【翻訳検証】BBC Two『Japan's Secret Shame』(2018)の番組で伊藤詩織さんが語ったことが問題視されている点 #JapansSecretShame
[Last Updated: 2020/6/24]
はじめに
英国放送協会BBCの委託で制作会社True Visionが制作したドキュメンタリー『Japan's Secret Shame(日本の秘められた恥)』(2018年)。日本国内では放送されておらず、またリージョン制限のためオンライン上でも公式サイトでは国内視聴はできないのだが、その一部をBBCジャパンが自ら記事として取り上げた。記事では、BBCジャパン独自により字幕処理が施された4本の動画が公開されたが、そのうちの1本の字幕の訳が物議を醸した。
問題となったのはこのサイトの、上から2本目の動画で語られた内容で(直接リンクは不可)、ジャーナリストの伊藤詩織さんが学生たちに性暴力についてヒアリングを行うシーンがある。その導入の部分で、詩織さん自身がこう述べるモノローグの場面がある(日本語字幕は当該動画から、英文は独自にディディクテーションを行ってそれぞれ書き起こした)。
①
日本社会で育つと
If you grow up in Japanese society,
②
誰でも性暴力や性的暴行を経験しているんです
everyone have experienced sexual violence, or sexual assault,
③
ただし自分が被害に遭ったんだと
全員がそう思うわけでもない
but not everyone consider it was.
④
特に女子高生として
交通機関を使うようになると
Especially when you start using
public transportation as a high-school girl.
⑤
そこから毎日そういう目に遭うようになるんです
That's when it happens every day.
⑥
だから毎朝
教室に着くたびに
いつもその話題で持ち切りでした
So whenever we go... get to the classroom,
that was always the topic:
⑦
今日はどんな男が
自分の上にかけてきたとか
today, this man jerked off on me,
⑧
今日は別の男に
スカートを切られたとか
today this man caught my skirt.
⑨
でもそういうものだと
受け止めるしかなかった
But this was something that we have to deal with.
⑩
通報なんかしませんでした
We never reported it.
この字幕の中で、とくに①~③の一節が一部で問題視されている。
①
日本社会で育つと
If you grow up in Japanese society,
②
誰でも性暴力や性的暴行を経験しているんです
everyone have experienced sexual violence, or sexual assault,
③
ただし自分が被害に遭ったんだと
全員がそう思うわけでもない
but not everyone consider it was.
同じプロとして、正直に言って、この訳にはたしかに「違和感」を持った。
だが一部で問題視されている点については、「そこが問題ではない」と捉えている。理由は後述する。余談だが一点だけ、議論されている中にない明らかな「誤訳」があるとすれば、それは以下⑧の箇所だと考える。
⑧
今日は別の男に
スカートを切られたとか
today this man caught my skirt.
