易きに流れる

同僚と話をしているなかで「易きに流れる」という話題がでてきました。

ここでの「易きに流れる」とは仕事におけるスタンスで、いろいろ面倒なことはあるが流れに身をまかせる、のようなニュアンスです。

"あずかった仕事を淡々とこなす" といえば聞こえはいいですが、もっとネガティブな意味を含んでいて、"思考を停止して今目の前にあることだけをこなす" ようなことを指しています。

わたしは怠けつづけるタイプの人間ではないつもりですが、どういう状況でこういったことになってしまうのか、あいかわらず寝つけないのでしばらく考えていてました:

  • 最初は自分でコントロール可能だと思えた事象に、もっと大きな力学が働いており自分だけではコントロール不可能だと感じたとき

  • ひとつの問題をかたづける前にべつの問題が生まれてしまい、解決より問題の発現スピードが早くそれが繰り返されるとき

  • ひとつのことに集中したいにもかかわらず差し込みで考えなければならないことも多く、それぞれが多面的でスイッチングコストが高いとき

  • プライベートで心をつぶされるようなことがあり、労働において心をつかう余裕がないとき

こういった場合において、しかるべきアラートをあげる・エスカレーションするなどの解決策はあるものの、実際は「易きに流れる」ほうがじつは楽だったりします。

なぜならそれでも仕事は進むし、労働であるとわりきれるからです。

わたしはいろいろな場面でさまざまなことを考えながら仕事をしますが、よく働く人間でもなければ、わかりやすく成果をあげられるタイプの人間でもないので、「易きに流れる」のが自分でも得意だなと思います。

では「易きに流れる」ことを防ぐにはどうしたらいいのでしょうかね。うえで列挙した状況が解消されてもマイナスからゼロになれど、易きに流れたまま帰ってこれない気もします。

役者をやってたときはどんな状態でも同じパフォーマンスを出さないといけませんでしたが、いまは気分で日々パフォーマンスが変わりますし、家族の状況によってもパフォーマンスがまったく違います。安定したパフォーマンスは供給できないものだと考えています。

となるとベストエフォートで出せる力を出すほかないわけで、これが「易きに流れる」こととも非常にうまくバランスするわけです。労働へ荷重をかけてアクセルを踏むことがかなりしんどくなっているんだなと気付いてきました。

情熱や確固たる信念をもって取り組めたら楽しくて素敵だろうなとは思うのですが、現状そういったマインドにならなくて困っています。3, 4 年前はわりと楽しくやってた気もするんですが、なんだかそのころに何を考えて労働に勤しんでいたのかも忘れてしまいました。

何もかも忘れて酒だけ飲んで暮らしたいですね。酒だけが頼りだ。

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