見出し画像

第二章 真剣勝負(浜名航平)(5)

「相変わらず、飛車先の歩か」
「攻撃は最大の防御って言うだろ。俺は守るのが基本的に嫌いなんだよ」
「そうか。じゃあ、こちらは守るとしよう。△3四歩だ」
 戦型は相変わらず俺の居飛車に、平じいの三間飛車だ。以前、なんで三間飛車ばかりやるのかと聞いたら、石田検校が好きだからと言った。
「イシダケンギョウ?」
「江戸時代の盲目の棋士だよ。知らんのか?」
「さあね。俺は将棋が強くなる情報は興味があるけど、そんなどうでもいいことには興味がないんだよ」
「なんだ。浜名君は将棋が好きじゃないのか?」
 頭の悪いじいさんだ。将棋は好きだし、将棋が強くなることなら興味があるけど、江戸時代の棋士のことなんて、微塵も興味がないと言っているだけだ。
 指し手がどんどん進んでいって、俺の歩の突き捨てから駒がぶつかり合って開戦した。ときおりじいさんは俺の指した手を「ほうほう」と言いながら、感心したような顔をする。
 俺はこうして将棋をしているときが一番楽しい。自分で考えた戦法を試すとき、相手の布陣を攻め潰したとき、自分の読みがズバリ当たったとき、そのすべてが楽しい。つくづく俺は将棋が好きなんだなと思う。
 中盤も佳境を迎え、戦局は一進一退となった。俺が指したら俺が有利に、平じいが指したら平じいが有利になるような局面になった。
「ところでじいさん、俺たちって、なんで勉強しなきゃいけないのかね?」
 平じいは見上げて、俺の顔を穴があくほど見つめた。
「なんだ、浜名君は勉強が嫌いか?」
「嫌いなんじゃねえよ。意味がわからないんだよ、勉強する」
「勉強する意味? 勉強はいいぞ。ほら、いまやってる将棋も勉強だろ」
「将棋が強くても、受験には関係ないだろ」
「人生何事も勉強だよ。勉強はできるときにやっておいた方がいい。私なんて小学校のときは神童と呼ばれたもんだがな」
 平じいは昔を懐かしむ顔をした。
「へえ、じいさんが? で、じいさんはどこの大学なの?」
「私は中学を出て社会に出たから、高校に進学する友達が、一時期うらやましかったこともあったな」
 うへえ、このじいさん、中卒かよ。平じいなんかに聞くのがそもそも間違いだった。
 平じいは真面目な顔をした。
「人間、一生勉強だ。君が学校でやってることも必ず役に立つ。いま君ができることを精一杯やったほうがいい」
 中卒の癖に言うことだけは一人前だ。でも、「いま君ができること」という言葉が妙に引っかかった。
 局面はどんどん進み、終盤になった。何手か進んだあと、平じいが疑問手を指した。それは甘いんじゃないのか。
 俺は平じいの玉に即詰みの筋があるのではないかと直感した。いつものように、「ちょっとタンマ」と言って、トイレに走った。トイレの中に入ると、スマホを取り出して、棋譜データに変換した。ソフトに最善手を問うと、やはり即詰みの筋があることがわかった。
 ふむふむ、なるほど。初手▲5三桂の王手と、十三手目の▲4一銀打ちがポイントだな。俺は詰み筋を確認すると、何食わぬ顔をして戻った。
「なんだ。黒柳七冠の終局トイレのつもりか?」
 平じいがからかったが、俺の指した▲5三桂を見て、目を見張った。それから、俺を見やってから、その桂馬を取った。俺は覚えていた詰み筋で平じいの玉を追っていく。やがて俺は▲4一銀を打った。
 平じいが感心したように「ほうほう」と呟く。感心している場合じゃないぞ、じいさん。
 平じいはそれから数手指したが、「詰んでしまったようだな」と他人事のように言った。
 全然悔しくなさそうに「私の負けだ」と言うと、平じいはポケットから五百円玉硬貨を取り出して盤の上に置いた。
「まいどありぃ」
 俺は五百円玉をひったくるように取ると、綾子さんに渡し、栗林将棋センターを出た。

(続く)



#小説 #物語 #日記 #エッセイ #コラム #中学受験 #受験 #高校受験 #二月の勝者 #ドラマ二月の勝者 #SAPIX #日能研 #四谷大塚 #早稲田アカデミー #浜学園 #希学園 #馬淵教室 #教育 #学校教育 #勉強


小説が面白いと思ったら、スキしてもらえれば嬉しいです。 講談社から「虫とりのうた」、「赤い蟷螂」、「幼虫旅館」が出版されているので、もしよろしければ! (怖い話です)