私が聴き取った英語は"cut"ではなく"caught"だった。つまり「切られた」ではなく「掴まれた」である。これは詩織さん独特の発音の癖の問題で、"caught"が"cut"のように発音されているとみられるため、翻訳者が聴き違えたのだろうと思う。これはのちに紹介する有志の翻訳者(米国在住)も同じで、こう訳していた(筆者強調部分)。ただし、二人の翻訳者が同じように"caught"でないかと捉えたからといって誤訳と確定した訳ではない。
”日本社会で育ったなら、誰もが性的暴力や性暴行を受けています。でも誰もがそれがそうだと認識しているわけではありません。特に高校生になって公共交通機関に乗るようになると、毎日のように起こることなので、クラスルームに着くといつも話題はそれです。今日こんな男が私を使って自慰してたとか、私のスカートを掴んだとか。こういったことは私たちが自分で折り合いをつけていかなければならない問題なんです。決して被害届など出さないのです。”
このように、どこのメディアであろうと私はプロとして基本その翻訳を鵜呑みにしないが、一般に公式サイトの翻訳はどうしても「権威」を持ち『正式な和訳あるいは英訳』とみなされる傾向にある。だから私は、その内容を検証する意味でも、こうして自分で無償の和訳を行ってきた。
『Japan's Secret Shame』については、公式には部分的なカットの和訳のみが存在し、全編を通しての和訳は存在しないと承知している。私が全幅の信頼を置く有志(米在住)が大変な労力をかけて書き起こし全訳を行なっているが、これすら第三者の検証を経たものではないことを申し述べておく。
詩織さんの異文化コミュニケーション力
言語に堪能な船田クラーセン氏が指摘するように、伊藤詩織さんの英語は、その発音・文章構成力、どれをとっても残念ながら「完璧」ではない。とくに口語調でインタビューに答える場合などはそうだし、どうしても荒さが目立ってくる。これは用語のチョイスや文法の荒さなどにも表れている。それでもコミュニケーションに支障はなく、むしろ優れているからこそ、各国に多くの理解者を得ているのだといえる。
日本語のみの話者はどうしても、「英語を話せる(操れる)人は完璧な英語を操っている」と思い込みがちだ。だがそれは一般に英語に対して苦手意識を持っていることの裏返しであり、「完璧」でなくても英語は操れるし、「完璧」でなくてもコミュニケーション=意思疎通は成り立つ。立場を逆にして、自分自身が外国人話者の日本語をどう思うかを考えれば、これは理解できる話だろう。相手に「完璧」を求めないはずだ。
相手に伝える気持ちがあれば、伝わる。
それが異文化コミュニケーションというものだ。
伊藤詩織さんの主張や話力が世界中に受け入れられているのは、「完璧な英語」を話すからではなく、その熱、その人格に人びとが魅入られていくからだ。完璧な英語でなくても、その人物に対する信頼の厚さから正しい構文の言葉に自分の中で置き換えて理解することができる。多少の間違いがあったとしても、気にならない。そう思わせることができる話力の持ち主なのだ。
「翻訳の質」が犠牲となる時事翻訳
翻訳という界隈に身を置かない素人の英語話者の翻訳力も、同様に「完璧」ではない。もちろん、翻訳者も常に完璧ではなく幾分かはミスする余地がある。だから常に精進しようとする。合理的な指摘があれば改善する。ただ、外国に留学したり滞在した経験者が持つ英語力とは根本的に異なる厳格さを持つ。その差別化要因があるからこそ、「翻訳の質」に違いが出る。
この「翻訳の質」が一番出てしまうのが、「時事翻訳」と言われる分野だ。ニュース記事、速報などの翻訳案件のため、従来以上のスピードを要求され、クオリティはどうしても犠牲になる。チェックが入らないか、あるいは「入れられない」場合もある。時間の関係なのか特急翻訳故なのかは謎だ。十数年前、フリーの時にロイター等の翻訳を行っていたが、一定の時間的制限の中でこなすのにはやはり限界があった。 質にどうしても限界が生じる。
昨今の時事翻訳で誤訳が多く指摘されるのは、私がフリーだった十数年前に比べてネット配信がより加速し、とんでもない速さの情報発信が求められるようになったからだろう。そんな中で「翻訳の質」というのはどうしても犠牲になる。日本の公共放送NHKでも、私自身、何度も誤訳を指摘したことがある。適切な対応をして貰ったときも、そうでなかった時もある。英国放送協会BBCの動画のカット翻訳についても、同じことが言えるのだと思う。
