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第七章 中受地獄(白石真央)(11)

 しばらく私は駅近くの繁華街をただあてもなく、歩いていた。
 何時間あてもなく歩いていただろうか。もう私なんてどうでもいいと思っていた。あんな点数を取って帰ったら、間違いなく私はただでは済まない。激高したお父さんに本当に殺されるかもしれない。
 私のような存在価値さえないような人間は生きていても仕方がない。でもその前に私は会いたい人がいた。
 それは鎌倉のおじいちゃんだ。去年おばあちゃんに死なれて、いまは一人でひっそりと鎌倉に住んでいる。
 おじいちゃんだけはいつも私の味方だった。私がお父さんに叱られても、いつも私をかばってくれた。せめて死ぬ前におじいちゃんに会って別れの言葉を告げたい。
 幸い私の財布には、今年の正月におじいちゃんにもらった一万円札が入っている。「お父さんとお母さんには内緒にしなさい」と言って、そっと渡してくれた一万円札。この一万円で、鎌倉まで行こう。おじいちゃんの家は、鎌倉駅から海に向かって由比ヶ浜の海岸の近くにある。
 おじいちゃんに最後のお別れをするんだ。私は鎌倉行きの横須賀線の電車に乗るため、電車で東京駅に向かった。
 東京駅から横須賀線に乗って、鎌倉駅に着いたときには、あたりにはオレンジ色の夕日が差し込んでいた。私は記憶を頼りに、おじいちゃんの家を目指した。おじいちゃんの家に最後に行ったのは、おばあちゃんのお葬式のときだった。
 あれだけ元気で強そうだったおじいちゃんが、肩を落としてちいさくしぼんだようで、とても弱々しく見えた。そんなときでもおじいちゃんは「勉強を頑張って、真央は偉いな」って褒めてくれた。
 最後におじいちゃんに会ってお別れをしたい。大好きなおじいちゃんの顔が見たい。その一心だった。
 やがて懐かしいおじいちゃんの家が見えた。私は門を開いて中に入った。玄関の前に立って呼び鈴を押したけど、だれも出ない。それから何度も呼び鈴を押したけど、だれも出なかった。あかりもついていない。しばらく玄関の前に立っていたけど、いつまで経ってもおじいちゃんは帰ってこなかった。
 私はあてもなく、ただ死に場所を求めて海岸のほうに向かった。
 途中に公園があった。もう暗くなり始めていて、公園にはだれもいない。公園の片隅に古ぼけたトイレがあった。
 ここで首を吊って死のう。公園に捨てられていたロープを持つと私は個室に入り、鍵を閉めた。荷物をひっかける金具が取りつけられている。ここにロープをかけたら、私の体重くらいは持つだろう。自分が死ぬことを考えながら、私は驚くほど冷静だった。
 私はロープで輪っかを作って固く結んだ。その輪っかを金具に引っかけ、トイレのタンクによじ登り、輪っかの中に首を突っ込んだ。
 さようなら、おじいちゃん。さようなら、宮田君。さようなら、塾のみんな。

 耐えきれない不快さで目が覚めた。私はトイレの床に座り込んでいた。脇に金具が落ちている。私の体重に耐えられなかったらしい。喉が圧迫されて痛い。声がかすれてうまく出ない。
 腰のあたりがひんやりとする。お尻に水たまりのようなものができていた。どうやら私は失禁したようだ。
 私は便器の中に首を突っ込んで、激しくげえげえと嘔吐した。なにも食べていないので胃液しか出ない。吐き気が治まると、私は便器の前にへたり込んだまま、長いあいだ放心していた。
 そうだ。海なら死ねるかもしれない。私はよろよろと立ち上がると、トイレを出た。そうして公園と道路を挟んだ海岸に向かった。
 幸いあたりにはだれもいない。砂浜に出て、ふらふらと海のほうに向かった。足が届かないところまで歩いて行けば、波にさらわれて死ねるかもしれない。
 海岸を海のほうに歩いた。波が足に当たり、ひんやりとした。私はずんずんと海のほうに進んだ。やがて海面が首より上に来て、息がまともにできなくなった。このまま死んで行けたら楽になれる。私はさらに沖に進んだ。
「なにやってるんだ!」
 遠くでだれかが言っているのが聞こえたが、私の意識は次第に遠のいていった。

(続く)



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