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第一章 ライバルの秘密(吉本蓮)(9)

 寺内先生の言った通り、十分ほどしてお父さんが迎えに来た。
「どうだった? 宮田君と一緒にいて、秘策は見つかったか?」
 僕が車に乗り込むなり、お父さんが後ろを振り返って訊ねてきた。
「うん、たぶんだけど」
「どんな秘策だった?」
「塾の先生がいつも言っている当たり前のことを当たり前にするってことだった」
 お父さんは意外そうに呟いた。
「ほう」
「昨日今日と宮田君の行動を見ていて、そう思った」
 お父さんは嬉しそうに目を細めた。
「学問に王道なしってことだな」
「うん」
「そこまでわかれば、たいしたもんだ」
 僕はお父さんの顔をじっと見つめた。
「でも、お父さんはこうなることが最初からわかってたんでしょ?」
 僕の質問には答えず、お父さんは語りかけるように言った。
「なあ、蓮。勉強は中学受験だけじゃないんだよ。中高一貫校に入学したって、附属でなければ大学受験はあるし、会社に入っても勉強、起業しても勉強。人生一生勉強だ。もし頑張っても力及ばず、中学受験で失敗したとしても、その借りは大学受験で返せばいい。大学受験に失敗しても、その借りは社会人になってからでも返せるさ」
「そうだね」
「人間万事塞翁が馬。いいときもあれば、悪いときもある。ベストを尽くしても、結果が悪かったときには仕方がない」
「人事を尽くして天命を待つってやつだね」
「そうだ。その人事を尽くすってことが、本当に大切なことなんだよ。結果だけをとらえて、いろいろと嘆くのはダサいことなんだよ」
「ダサい?」
「そうさ。ダサいさ。ベストを尽くしていたら、たとえ結果が悪くても、堂々としていたらいいのさ。一時の成績で一喜一憂するのは蓮らしくないぜ」
 笑みを浮かべていたお父さんは、急に真面目な表情をした。
「最後に大切なこと。勉強は楽しいものなんだよ。これを忘れるんじゃないよ」
 そう言うと、お父さんは車を走らせた。
 僕は車の中で、今日授業でやるはずだった単元のテキストを読んだ。宮田君を見習って、一言一句漏らさないように、テキストをじっくりと読んだ。
 やがて僕はなんだかいつもと違った気持でテキストを読んでいることに気づいた。
 そうだ。僕は勉強が好きだったんだ。
 知らないことを知ったときの嬉しい気持ち、わからない問題を解いたときの達成感、一人だけ問題ができたときの得意な気持ち、一人だけ問題ができなくて悔し涙を流したこと、それらをすべてひっくるめて、僕は楽しかったんだ。
 以前お父さんが言っていた。
「蓮が中学受験をするのは歓迎だよ。でも勉強が嫌いになるようなやり方をしちゃ駄目だよ。だって勉強は楽しいものなんだから」
 お父さんの言っていた意味が、初めてわかったような気がした。
 僕は、宮田君のことをうらやむのは、もうやめようと思った。僕の人生は僕の人生だ。僕にも得意なことはあるし、宮田君にも得意なことはある。相手ができることをうらやむんじゃなくて、いま自分にできることを楽しみながら、一所懸命やればいいんだ。
 僕はもう一度、勉強を頑張ってみよう、という気持ちになっていた。宮田君には宮田君の悩みがあるだろうし、僕には僕の悩みがあるんだ。
 そしてみんな自分なりにベストを尽くしているんだ。泣き言を言ったって、僕の人生はなにも変わらないんだ。

「蓮君、最近成績が上がってるね。この調子だよ」
 寺内先生が目を細めてそう言った。
 あれからの僕は、毎日自分がいまできることを精一杯やろうと思った。他人のことなんてどうでもいい。僕自身が納得できる勉強をしたかどうかなんだ。
 そういう気持ちで勉強したら、点数や偏差値のことはあまり気にならなくなった。勉強も楽しくなった。知らないことを教わるとき、わくわくした。難しい問題を一日かけて解いたとき、とても嬉しかった。そうしたら、不思議なことに成績が上がり始めた。
 宮田君の家に泊まることになって、宮田君の努力を目の当たりにしたのは、もしかしたらおばあちゃんがあの世から戻ってきて、僕に諭してくれたのかもしれない。人のことをうらやむより、自分にできることを一所懸命やって、勉強を楽しみなさいって。

 宮田君が勢いよく僕の背中をポンと叩いた。
「蓮君、完全に調子を取り戻したね」
 僕は振り返って、「君のお陰でもあるんだよ」と答えた。
 宮田君が「えっ?」と呟いて不思議そうな顔をした。
 僕はくすりと笑って、宮田君に言った。
「僕さあ、KS中学を目指したいと思ってんだ。宮田君もKS中を目指してるんだよね?」
「うん」
「だったら、一緒に頑張ろうよ。二人で目指して、二人で絶対に合格してやろうよ」
 宮田君は最初ぽかんとした顔で僕を見つめていたけど、やがていたずらっぽい表情で笑った。
「蓮君、僕は最初からそのつもりだよ。でも絶対に君には負けないよ。だって君は、僕の『ライバル』なんだから」
 そう言われたとき、僕の宮田君をうらやむ気持ちは、あとかたもなく消え去っていた。

(了)





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