しかし視聴者は仕上がった翻訳・字幕・吹き替えを全て「完璧」なものと見做してしまう。プロが行った仕事なのだから、そう見做されるのも当然だ。だから、仕上げをする段階でのチェックや見直しができる現実的な翻訳計画を製作側で立てる必要がある。が、現実にはそうはいかない。その時間やヒトやカネが無いから、翻訳者は与えられる時間と情報以上の翻訳精度を求められる。品質に妥協せずにこれをこなすのは至難の業であり、日々日々物凄いスピードで配信される最新情報を五月雨式に「処理」もとい「こなされている」同業の方々には尊敬の念しかない。
そうした現実的な制約は、事後に同じプロの同業が補うしかない。誤訳として指摘すると、その向こうに必ず同業がいるのだから心苦しいが、成果物を精査した結果誤訳としか言えないのならば、名もない同業がそこで評価を下げたとして致し方ない。我々翻訳・通訳者は、常にそうされる可能性のある業界に身を置いている。私はそういう認識でいる。
長い前置きとなったが、以上のことを前段に、すなわち、伊藤詩織さんの英語力はけっして完璧ではなく、また翻訳者にも時事翻訳である以上ミスを犯す蓋然性は存在するという前提で、BBCの記事の動画で問題となった箇所について、英日併記と独自解説を交えた改訳をここにまとめる。事前にツイッター上でも持論を展開し自動まとめ(unroll)を使ってThreadにまとめあげているが、本稿はこれらをブラッシュアップしたものである。
Thread第一弾(改訳チャレンジ編)
Thread第二弾("everyone"解釈編)
改訳と解説(本編)
元訳(BBCジャパンの字幕訳)
BBCジャパンによる実際の字幕訳
①
日本社会で育つと
If you grow up in Japanese society,
②
誰でも性暴力や性的暴行を経験しているんです
everyone have experienced sexual violence, or sexual assault,
③
ただし自分が被害に遭ったんだと
全員がそう思うわけでもない"
but not everyone consider it was.
改訳(拙訳)※Threadまとめに含まれていない最終形の字幕訳
筆者による字幕翻訳(最終段階)
①
日本社会で育ったなら
When you grow up in a Japanese society,
②
性的加害を見聞きした経験を持つでしょう
you would think everyone must have the experience
of seeing someone being sexually assaulted.
③
ただ被害に遭った認識を持つかというと
必ずしもそうではありません
but not everyone would actually consider they were.
改訳全文(2020/6/18追記)
~修正した原文に基づき拙訳を全体に字幕化したもの~
①
日本社会で育ったなら
When you grow up in a Japanese society,
②
性的加害を見聞きした経験を持つでしょう
you'd think everyone must have the experience of seeing someone being sexually assaulted,
③
ただ被害に遭った認識を持つかというと
必ずしもそうではありません
but not everyone would actually consider they were.
④
とくに女子高生の場合
交通機関を使うようになると
Especially in the case of high-school girls,
when you start using public transportation,
⑤
そこから毎日
そういう目に遭うようになります
it happens every day.
⑥
だから毎朝
教室に着くたびに
いつもその話題で持ちきりでした
So whenever we get to the classroom,
that was all we talked about:
⑦
今日はどんな男が
自分にぶっかけてきたとか
today, this man jerked off on me,
⑧
今日はどんな男に
スカートをつかまれたとか
today, this man grabbed my skirt.
⑨
でもそういうものだと
受け止めるしかなかった
But this was something that we have to deal with.
⑩
通報なんかできませんでした
We could not report it.
