二人の詩人
フェルナンド・ペソアの『ポルトガルの海』という詩集を読んだ。
とても魅力的な詩集だったけど、この詩人の特徴は何だろう? ということを考えていて、好きな詩人の一人、長田弘さんのことを思い出した。二人の詩はとても対照的だ。
ことさら詩をたくさん読んできたわけではない。
たまたま古本屋で、長田弘さんの『世界はうつくしいと』という詩集に出会い、それ以来彼の詩が好きなだけなのだが、本のタイトルからも分かるように、僕にとって長田さんの詩は「世界を祝福するもの」だ。
僕たちは、普段生活していると、周りにあるものの存在を当たり前のように考えるようになってしまう。見えているけど、見ていない。
しかし、長田さんの詩を読んでいると、その「世界」が違うように見えてくる。世界が存在しているということの驚きとその素晴らしさを、改めて認識することができる。
例えば、山に登り、頂上で夕日が沈んでいくさまを眺めているときの感覚を、言葉で表現しているというイメージだ。
一方、ペソアの詩はどうだろう。
ペソアの詩は、その世界を認識している私とは何か? ということが語られている。しかも、その通奏低音は「不安」だ。
私が認識している世界は本物なのか? という懐疑。世界とそれを認識している自分とのズレ。その埋まらない距離が描かれている。
だから、長田さんの詩を読んでいると僕はホッとする。しかし、ペソアの詩を読んでいると、ちょっと不安になる。
対照的な二人の詩は、それでも「本当のこと」が書かれている。それがとても魅力的だ。