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【ONE PIECE FILM RED】ウタがああなった原因、回避する道

⚠注意⚠

以下、映画のネタバレがあります。





原因1. 赤髪海賊団に拾われたこと

 そもそも、"子育て未経験の海賊"というおおよそ子供のためになるとは思えない集団にウタが拾われなければ、最短距離でエレジアに行く(トットムジカに出会う)ことも、義親に捨てられることもなかった。

解決ルート1. 赤髪海賊団に拾われない

 発見が遅れた場合、赤ん坊のウタはあのまま死んでたかもしれない。それが世界のためになったとしても、そんな悲しいことがウタの幸福だったとは思いたくない。

 より時を遡って、そもそもあそこに紛れて(乗船して)いなかったルートがいいだろう。かなり未知数だが、それならウタウタの実を食べない可能性もある。ウタウタの実は、あの財宝の中にあって腹を空かしたウタが食べたか、その後の冒険で得たものをルフィのように食べてしまったかだと思うからだ。

 だが、赤髪海賊団やルフィのような強い人物との関わりがなくなると、ウタがウタウタの実を食べてトットムジカを歌った場合に、世界はともかくウタが救われる確率はだいぶ低くなってしまう。彼らに出会わない世界線でも、トットムジカと渡り合えるくらい強い人物と繋がれれば安心だが……なんにせよ、このルートは分岐が早すぎて未知数だ。


原因2. 風車村を出たこと

 赤髪海賊団の冒険についていったからエレジアにたどり着いてしまった。シャンクスがルフィと同じようにウタを村に残しておけば、少なくともエレジア(トットムジカ)の件は先延ばしにできた。

解決ルート2. 風車村に残る

 赤髪海賊団と別れねばならず、ルフィもいずれ旅立ってしまうが、それでもウタには育ちの故郷と村人との関係が残る。ルフィとの絆も深まっていたことだろう。ウタにもっとも足りなかったのは、情操教育のための人間関係だ。人間社会の中で心が育っていれば、ウタウタの実の力やファンの声に翻弄されることもなかったかもしれない。


原因3. エレジアに行ったこと

 エレジア全体にウタの歌を響かせたことでトットムジカが目覚め、ウタのそばに楽譜が現れた……というのが映画での経緯だ。ウタに歌唱の才能がある限り、エレジアの民はそれを遮ることはしないだろう。つまり、ウタがエレジアに着いてしまった時点で、彼女とトットムジカとの出会いは不可避になる。

解決ルート3. エレジアに行かない

 これはかなり難しい。海賊という足を得ずとも、ウタが歌手になるならいずれこの地を目指すと思われるからだ。海賊団との出会いは、トットムジカの歌唱を早めただけにすぎない。それでも、最短でありながら最小の被害で済んだとも言える(幼いからすぐに体力が尽きた)。

 例えば、トットムジカの伝承を教えてくれるエレジアの民や考古学者がそばにいたなら、彼女はあれを歌わなかっただろう。だが、そんな都合のいいことが起こるだろうか。

 ゴードンのような責任感のある人物でも、音楽家の性ゆえにトットムジカを破棄できなかった。ウタも同様、優れた音楽家であるがゆえに、出会ってしまったトットムジカを無視することなどできはしまい。


原因4. ゴードンと2人きりの島に残されたこと

 シャンクスが考えた"子供のためになる選択"は、真実を隠して子供の才能を伸ばすことだった。前者は同意するが、後者には異を唱えたい。子供にとってもっとも大切なものは、才能をのばすことではなく、家族とのふれあい、愛情のはずだ——と、現代に生きる我々ならわかる。だが、シャンクスには子育て経験がなく、さらには社会のはみ出し者(海賊)だ。正しい選択をしろと言う方が無理だ。ましてや、現代においてさえ、未だ完全な家族は存在しない。

 一見完璧なように思えても、どこかに必ずほころびはある。家族、社会、個人、自然、超常の力…さまざまな脅威がそのほころびめがけてくるのなら、どんなに幸福な子供でも人生の不幸を回避することはできない。