1) 原文解釈の修正、再翻訳、再字幕化(第一段階)
~”Sexual violence or sexual assault”の訳の取り扱い~
この改訳では、原文の"sexual violence, or sexual assault"に関する解釈を元訳の「性暴力や性的暴行」から「性的加害」のみに変えている。これは、その直後に語られる痴漢行為が《性的暴行を含む、性暴力の一環》であるという認識があれば、その訳は「性的加害」であると理解できるからだ。
性的加害(sexual assault)という言葉には、レイプ、痴漢、セクハラ等あらゆる性暴力(sexual violence)が包含されている。レイプや痴漢がその中で「物理的な暴力」に分類されるとしたら、セクハラ等は「精神的な暴力」に当たると整理される。いずれも、一般に国際社会においては”sexual assault”と認識されている暴力であり、対する正規訳は「性的加害」であると理解している。これは、長年に及ぶ筆者の人権界での経験と、様々なメディアや専門家による文献などに直接接してきたことから得られる結論である。あらゆる性的加害は性暴力であり、性暴力は性的加害なのである。
(例)2017年にシンガポールのストレーツタイムズ紙が行った特集記事
※この記事にも日本における性的加害の例として伊藤詩織さんが登場する。
セクハラが性的加害の一部として日本で大きな問題となっていることは、2018年に中東アルジャジーラが制作したスポット動画からも読み取れる。このスポット動画には詩織さんも登場するが、動画では、レイプを含む「性的加害」行為について殆どの日本女性が通報しようとしていないことを内閣府の統計で示そうとする。物理的な性暴力と同様に、精神的な性的加害も問題視されていることの表れだと、筆者は理解している。
これらの背景を踏まえると、筆者が適当と考える訳はこうなる。
※但し「字幕訳」ではない。文字数やフローは度外視されている。
筆者による再翻訳(最終訳)
”日本社会で育ったならば、誰もが性的加害を見聞きした経験を持つでしょう。ただ、誰もが被害に遭ったという認識を持つかというと、そうではありません。とくに女子高校生の場合、公共交通機関を利用するようになると、毎日のように起こることなので、教室に着くとその話題でいっぱいになります。今日はこんな男がぶっかけてきたとか、今日はこんな男がスカートを掴んできたとか。自分たちで折り合いをつけるしかありませんでした。通報なんてできませんでした。”
この文のロジカルなフローは、次のような流れだ。
①日本社会では誰もが性的加害を見聞きした経験を「持ち得る」
→常にどこかで誰かが性的被害に接している
②しかしその中で自分が被害者であるという認識を持つのは「稀」である
→だが自身が被害者であると認識する者は稀である
③ところが女子高生の場合は痴漢が日常茶飯事なので「日常」でしかない
→女子高生の多くは被害者であるという意識を広く共有している
④こんな女子高生は「日常」と折り合いを付け、故に「通報していない」
→女子高生にとって性的加害は日常でしかなく、無力感に苛まれている。
大意→誰もが性的被害に接しているが、自身を被害者と認識するのは稀。一方、たとえば女子高生は被害者であるという認識を広く共有する。
痴漢は日常茶飯事でありクラスでも話題にのぼるが故に通報はしない。
詩織さんが述べたかった日本の真実がこれだ。
そして、大学生を相手に行ったヒアリングのシーンに移る。
実際に痴漢に遭ったことのある、目撃したことのある男女が現実を語る。
この動画(カット)自体が、そういう構成となっている。
"sexual violence, or sexual assault"の話に戻ろう。
BBCジャパン訳ではここは「性暴力や性的暴行」となっている。しかし、こうして「○や○」と別分類の事柄をひとまとめにするのは、不適当であると考える。第一に、筆者が実際に聴き取った感覚では、原文は
"sexual violence or sexual assault"(〇又は〇)ではなく、
"sexual violence, or sexual assault"(〇あるいは〇といわれるもの)である。
英語では、”or”を単に「又は」という意味ではなく、「あるいは、いわゆる」という意味で使う場合がある。インタビューなどの場面で、時間が限られている場合、通常はこれを省略して表現する。
(A)
sexual violence, or so-called sexual assaults
性的暴力あるいは所謂「性的加害」
(B)
sexual violence, or sexual assaults
性暴力あるいは性的加害
こうした省略は往々にしてあるため、筆者は後者(B)であると判断した。
