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スカビオサ

人間には脳みそに血液を送る太い血管が首から頭にかけて3本通っているらしいが、僕はそのうち1本がどうやら詰まっているらしい。それだけ聞くと生きてるのが不思議に思うくらい恐ろしいのだが、そういう症状の人は意外といて、3本中の2本でなんとか脳みその血流はカバーできるらしい。診断書には内頸動脈重度狭窄、それによる脳梗塞とある。手術はしてないがそのために入院し、退院後も治療と定期的な検査を続けているが首の血管は詰まったままだ。脳梗塞の再発の可能性は健常者より高いようだが、僕と同じ症状で何十年も再発しない人もいるらしい(再発してる人がどのくらいの割合でいるかは聞いてないが)。いくつか制限を守り何事においても極端な行動を控えれば普通に暮らしていていいらしい。というか特に気をつけようもないらしい。なるときはなる。ならないときはならない。

今ではほとんど入院前の日常を取り戻している。仕事もバリバリやってる。ややもすると首の血管が詰まってることを忘れそうになる。

とはいえ、気持ちはやっぱり不安定だ。コロッと死んでしまうんじゃないかという不安と、いや大丈夫っしょという何の根拠もない自信とのせめぎ合いが延々と続くこともある。

そんな時はこの血管と一生付き合っていくんだという固い決意によって強引に心の平衡を保たせるよう努めていて、今のところそれができている。

先日2ヶ月ぶりに診断があった。その数日前におこなったMRIの結果を見て先生と話し合うのだ。先生は立ち上がりおもむろに白いゴム手袋をはめるとコロナ対策用のアクリルボードを避けて僕の前に来た。何も言わず先生は僕の首の左側に指先をあてた。手を当てる場所を少し移動させると痛いか?と聞くので僕は痛くないと答えた。うん、と言った後先生は椅子に座り「脈は打ってるね」と言う。

僕がポカンとしていると、同席していた妻が「先日のMRIの結果はどうだったんですか」と言う。「あ、MRIやったの?あーあるね」と言ってキーボードを叩いて一枚の画像ファイルを開くと「やっぱり通ってるね」と言う。「ほら一目瞭然だよ」と言って2ヶ月前の画像も開いて比べてみた。黒い地に複雑に張り巡らされた血管と思しき白い影がなんとなく人の頭部を形作っている2枚の画像があった。それぞれの中心部を比べると確かに片方にはない太い白い影がもう片方には明確にあった。「まだちょっと薄いけどね」と先生は呟くように言った。

小一になる娘を水泳教室に送らねばならない妻は処方された薬を受け取るため薬局へ向かう僕と病院の前で別れた。「治療方針は変えないから」と言う先生は前回と同じアスピリンと胃薬を2ヶ月分処方した。僕と同じ首の血管の詰まりが自然と治る人もいるとは聞いていたが稀とのことだったし、何十年も詰まったままの人の話も聞いてたので、自分もそのつもりで一生付き合っていくと決意した矢先、早くもこの詰まった血管とはお別れになったらしい。内頸動脈重度狭窄が快方に向かったといっても一度脳梗塞をやってるので、はたして健常者に戻れるかはよくわからなかった。ただ血管が詰まっているより詰まってない方がいいに決まっている。

薬局を出て電車に乗り込む。平日なので自宅に戻り仕事を続けなくてはいけなかったが、久しぶりの吉報を受けこのまますんなり家に戻る気にはなれなかった。自宅のあるのは隣駅だ。僕は最寄りの駅で降りずさらに一つ先の駅で降りた。そこには少し大きめの園芸店があった。

「何か一つ花を買ってそれを庭に植えよう。毎年それが花を咲かすたび今日のこの喜びを思い出すことができる」

そんなことを考え園芸店に入った。聞けば比較的珍しい大株の宿根草を十数苗、ちょうど仕入れたところらしい。早速その新入荷コーナーへ行き吟味し始める。ジギタリス、アカンサス、エキノプス、その他名前も覚えられないものもいくつかあったが、それぞれあまり目にしない品種でどれも魅力的だった。花弁が、包まないタイプのシューマイの皮のようにヘロヘロした珍しいクリサンセマムと最後まで迷ったが、最終的に僕が選んだのはスカビオサというまだ花を咲かす前の苗だった。スカビオサのオクロレウカという品種だ。「マツムシソウ科」の植物は育てたことがなかったのでそれに対する好奇心が決め手になった。クリーム色の小さな花を初夏から秋までたくさん咲かす、開花期が長く優しい印象の宿根草だ。

家に帰り植え付ける場所を定め、そこに培養土や肥料をすき込んだ後スカビオサを植えつけた。

病気が快方に向かったその日に願いを込めて植えた植物だ。あまり興味がなかったが花言葉でも調べてみるかと、何気なくネットでスカビオサの花言葉を検索し、出てきた言葉に戦慄した。

「私はすべてを失った」

おいおい、ついこないだ全てを失いそうになった僕にそりゃないだろう。そもそも花言葉って「希望」とか「愛」とかシンプルでポジティブな単語じゃなかったのか。ただの興味で買ったのならまだしも、わざわざ特別な意味を持たせて植えた植物の花言葉がこんな不吉なものと判明し軽く混乱した。病気によって全てを失うのか。失わないよう生ろというのか。今の自分にはいろんな解釈のしようがある。何れにしてもそんな花言葉を持つ花が身近にあるのは不気味だ。

引っこ抜いてやろうかとも思ったが、千円以上したし単純に花が咲くところが見たかった。それに引っこ抜いて処分するのは、それはそれで気味が悪く思えた。また、枯らしてしまうのはもっと恐ろしかった。

可憐に花を咲かす植物にこんな不気味な花言葉がついているなんて、植物ってヤツはいよいよあなどれんよ。

植えたばかりでややしんなりした苗をじっと見つめる。「私を枯らすとお前は全てを失うぞ」と挑発的にほくそ笑むのが目に浮かぶ。病気の快方と引き換えに、全てを失わないようスカビオサを必死で世話をする日々が始まった。

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