 話が逸れた。つまり、シャンクスの選択はウタから情操教育の機会を奪う結果をもたらした。ゴードンは素晴らしい教育者だろうが、それでもたった1人であのどん底に突き落とされた子供を救うことは難しい。私はこの映画を見終えたとき、「教育の敗北だ」と真っ先に思った。(エンディングでゴードンが教育を諦めてなかったことが嬉しかった。)

 ウタとゴードンの間に家族のような絆が育っていたならまた違ったかもしれない。とにかく、あの島にはウタの悩みを聞ける者もウタを導ける者もウタを守れる者もいなかった。ただ、ウタの才能は伸び、世界的な歌姫にはなれた。シャンクスの狙いは当たったわけだ。ウタにとっても、もはや歌だけが彼女を支えるすべてとなった。

解決ルート4. 赤髪海賊団についていく

 真実をどうにか隠したまま、大悪党となった赤髪海賊団とともに海軍に追われることになるルートだ。ゴードンのような最高の教育を受けることはできないが、家族とともにいられることは、子供の心を豊かにするだろう。いつか真実を知ったときにも、成長した心や泣きつける家族があることでショックを乗り越えられるかもしれない。


余談 トットムジカについて

 トットムジカは、人々の願いや祈りや想いから生み出された、歌に宿る強大な力、魔王である。私は彼をウタウタの実の能力者のなれの果てだと考えている。

 理由1. ウタワールドと現実の両方に干渉できる(=ウタウタの実の能力者にしかできない)
 理由2. ウタウタの実の能力は「人を歌にする」ことができ、歌を歌うことで封じられた人を解放できる(=トットムジカの出現条件と同じ)
 理由3. 人々の想いで救世主として生まれるも、人々が持て余すほど強大すぎたため放棄され、魔王となったトットムジカとウタの状況が被る

 ウタは最後、トットムジカに「あなたも寂しかったんだね」と共感した。歌に宿る悪霊と化したトットムジカは、ウタの行く末の一つだった。だが、ルフィやシャンクスの頑張りで、ウタの歌は地下深く閉じ込められる禁忌ではなく、"ただの歌"として世界中に届けられるものになった(エンディング)。ウタウタの実の特別な力は失われているだろう"ただの歌"は、ウタ自身も悪魔の実の呪いから解き放たれたことを示している。彼女の歌は、悪魔の力を借りずとも人々を幸せにしたのだ。

 最後ギリギリのところで彼女の心を救ったのは、家族と友人の存在だった。これらがもっと身近にあれば、ギリギリになる前に救えたはずだ。シャンクスやルフィがそばにいれば…と思わずにはいられない。

 トットムジカにはそれすらなかった。才能だけの孤独な音楽家だ。だが、優秀なアーティストというのは得てしてそういうものかもしれない。ウタがそうだったように、子供のように純粋で、孤独で傷つきやすい。普通の人間は面倒臭がって関わろうとしないが、その人の作品だけは認める。寂しい話だが、現実も同じだと思った。

 そもそもトットムジカが生まれなければよかっただろうか? 人々は祈らなければよかっただろうか? ウタに対しても、救世主と崇めなければよかったか? たとえそうだとしても、人が人である限りそれは無理だ。

 救世主になろうとしなければよかったのかもしれない。だが、ウタには歌しかないのだ。人々は彼女の作品しか見ない。彼女自身に関わろうとしてくれる人間は、とっくの昔に去ってしまった。救世主になるしか道はなかった。ましてやエレジア滅亡の真実を知ってしまったら、"今度は救わなければ"と思ってしまうだろう。


まとめ

 足りない心と過剰な能力——それこそが彼女を滅びの道に向かわせた原因だ。取り除こうと思ったら、上記のようなルートをとるしかないが、万全ではない。不幸は必ず訪れる。せめて、不幸に苛まれる彼女を支えてくれる人がそばにいたなら……これからずっとこの思考をリフレインしていくんだろうな。エンディングでウタが救われたと解釈しなきゃやってられない。なんで映画オリジナルキャラでこんなクソ重い設定にするんだよ……制作陣はサディストなのか!? オタクは作品で殴るほど喜ぶと思ってやがる。正解だけど悔しい。ウタが幸せな世界はどこにありますか? 原作にウタ登場するのかな? 読むか……ワンピース……。


#映画感想文

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高田馬場総本山
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