翻訳者は、話者の意図を様々類推して正確と思われる訳を導き出す必要がある。それが最終的に不明瞭に伝わってしまったとしても、それが話者の意図する、あるいは状況によって生じた不明瞭さならば、それすらも「翻訳」しなければならない。それは、容易なことではなく、正に腕の見せ所となる。
詩織さんの発言の意図が上記A・Bいずれのケースであったにせよ、詩織さんが敢えてsexual violenceとsexual assaultという別個の、ただし類似の概念を併記して述べたという事実まではなかったことにはできない。だからいずれも訳出するのが最も忠実な和訳となる。仮にそれでは依然として誤解が生じたとしてもだ。 そうして、できた訳の第一段階が次のようなものになる。
筆者による再翻訳(第一段階)
”①日本社会で育ったならば、②誰もが性暴力あるいは性的加害を受けた経験があるでしょう。③ただ、誰もが実際に被害に遭ったという認識を持つかというと、そうでもありません。”
2) 原文解釈の修正、再翻訳、再字幕化(第二段階)
~"everyone"と"experience"の訳の取り扱い~
A)"everyone"の訳の取り扱い
"Everyone"の訳について、第一段階では便宜上「誰もが」にしているが、これは実は無くても困らない程度の表現である。日本語話者や英語に精通しない者は逐語的に「Everyone=全員」と思いたいかもしれないが、一般には何においても全員が同じ考えであるという確証は得ようがないため、一般に口語的に"everyone"が厳密に「全員」を意味することは、ほぼない。
例えば、私の第二段階(但し字幕化前)の場合、こうなる。
筆者による再翻訳(第二段階)
”①日本社会で育ったならば、②性暴力あるいは性的加害を受けた経験があるでしょう。③ただ、被害に遭ったという認識を持つかというと、必ずしもそうでもありません。”
「誰もが」に繋がる文意を変えずに、逐語的にではなく、日本人に自然に伝わる文にする。『察する文化』のある日本人ならでは可能な省略である。これがいわゆる日本語化(ローカライズ)という翻訳の一歩先の作業。
これを字幕化すると、こうなる。
筆者による再字幕化(第一段階)
①
日本社会で育ったならば
When you grow up in a Japanese society,
②
性暴力または性的加害を受けた経験があるでしょう
you would think everyone must have the experience
of being sexually assaulted,
③
ただ被害に遭った認識を持つかというと
必ずしもそうではありません
but not everyone would actually consider they were.
BBCジャパンによる字幕訳
①
日本社会で育つと
If you grow up in Japanese society,
②
誰でも性暴力や性的暴行を経験しているんです
everyone have experienced sexual violence, or sexual assault,
③
ただし自分が被害に遭ったんだと
全員がそう思うわけでもない
but not everyone consider it was.
これをBBCジャパンの元訳と並べてみると、まだ幾分か文が長いことがわかる。BBCの字幕訳は、映画字幕などとは異なり、いわゆる『14字ルール』が適用されていないようだが、それでも拙訳は、依然として長い。
これは、元の訳の「~を経験しているんです」という表現を元の英語からして見直したからだ。原文そのものを見直したのには幾つか理由がある。
多くが指摘する通り、everyoneの後にくるのは"have"ではなく"has"のはずだが、詩織さんはたしかに"have"と発音している。これは、①everyoneを本来の非口語的な場合での厳密な意味の「全員」としていないことの表れであると同時に、②単純な発音(と認識)のミスである、と筆者は捉えた。
さらに③日本語として、BBCジャパンの訳は不自然である。
これが冒頭で述べた「違和感」だ。
日本社会で育つと、誰でも性暴力や性的暴行を経験しているんです。
「~育つと~経験している」???文の繋がりがおかしく、不自然である。
そこで、原文の文意を踏まえつつ、より自然な英語に書き換えた。
BBCジャパンによる字幕訳(①~③)から導かれる文意
"①If you grow up in Japanese society, ②everyone have experienced sexual violence, or sexual assault, ③but not everyone consider it was."
