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映画「阿賀に生きる」について

ドキュメンタリーではなく「記録映画」

2024年6月、渋谷「bunkamuraル・シネマ渋谷宮下」にて鑑賞。
「暮らしの思想 佐藤真 RETROSPECTIVE」として、特集上映されている。
この映画を最後に見たのは、10数年前のはずだ。
調べてみるとニュープリントの再公開だったようだ。
前売りか何かで廃棄用のプリントの一部が特典として付いていて、それが手元にある。
ワタシはその後、訳あって、都会から地方に移住した。
わずかではあるが、農業にも関わった。
そのような経験からこの映画を見る目が変わるだろうか?という興味があった。

ということで、再び「阿賀に生きる」を観た。
映画は老夫婦の田んぼでの稲刈りのシーンからはじまる。
この、田んぼの作業についてだが、実際は、このように手で稲刈りすることは、ほとんどない。
約30年前に撮影された映画なので、今よりも手作業が多かったとは想像されるが、それでも違和感を感じた。
おそらくは、かなり狭い田んぼゆえ、機械が入らないため、手作業していたのだろうが、これは、やや誤解を生みかねないと思われるのだ。
つまり、農業=重労働というような固定的、概念的なイメージだ。
確かに農業は、機械を使っても重労働な側面もあるが、農業の問題は、そこだけにあるのではない。

だが、この映画の魅力は、それまでの土着的なイメージが強かったドキュメンタリーを極めて、あっさりと撮ったことにあると思う。
これも概念的イメージと言えなくもないが、多くのドキュメンタリー映画は、基本的に主義主張を内包しており、作品によっては、それがかなり押し付け気味になりかねない。
土本典昭、小川紳介などのドキュメンタリー映画でも作品によって、傾向は異なるものの、声高なメッセージを内包している。
だが、「阿賀に生きる」は、ただ人物を追うのみで、声高にメッセージを伝えることはしない。
もちろん、そこには、第二水俣病というバックグラウンドがあることは伝えられはするが、それはあくまでも背景にすぎない。

また、これは、本質とは関係ないはずだが、フィルムで撮られたということも大きく関係している。
これ以降、ドキュメンタリー映画の多くはビデオ撮影に移行するが、当然ながらこの質感は出てこない。

結局のところこの映画は、単純に人間の生活がただ楽しく写っているだけだ。
背景にどんな社会問題があろうとも賢明に生きるという姿。
それが写っているのがこの映画で、それだけの映画だとも言える。

また、やはりこの映画はフィルムで撮られたことの幸福にも満ちている。
集合写真撮影時に、フィルムが途中でなくなっている場面が収められているが、これはフィルムならでは。
デジタル上映とはいえフィルムの質感は充分にわかる。

ドキュメンタリー映画と記録映画の言葉の間の厳密な違いはわからないが、この映画はまさに「記録映画」と言うべきなのだろう。
この時代にこの阿賀に生きた人の生きた「傷跡」がフィルムに定着しているのだ。
これこそ「記録」なのである。

2024年6月22日UP
※このテキストは、筆者がYahoo!検索(旧Yahoo!映画)に投稿したものを転載したものです。

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