会話は一糸乱れぬパスワーク
僕は誰かと会話をするとき
この言葉が適切がどうか、受け答えとして不自然ではないか、と
頭の中でフィルターにかけている。
周りの人に比べるとそのフィルターの数が多いのだろうと思う。
そのフィルターを通すのになかなか時間がかかり、受け答えが遅くなりがち。
そうなると、周りの反応はおおよそ
ちゃんと聞いてる?とか不思議な人だ、など変な人認定されることも。
変な受け答えにならないようにフィルターがあるのに、
まるで本末転倒だ。
1対1でもこの調子なので、飲み会など大人数だと事は深刻になる。
懐かしい同級生の話や内輪ノリなどで盛り上がってくると、
会話のテンポはどんどん早くなる。しかも1人が起こした笑いに対して
次々と的確なうまい返しをする人が出て、その勢いは増す。
そのスピードと正確さたるや、バルセロナの一糸乱れぬパスワークを見ているかのよう。
会話に何層ものフィルターが必要な僕は、動けずパスももらえず立ち尽くしている。滅多にパスが乱れず展開していく会話に、いつもみんなを尊敬の念を持っている。これが日常茶飯事である。
このことを知人に相談すると大抵、考えすぎだとアドバイスをいただくが、
生まれてからずっとこのフィルターが備わっている僕には、
なかなかこれをしないわけにはいかない。
もう少し気軽に会話を楽しめたらなと思う。