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10.自分だけ母親から無視される現実が受け入れられなかった子供時代

母親からあからさまに無視され始めたのがいつだったのか、正確には覚えていません。
私が小学校中学年になった辺りから始まったように記憶しています。

私は家族の中でも同年代の子供の中でも多弁な方だったのですが、常に賑やかで明るい子供だったわけではなく、朗らかで闊達な面と物静かで沈んだ面とを頻繁に行き来するような、両極端な性向を見せていた子供でした。

両親は、じっくりと腰を落ち着けた子供との対話を重視しない(できない)傾向にあり、常に忙しい母親が私の話し相手になってくれるのは僅かな時間だった(と私は感じていた)ため、家庭内での私の話し相手は専ら年の近い弟のみでした。

それでも、日々の生活の中で時間さえあれば母親が私に対して優しく相手をしてくれたことに変わりはありません。
毎日帰宅と同時に母親へあれこれと話し掛けます。
学校であったこと、先生から言われたこと、同級生から聞いたこと、外で見たもの聞いたものについて脈絡なく話し続けます。

(ただ、これは別の話になりますが、私は子供ながらに母親と多少の心理的な距離を感じていたためなのか、自身の内面を曝け出すことに強い抵抗を感じており、自分が見聞きした出来事や自身の感情の動きなど、何から何まで話していたわけではありません。)

起承転結どころか中身も何もないに等しい私の話を、いつも母親は優しく聞いてくれました。
忙しく家事をしている時も、家事の合間に休憩をしている時も、新聞を読んでいる時も、読書をしている時も、テレビを見ている時も、子供だった私は母親が何をしていようがお構いなしに話し掛けていました。もちろん生返事の時も多かったでしょう(寧ろ生返事だった時の方が多かったかもしれません)が、相手をしてくれるだけで私は嬉しかったのです。

それが、ある時から変わり始めました。

いつものように学校から帰ってきて母親へ話し掛けても、何も反応がなかったのです。
帰宅直後の「ただいま」には、いつも通り「おかえり」と返してくれました。

部屋に入ると、母親は食卓の椅子に腰掛け、卓上に突っ伏した状態でいました。
これ自体は珍しいことではありません。母親は疲れると少しの間横になって仮眠を取ったり、座ってお茶を飲んだりして、体を休めていることも多かったので、この時も私は母親が単に休憩をしているのだと思いました。
今さっきの時点で「おかえり」と言ってくれたのだから、寝ているわけではないのだと受け取った私は、いつものように母親に話し始めました。
いつもだったら、私の方を向いて私の話に相槌を打ってくれる母親は、しかし一切こちらを見ようともしません。相槌がないどころか、顔を上げてもくれません。

「お母さん?聞いてる?」

呼び掛けても返事はありません。

「お母さんってば」
「ねぇ」

不安になった私は、母親に触れました。

「どうして何も言わないの?お母さん」

母親の肩に手を掛けた瞬間、母親から振り払われます。

「触らないで!」
「お母さんは疲れてるの!」
「あっちに行ってて!」

初めてぶつけられた強い拒絶に驚いて飛び退きます。
何か普段から咎められている行いをしてしまったわけでもなく、他に叱られていた問題が残っていたわけでもなく、思い当たる要因が何もない状態で、母親から急に強い口調を使われたり激昂されたりする経験がなかったため、ただただ戸惑いました。
近寄るなと拒絶をされたのですから、黙ってその場を離れる他ありません。

母親は昔から健康面にいくつかの問題を抱えており、傍目から見て体調が良くなさそうな様子を見せることは度々ありました。それは持病に由来するものだったり疲労から来るものだったり、重さも様々だったとは思います。

当時の私はそういった問題の一切を知りませんでしたが、母親が具合悪そうにしている様子は何度も目にしていたため、この時も「今のお母さんは体の調子が悪いから話したくないんだ」と飲み込むこと自体はできました。
ただ、この時ほどの強い拒絶を母親から受けたのは初めての経験だったため、内心では大きなショックを受けて動揺していました。まさかそんな言葉を投げられるとは思ってもみなかったのです。

そして、この日、私の帰宅から少し経ってから弟が帰宅しました。
母親の体勢は変わっていません。

弟が元気良く母親に飛びついて、何か話し掛けた時、それを離れたところから見ていた私は身を固くしました。私の時と同様に弟が激しく怒られると思ったからです。
しかし、その予想は裏切られました。
弟が母親に抱きついても拒否されないのです。
手を振り払うことも大声で拒絶することもせず、いつも通りに受け答えをしています。

私は混乱しました。
自分は拒絶されたけれど、弟は拒絶されない、その事実を飲み込めませんでした。

最初は体調が悪かったけれど、徐々に良くなっていったのかもしれません。

弟と話している母親は、確かに体調が万全そうではなさそうで、無理をして話しているようにも見えます。

私の時には「話し掛けるな!」と怒鳴って、弟の時には満面の笑みで応対しているのであれば、その意図は明らかで、私と弟の扱いに落差を設けていると受け取れますが、そうではありません。確かに弟の手を振り払いはしていないけれど、必要最低限の受け答えだけをしている様子です。

この数時間後に恐る恐る母親に話し掛けると、いつも通り普通の対応をされ、胸を撫で下ろしました。

しかし、その後この「いつも通り話してもらえる時」と「激しく拒否される時」が、まだら模様に続くようになったのです。
私は無視されるけれど、弟は無視されない、という状況は何度も訪れました。

本当に私の時だけ体調が悪くて、弟の時は体調が良くなっているのかもしれません。
私が目撃していない、知らないだけで、弟も私と同様に激しく拒否される場面があったのかもしれません。
弟は私よりも年齢が低いのですから、私がいつも親たちから言い聞かせられていた「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」という理屈と同じで、私と弟でより面倒なことになりそうな方だけ相手をしていただけなのかもしれません。

それでも、この無視をされる私と無視をされない弟という立ち位置は、私の把握している限りは、私たち子供の年齢がいくつになっても変わることはありませんでした。

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