(拙訳)①日本社会に育ったなら、②誰もが性暴力あるいは性的加害を経験したことがあると思います。③でも誰もが被害に遭ったという認識を持つわけではありません。
その上で、第一段階では更に自然な日本語になるよう原文解釈を修正した。
筆者による原文解釈の修正(第一段階)
"you would think everyone must have the experience of being sexually assaulted"(誰もが性的加害を受けた経験があると思うでしょう)
ここから更に「経験」(experience)という語を掘り下げて考える。
B)"experience"の訳の取り扱い
詩織さんが言わんとしていることは、厳密に「加害を受けた経験」なのだろうか。それとも、「別の経験」なのだろうか。ここで、ロジックを振り返る。詩織さんが伝えようとしたことの大意は、先にも述べたとおり。
「誰もが性的被害に接しているが、自身を被害者と認識するのは稀。一方、たとえば女子高生は被害者であるという認識を広く共有する。痴漢は日常茶飯事でありクラスでも話題にのぼるが故に通報はしない。」
この中で鍵となっているのが、BBCジャパンの字幕訳でいう③だ。
BBCジャパンによる字幕訳
①
日本社会で育つと
If you grow up in Japanese society,
②
誰でも性暴力や性的暴行を経験しているんです
everyone have experienced sexual violence, or sexual assault,
③
ただし自分が被害に遭ったんだと
全員がそう思うわけでもない
but not everyone consider it was.
原文は端的に"but not everyone consider it was"。BBCジャパンの字幕訳は「ただし自分が被害に遭ったんだと、全員がそう思うわけでもない」
ここでの"everyone”を「全員」としたことも今回の騒動の一因だったが、少なくとも「自分が被害にあったんだと~思うわけでもない」という翻訳者の解釈は、やや説明的であり原文に対しては無理があるが、概ね正しい。
ここで「自身が被害に遭ったと思えない」ことの理由は何か、と帰納的に考えると「自身が被害に直接遭ったわけではない」という結論に帰結する。ならば、直接被害に遭っていない者が「経験する」ものとは何か、それは「見聞きする」という経験にほかならない、という結論に至る。そこで、原文に対する理解が変わる。本当に言いたかったのはこういうことではないかと。
筆者による原文解釈の修正(第二段階)
"you would think everyone must have the experience of seeing someone being sexually assaulted"(誰もが性的加害を受けた人を見聞きした経験があると思いますよね)
これを実際に字幕化すると、こうなる。
筆者による再字幕化(第二段階)
①
日本社会で育ったなら
When you grow up in a Japanese society,
②
性暴力または性的加害を見聞きした経験があるでしょう
you would think everyone must have the experience
of seeing someone being sexually assaulted,
③
ただ被害に遭った認識を持つかというと
必ずしもそうではありません
but not everyone would actually consider they were.
この第二段階で、"everyone"の訳を省きながらもそれを暗示することはできたが、それでもまだBBC字幕訳には4文字ほど及ばない。
(拙訳)性暴力または性的加害を見聞きした経験を持つでしょう
(元訳)誰でも性暴力や性的暴行を経験しているんです
ここで再字幕化における第三段階の修正が必要になる。
3) 原文解釈の修正、再翻訳、再字幕化(第三段階)
~文字数やフローを考慮した調整~
いよいよ最終段階が近づいてきた。これまでの考察をもとに、現実に字幕として生かせる体裁を完成させなければならない。ここで筆者は、再字幕化の第二段階でネックとなった訳文の長さについて調整に入った。
そのために、第一段階で確立したロジックの援用が不可欠となる。
「”Sexual violence or sexual assault”の訳の取り扱い」において、"sexual violence(性暴力)"は"sexual assault(性的加害)"に包含されるという理解の援用だ。これまで、話者が二つの概念を併記して語ったことを尊重するべく、第二段階までは「性暴力または性的加害」という表現を維持してきた。これを、第一段階で確立したロジックを元に「性的加害」に集約する。
筆者による再字幕化(第三段階)
①
日本社会で育ったなら
When you grow up in a Japanese society,
②
性的加害を見聞きした経験を持つでしょう
you would think everyone must have the experience
of seeing someone being sexually assaulted,
③
ただ被害に遭った認識を持つかというと
必ずしもそうではありません
but not everyone would actually consider they were.
