学習者主体の授業とは?
素敵な先生方のご実践を、直接聞いてみたい!そう思い、今日は京都へ。zoomなどでもたくさんの勉強会が開かれていて、便利な世の中になってきた。しかし、やはり直接会うことでしか体験できないことがあると思う。うまく、言葉にできないが先生方の空気感?雰囲気?こういったものは、直接会うことでしか経験ができない。
今回のセミナーは、「学習者主体の授業とは?」というテーマであった。常日頃から、「学習者主体」ということを大切にしているつもりだが、体現はできていない。今回このセミナーに参加し、先生方のご実践をお聞きして4人の先生に共通点があるなと感じた。その共通点と、私が考える「学習者主体とは?」を以下に述べていこうと思う。
① 面白がっている
先生方のご実践をお聞きして、真っ先に感じていることである。子どもの事を知れた時、子どもの変化を見れたとき、こういったことを面白がっているのである。つまり、「学び=遊び」になっているように感じた。我々教師は(特に私は・・・)、「どうすれば学校が楽しくなるか?」「どうすれば授業が盛り上がるのか?」といった方法論ばかりを考えてしまう。結果、目の前の子どもが見えなくなってしまい、実践ありきになってしまうことが良くある。しかし、一番大切な、一番根底になければならないことは先生方のように「子どもを知ることを面白いと感じる」ことではないかと考えさせられた。
学生時代に師匠から言われた言葉。
「教師がその能力を身に付けていないと、子どもにその能力が身につくはずがない。」
まさに、教師が楽しんでいないと子どもも学校生活に様々なことを楽しいと思えないと思う。
② 子どもたちの欲求を大切にしている
2学期に入ってからの事である。ある授業で私の単元計画と子どもたちの欲求がマッチせず、悲惨な授業になってしまったことがある。つまり、いくら教材研究を多くしても、それが目の前の子どもの事を想定していなかったり、子どもたちの欲求を満たしていなければ、それは教師中心の自分勝手な授業になってしまうと思う。
以前、私が他校の公開授業を見に行ったあとに、すぐにそれをクラスで実践してもうまくいかなかった。それは、子どもを無視していたからである。
先生方の実践をお聞きしていく中で、子どもたちの声をとても大切にされているなと印象を受けた。
宗實先生は、授業の中で子どもたちに「何をしたい?」と聞かれているそうだ。そういった、子どもたちの「~したい」という思いを私は常に聴くことができているかということを考えさせられた。「学習者主体で」と心の中で思うだけでは、意味がない。それをどのように行動に移していくかが、今後の私の課題であるなと感じた。
③ 私の考える学習者主体
【学習者主体ではない状況】
・教師の言うことを聞かなければ叱られる
・自己選択の機会が全くない
・教師が常に指示をする(子どもが考える機会がない)
・宿題を提出しなければ、罰せられる
・教師から与えられた役割の中で行動する
・いつまでも教師が子どもを引っ張る
【学習者主体】
・教師の考えを超えていく
・自己選択の機会がある
・教師と子どもが共に考える
・宿題も自己選択ができる
・役割というものも自分で決めていく
・教師がいない,教師が黒子に徹する
・教師の単元計画の中に子どもたちの欲求も含まれている
・学年の壁を越えていく
・これだけは、譲れないというものを持っている
いま、考えられるのはこのようなところである。今回セミナーでお話しいただいたことをきっかけとしてどんどん「学習者主体の授業」を具体化していきたいと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?