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第二章 真剣勝負(浜名航平)(4)

 塾を出てから、俺はその足で、将棋センターに向かった。
 向かう先は平畑のじいさんのいる「栗林将棋センター」だ。大通りからそれたところにあるためか、いつも客は少ない。対局席も12面しかない。席主は平畑のじいさんの古い友人だそうだが、俺は一度も見たことがない。代わりに席主の娘の綾子さんが、センターを切り盛りしている。
 俺に密かに「平じい」と呼ばれている平畑のじいさんは、そこでの古株で、いつ来ても、席主のようなでかい顔をしている。
 七十歳はゆうに過ぎていると思う。髪の毛は真っ白でふさふさとしていて、近づくといつも線香の匂いがするが、たまに酒臭いから、酒好きなんだろう。口癖は「ほうほう」で、いい手を見ると、この言葉をつぶやく。だが、俺に負けるようだから大したことはない。むろん五年生に負けるような人間が一番強い栗林将棋センターも、大したことはない。
 母さんには、塾で一時間復習してくるって言っているので、問題はない。母さんは「勉強しろ」っていうくせに、俺がどんな勉強をしているかなどまったく興味がないので、ごまかすのは簡単だ。
 月の小遣い千円の俺がここに常連で通っていられるのも、いつも平じいと賭け将棋をやっているからだ。賭け将棋と言っても、席料の五百円を賭けるくらいだ。いままでに何度も負けそうになったが、一度も負けたことはない。最近は負けそうになったことすらない。
 なぜなら俺には秘密兵器があるからだ。
 それはスマホにインストールされている将棋ソフトだ。盤面を撮影したら、それを譜面データにして、次の一手を教えてくれる。将棋駒には癖があるから、駒の登録をしたら、まず間違うことはない。無音で撮影もできるようになっているが、少しわざとらしくなるので、俺は胸ポケットにスマホを入れ、カメラの部分だけ出して、対局の様子をずっと撮影している。そうしたら、棋譜の情報に変換して、現時点での最善手を教えてくれる。
 このソフトは高かったが、父さんにせがんで誕生日に買ってもらった。この将棋ソフトは相当に強いので、まともに対局すると勝てないけど、これを人間相手の対局で使うと完璧な武器になる。俺はこの武器を使って、平じいをカモっているというわけだ。
 「栗林将棋センター」は古ぼけたビルの一階にある。
 二階より上には居酒屋などの飲み屋が店を出している。夜に行くと、二階で飲んだ酔っ払いが将棋センターに来て、酒臭い息をまき散らして、騒ぎながら将棋を指すのであまり好きではないけど、日進研に通っている以上、この時間帯に行くしかない。
 平じいはいつ行ってもここにいる。ここが家じゃないかと思うくらいだ。人の指し手を見て回って、いろいろとアドバイスしている。俺に負けるヘボ将棋のアドバイスをみんなありがたがって聞いているから、なんだか滑稽でもある。
 俺が将棋センターの扉を開けると、席主代理の綾子さんが「あら、浜名君。今日も遅いのね」と声をかけてきた。
「最近塾に通ってるんで、終わったあとしか来られなくなったんです」
 綾子さんの年齢は四十歳くらいで、母さんより少し年下っぽく見える。いつもニコニコとほほ笑んでいて、笑うと目が細くなる。気立てのよいおばさんってところだ。
「今日も平畑さんと将棋するでしょ?」
 将棋センターには客が少なく、三局しか対局していない。平じいはそのうちの一局を観戦していたが、俺を見つけると、こちらのほうにやってきた。
「今日も五百円でやるか」
「ああ」
 なぜか平じいにだけは、タメ口で喋ってしまう。じいさんはそのことを咎めるわけでもなく、普通に接してくる。
 平じいは、入り口に一番近い将棋盤の前に座ると、駒を並べ始めた。並べ終わると、「ほれ、指しなさい」と言って俺に顎をしゃくった。
 連戦連敗しておいて、先手を指せはないと思うが、俺はありがたく先手で指すことにしている。俺は胸ポケットのスマホの撮影ボタンを押して、▲2六歩を指した。

(続く)



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