概念整理を事前に行ったことで、これでBBC字幕訳よりも2文字ほど少なく収めることができた。この部分(②)は、これでほぼ完成とみていいだろう。
(拙訳)性的加害を見聞きした経験があるでしょう
(元訳)誰でも性暴力や性的暴行を経験しているんです
次に③だが、BBCジャパン訳ではこうなっている。
BBCジャパンによる字幕訳
①
日本社会で育つと
If you grow up in Japanese society,
②
誰でも性暴力や性的暴行を経験しているんです
everyone have experienced sexual violence, or sexual assault,
③
ただし自分が被害に遭ったんだと
全員がそう思うわけでもない
but not everyone consider it was.
これを筆者は最終訳でこうした。
筆者による再字幕化(最終段階)
①
日本社会で育ったなら
When you grow up in a Japanese society,
②
性的加害を見聞きした経験を持つでしょう
you would think everyone must have the experience
of seeing someone being sexually assaulted,
③
ただ被害に遭った認識を持つかというと
必ずしもそうではありません
but not everyone would actually consider they were.
ここで筆者は、敢えて日本人の『察する文化』に合わせて「ローカライズ」すべく、BBCジャパン訳の「自分が」と「全員」を省いた。これは日本語ならではの許容される曖昧さで、「必ずしも」という表現を入れることで、「誰もがではない」ということが解る仕組みとなっているからだ。
この「必ずしも」は"not everyone"(誰もが~ではない)に該当するが、日本人の感覚ならば、「必ずしも~ではない」となっていれば、「嗚呼、全員には当てはまらないんだな」と合点がいくだろう。
他にも、他所で実は細かい調整を行っている。
第二段階
②
性的加害を見聞きした経験があるでしょう
you would think everyone must have the experience
of seeing someone being sexually assaulted,
第三段階
②
性的加害を見聞きした経験を持つでしょう
you would think everyone must have the experience
of seeing someone being sexually assaulted,
これは、③の文とさらにロジカルなフローにするための工夫である。
これで②の文は実質的に完成となった。
①日本社会で育ったなら
②性的加害を見聞きした経験を持つでしょう
③ただ被害に遭った認識を持つかというと
必ずしもそうではありません
これは日本語ならではの美しさが成せる業でもある。
おわりに
どこにも主語がない文でも、一般に通用してしまうというこの機能美。
主語がなければ、責める対象も、責められる対象も存在しなくなる。
「自分」「全員」この言葉に日本人は弱い。すぐに自分を、あるいは自分が属すると自分で考える「全員」を思い浮かべ感情移入するだろう。
事実、今回起こった騒動の発端はそこにある。
なので拙訳では、その騒動の原因となり得る要因をかぎりなく取り除いた。可能なかぎり、合理的な考察に基づいて。
誰も傷つけない、誰も貶めない、誰の責でもないとする翻訳を行うことは至難の業である。だが日本語という美しい言語は、本来それを可能にする。
完璧な英語を操るでもないバイリンガルな英語話者に、そこまでの(翻訳後の)配慮ができずとも、翻訳者はこれを配慮して日本語らしい美しい文を維持しつつ、完成できる余地があった。
惜しむらくは、やはり「時事翻訳」という性質のせいか、不自然な日本語のまま、美しい日本語でないまま、多くが「私を批判している」「私の属する集団を批判している」「私たち全員を批判している」と感じてしまう形の翻訳のまま世に出てしまったことだろう。
筆者が行った原文の修正、再翻訳と再字幕化については賛否両論あるだろう。筆者もさまざまなことを勘案して類推してベストと思える、美しい翻訳を心がけたまでのことなので、批判はあって然りだと思う。
