13.なぜ同級生たちが早く帰りたがるのか理解できなかった
私の人生で最も活発に遊んだのは小学生時代でした。
学校から帰宅するなり外へ飛び出し、体力が続くまで力いっぱい走り回り、まるで野生動物のように全身を目いっぱい使って遊ぶ日もあれば、友人宅のテレビゲームで遊ばせてもらったり、読書にのめり込んで外へ出ない日もあったりと、要は(習い事のない日は)子供の特権として許された「遊びが仕事」を実現していた日々だったと思います。
そこに何も難しい思考などなく、ただただ目の前の対象に夢中になっていただけであったことは事実でしたが、私が積極的に外へ遊びに行こうとする心理には、わかりやすく単純な「遊びたい」という肯定的な理由の裏に、靄がかった「自分の家にいたくない」という否定的な感情がありました。
遊んでいる場所が外であろうと友人宅であろうと、どんな遊びをしている時であろうと、なるべく遅くまで(親との約束の刻限のぎりぎりまで)帰宅しなくて済むようにならないかと考えていました。門限に間に合わなければ親に怒られるため、最終的に約束の時刻付近には帰宅するのですから、たかだか数分程度遅くできたところで時間として大した違いはありません。それでも自分の中の「帰りたくない」という自宅への忌避感が強く、数分程度でも粘ろうとする以外に私にはどうしようもなかったのです。
そんな自分の中の無意味で小さい葛藤を繰り返していた時、私はある違和感に気づきました。
一緒に遊んでいる周りの子たちが、どんな遊びに夢中になっていても、どんなに楽しい時間を共有していたとしても、その場の皆がどんなに盛り上がっていても、必ず門限の時刻が近づくと帰宅の準備を始めるのです。もちろん各家庭で親から「必ず門限までに帰って来なさい」と厳命されているのだと私も理解していましたし、学校でも「暗くなる前に帰りましょう」と指導されます。我が家も私たち子供は全員、他の家庭と同様に「みんなが帰る時には必ず帰って来なさい」「絶対に寄り道をしないこと」と、母親から常々言い聞かせられていました。
それでも、周りの子たちの表情に「帰宅への抵抗感」が見えない点を不可思議に思ったのです。
私の周りでは誰一人として帰宅時刻に「帰りたくないな」と漏らしたり、帰りたくなさそうな素振りを見せたりした子はいませんでした。内面についてはわかりませんが、少なくとも表面上は帰宅自体に抵抗感を見せていた子はいなかったのです。
(同学年で深夜に子供だけでふらふら出歩いて遊んでいる子がいたと耳にしたことはありましたが、私がよく遊ぶ子の中にそういう子はいませんでした。)
皆一様に、決まった時刻になると「もう帰らないと」と言って、すぐに「じゃあまたね!」と手を振って身を翻し、一目散に走って帰宅してしまいます。
足取り重く、ゆっくりと帰宅する子など存在しません。
私もその場では「そうだね」「またね」と手を振りますが、一呼吸置かなくては足を自宅へ向けられません。抵抗感が強く、自分の中で「早く帰らないと」と「なるべく遅く帰りたい」という相反する思いがぶつかります。
自宅に帰れば、嫌なこと怖いことが待ち構えている危険性が高かったからです。
元凶は父親でした。その当時、父親は夕方頃には仕事から帰宅してくる日が多く、そういう日は父親と長い時間を狭い空間の中で共有しなくてはなりません。
仕事を終えた父親はこれ以上ないほど不機嫌である場合が多く、不機嫌でないことは滅多にありませんでした。その他は最大級の不機嫌でないにしても、不機嫌の度合いが増減しているだけ程度の違いしかなく、機嫌が良くも悪くもない「普通」の状態は皆無でした。稀に上機嫌で帰ってくる日もありましたが、上機嫌だからといって身体的または精神的な暴力が発生しないわけではなかったため、不機嫌な状態と大差ないと感じていました。
私は子供ながらに、父親に対しては「今日も不機嫌なはずだ」と思って構えていた方が、精神衛生上は楽なのだと経験から学びました。無力な私にできることは「そこまで不機嫌ではありませんように」と祈るのみです。
機嫌の悪い父親は、目についた対象を片っ端から攻撃対象にしてしまいます。
攻撃対象に選ばれてしまえば、粗探しが始まり、父親の気が済むまでその粗を責められます。
手が出るかどうかは父親のその時の気分次第ですが、殴られたり蹴られたりしなくても、怒鳴られ責められ続ける状態が、辛くて苦しいことに変わりはありません。
父親のガス抜きがある程度済めば攻撃を受ける危険は低くなりますが、ガス抜きの済んだ父親に対して何が再加熱の燃料となるかわかりません。再び爆発することも珍しくなかったため、静かになった父親には近寄らず、視界にも入らないように注意するしかありませんでした。
このような背景があり、私には自分の家が心の底から安心できる場所になり得ませんでした。
自分の家が「他の子の家とは違うのかも」とか「変なところがあるかもしれない」とか、多少の違和感を持っていた部分もありましたが、それでも「どこの家も同じようなものなんだろう」と認識していました。
だからこそ私は「なんでみんな早く帰りたがるんだろう」と思っていました。
家というものは、嫌な場所、怖い場所、不安を煽られる場所、といった負の要素が多いのだから、自宅へは「渋々帰るもの」であって、自ら進んで帰宅するものではないと捉えていたのです。嬉々として帰路に就く周りの子たちの心理が理解できませんでした。
当時の私は自身が置かれた状況を正確に把握できていませんでしたし、世間一般の「普通」が何かを知りませんでした。自分から見えているものが全てでしたから、同級生たちの心理と自分の心理の相違が何から生まれるかわかっていなかったのです。