、大麻を吸った側も学生です。
つまり、その学生にも「親」がいるわけです。
この段階で、チーム側が強烈な板挟み状態になっていることが
理解できないでしょうか?
大麻を告発した側も、吸った側も、学生ですから、
その親はどちらもクレームを寄越してくる可能性がある。
ましてや人に「疑いをかける」というのは人権問題です。
犯罪の嫌疑をかけて、もしそうでなかった場合、
今の教育現場の力学で言えば、
とんでもない大波乱が起きかねません。
その場にコーチやチーム運営者としていれば、
そのように考えるのは当然のことでしょう。
チームを成立させることが、彼らのミッションなのですから。
もし選手に直接ヒアリングをして「やっていない」と答えた場合、
何も知らない周りの人間は「もっと問い詰めろ」と言うかしれません。
しかし、そんなことをしたことが、
その学生を通じて世の中に出回ったなら、
それこそ「人権無視」と言われて糾弾されていたことでしょう。
今の日大アメフト部の状況であれば、
メディアもこぞって叩きます。
この件について、最も正しい判断など誰も言えませんが、
そういう状況を作れば、そこから離れてしまうことも無理はないでしょう。
みな、不完全な人間なのですから。
※
世の中の人々は、他者に対して痛烈にものを言える人のことを
「できる人」と評価するきらいがあるのでしょうか。
私は、今の社会に対して非常に危機感を持っていますから、
これはあまり時間をかけずに
変革していかなければならないと思っています。
しかし、変革といってもそのやり方は暴力的であってはなりません。
フランス革命の後に、民衆が貴族を殺してしまったような、
ドラスティックな改革というのは問題を解決することはないのです。
なぜならそれは、それまでの主従の関係が入れ替わっただけであり、
実際にはそれまでと変わらない「支配の構造」が存在してしまうからです。
もし社会変革に本気なのであれば、
意見の違う双方から支持される第三の道を見つけなければなりません。
どちらかを敵にするのではなく、
どちらをも味方にする方法を見つけるしかないのです。
そんなことはできないというなら、
それは課題が解決されることはない、という諦めであり、
責任の放棄です。
本気なのであれば、意見の違う双方を敬う基本的な姿勢があるはずです。
それ以外の方法で、人間の課題が解決することはないし、
歴史上稀に解決策が導き出されたものは、
すべからく、双方を納得させているのです。
その最たる例は、ネルソン・マンデラ氏による
アパルトヘイトの廃止です。
あれは無理に押し通したものではない。
差別されていた側も、していた側も、
双方の合意によって遂行されたのです。
※
日大の大麻の事件に関して言えば、
メディアがいちばん騒がなければいけないのは
「なぜ学生が大麻を吸うのか」という部分です。
本気でこの社会のことを考えるなら、
そここそがいちばんの課題の本質です。
理由は簡単ではないでしょう。
解決するのはきっと困難です。
それでも、私たちは向き合わなければいけません。
若者たちを守らなければならないのです。
薬物の問題は、薬物を買ったり、使用したりする人の問題ではなく、
それを売りつける人間がいること、
そして人が薬物に頼らなければならないような
心理的な状況をつくっている社会の問題です。
もちろん、ルールを破ったものは裁かれる必要はあります。
しかし、本人が「こんなことをしてはいけなかった」と
本気でそう思うようなことをしない限り、
逮捕して牢屋に閉じ込めたところで、
大学を辞めさせたり、アメフト部を停止したところで、
まったく物事の解決にはならないのです。
そのことに気づいている大人が少なすぎることにこそ、
日本社会の闇があるのだと、私は思っています。
若者たちはこの国の未来です。
そんな彼らがなぜ薬物に走るのか。
一人ひとりが、自分ごととして考えるしかないのです。