しかし今いちど、翻訳という作業にどの位の考察がなされ、配慮がなされ、そして更に字幕化という作業の段階でどのような取捨選択が行われているのか、その背景を少しでも理解いただけたらと思って、今回自ら検証させいただいた。 #いま私にできること として。
願わくば、ひとつひとつの翻訳にそれだけの労力と、ひとりひとりの翻訳者の思いが込められていることに思いを馳せていただきたい。
ご精読いただき感謝いたします。
余談~続"Everyone"論~
"Everyone"の対語に"No one"がありますね。「誰もが」に対する「誰も」という表現。これも、英語で厳密に「誰も」を意味することは稀です。映画などでよくある"No one will believe you"(誰がおまえのことなど信じるか)みたいな表現がありますが、これも「厳密ゼロ」という意味では有りません。逆説的に、"Everyone"も同じです。
例えば私が通訳した表現に、こういのものがありました。
"Everyone in the department would agree with me"
「うちの課の者なら誰もが私に同調するだろう」
この時、私は敢えて「全員」とはしませんでした。文意に”多数派であること”が含まれているからです。しかし、「多数」ではあっても「全員」であるかどうかは話者にだってわかりませんし、受け止めた側にも確認しようがありません。厳密な話ではないのです。だからここでは「全員」とは表現せずに「誰もが」と訳出し、あとは受け手側の理解に任せるのです。
翻訳でも通訳でも、その位の思考の余地は残すものです。
これは最早対話力の問題で、相手が"everyone"あるいは"no one"と言ったからと言ってそれを一言一句真に受けるというのは流石に大人気ない話です。だから映画などでは、"NOT EVERYONE(全員じゃねえよ)"みたいな、子どもっぽい返しがよく使われるわけです。
社会人の方はそんな稚拙な理解で英語を使ってないことを願うばかりです。
では逆に、厳密に"No one"あるいは"everyone"の時には、すなわち「全員」あるいは「誰も~でない」を英語でどう表現するのか。これもよく映画やドラマなどで聞くと思いますが"literally"を前に、あるいは後に付けます。
Literally, no one is with me.
誰も俺の味方しやがらない。
Everyone? Literally?
全員って本当に全員か?
こんな感じです。
Literallyという言葉はリテラル(逐語的な)リテラシー(通常は識字率、最近は教養や様々な情報に基づく状況判断力を意味します)等の言葉でも使われるように「文字通り」という意味です。"Literally"の言葉で補足することで、普段口語的には厳密ではない"Everyone"あるいは"No one"という言葉が厳密の意味を持つようになるのです。逆説的には、それだけ意味のない、といったら語弊がありますが、レトリカル(修辞的)な表現なんです。
日本人が習う英語では、何でも辞書通りの意味で使われているという理解ないのかもしれませんが、英語は今も生きている言語です。日々日々進化し、辞書だって「現代用語辞書」が日々更新されています。Urban Dictionaryというお茶目なサービスもあるので是非ご覧になってみてください。辞書通りに使い方ができるなら、その辞書も日々日々アップデートされていることを念頭に、英語力に磨きをかける努力をしてみてください。
最後に、これまでの説明はすべて口語的な場合、口述の場合に限られた場合に適用されるものです。契約書、法文書、社内コレポン文書など、公文書や正式な文書においては、一度"everyone"だとか"no one"だとか使ったら厳密性を求められます。なので誤解のリスクを回避するため使わないのがビジネスの定石です。社内コレポンでは、気心が知れた間柄のみ使用が許容されるでしょう。「全員」という確定的な表現は、日常では避けるのが定石です。
以上
謝辞(訳者あとがきにかえて) 2020/6/24追記
noteをご覧くださりありがとうございます。基本的に「戦う」ためのnoteですが、私にとって何よりも大切な「戦い」は私たち夫婦のガンとの戦いです。皆さまのサポートが私たちの支えとなります。よろしくお願いいたします。