私の過去⑨~結婚・排斥~
あれからもう...約30年。
こう書いていて、驚きます。
そんなにも月日が経ったんだ...と思います。
私が実家を出て以降、
父親や母親、妹と出会い言葉を交わしたのは、数回だけです。
社会人になってから、数年のうちは、
年末大晦日にだけ、帰省していました。
職場内で、皆が年末年始用のオードブルの注文をする習慣があり、私も注文。
普段全く実家に帰省しない私を見た上司が、
「たまには帰るもんだわ~。親御さんに顔を見せるもんだわね。」と度々言うので、
いろいろ事情があって帰らないんだけどな...と思いつつ、1人で食べるには大き過ぎる代物でしたし、それを理由に持って帰っていました。
案の定、私が帰省したところで父親は出て来ず。
妹と母親が静かめに喜んでくれていたような気がします。オードブルを一緒にひっそりと食べ、私はまたすぐ寮へ帰っていました。
世間知らず過ぎだった私は、社会の荒波に揉まれました。
仕事は真面目に努力して取り組みましたが、
ずっと父親の制限の下で育ってきた私は、きっと普通ならば年齢的に身につけているはずの一般的知識、常識とか、判断力とか、コミュニケーション能力とか、そういう諸々を身につけておらず、多々疎い部分がありました。
大きな劣等感になり、辛く、苦労しました。
1人で生きていくとは大変で、こういう事だったのか~... と思う事もたくさんありました。
ただ、悩みながらでも自分で決めて、自分で選んだ道でした。後悔する気持ちは全くありませんでした。
分からない事は職場の上司や、親戚の伯母に相談しました。
苦労も含めて1つ1つの経験全部が、自分の勉強になる、糧になると、思って暮らしていました。
大変さと背中合わせではありましたが、すべて自分で体験出来る、その事が新鮮で喜びに思えました。
数年後、結婚し、ほどなく子供も授かりました。
結婚を前に、認めてくれるよう、結婚相手と共に両親に話しに行った際、不思議な事に、両親は話しに応じ、反対せず、賛成してくれたのです。驚きました。この時の事は今でも不思議に思います。
子供が産まれ、義理の母の勧め(私と両親の関係は結婚前に話してあり、了承済みでしたが、理解は難しかったと思います。)もあり、実家へ1度子供の顔を見せに行きました。
その時は父親も母親も、私が高校生の頃より、柔軟になっていたのでしょうか、それとも私の主人が同席していたからでしょうか、孫にあたる私の子供を抱っこして嬉しそうにしてくれました。私も嬉しく、記念写真を撮りました。
でも両親は、宗教組織への忠誠心からか私が帰省して来た事や現状を宗教組織に報告したのでしょう。
後日、両親から連絡があり、会衆内で有耶無耶になっていた私の処分が決まり、排斥になったから、という事でした。
もう会えないので、実家に帰って来ないでくれ、という事でした。
宗教の信者でない人と結婚した事が理由になったようでした。
私にとっては、ごく普通に結婚相手と出会い結婚し子供に恵まれ本当に有り難い事でしたし、
私は宗教組織からは、とうの昔に脱退し、しっかり離れた気持ちでいたので、排斥と言われても、何を今ごろ...?と思いました。宗教組織側の勝手な決まり事だと、全く気にはしませんでした。
内部の事情はもう分かりませんでしたし、その辺りについて詳しく知ろうとも、知りたいとも思いませんでした。
私に処分を伝える両親は、もしかしたら複雑な心境だったのかもしれません。
でも結局は、以前と変わりなく、やっぱり私より宗教のほうを選ぶんだなと、やっぱり私より宗教のほうが大事なんだなと、そう思わざるを得ませんでした。
親を慕い近づこうとして、理解されず、または拒絶され、傷つく。
以前に何回も何回も、それは経験した事なのに、また私は、同じ事を繰り返してしまいました。
もう、わかっていたはずなのに...。
両親は、中庸をとる事も出来ないのか...いい塩梅で時々会う事も出来ないのか...。
以前と同じ、自分で考えて気持ちで行動するのではなく、宗教組織から右と言われたら右、左と言われたら左、そういう事だなと思いました。
両親からのその連絡には、平常を装いつつも、私はやはり内心は、傷つきました。
両親は、私がどう言おうと、いつも宗教組織の指示に従うのだから、宗教組織側に立つんだから、それならそれでいい。わかった、わかった、私は平気。
別にもう、会いに行かない。行きたくない。
そう思いました。
以前の傷が癒えかけていて、そこが再度傷つくというのは、以前より深く傷つくのかもしれません。
私の両親には、そうなんだね、わかった。とだけ返事をして、電話を切りました。
主人も、義理の両親も、私の両親の行動に驚いていました。
最後に連絡があってから数年後だったでしょうか。母親から、排斥処分の年数が経過したから、会いに来てくれて構わない、というような内容の手紙が届きました。
その時の私は、手紙を読んで、真っ先に怒りの気持ちが湧きました。いったいなんなの、馬鹿にしないで と思いました。
何年も前に離れて、私が信じてもいない宗教側の勝手な言い分で、もう会いに来るな、帰って来るなと言っておいて、その排斥処分の年数が経ちました???帰って来てもいいですよ???
なんなのでしょう、人の気持ちをなんだと思ってるんでしょうか、無神経さにも程がある、
本当に私の両親は、人の気持ちというものが本当に、
これ程までにわからないのかと、
父親に対してもでしたが、こういう連絡を淡々としてくる母親に対しても嘆かわしく、私は怒り心頭でした。
心底、理解出来ませんでした。
今度は自分から近づいていないのにも関わらず、それなのにまた再度傷つけられた、そんなふうに思いました。
やっぱり、関わり合うと、必ず傷つく。
そう思いました。
私自身が、仕事と子育てと主人や義父母との関係などで日々忙しく、余裕がなかった時期でした。
母親から届いた手紙は1度読み、もう2度と読みたくもないと怒りと共に破り捨ててしまいました。
実家に帰る気、会いに行く気など、もうありませんでした。
もう子供も見せたくない。
1度連れて行ったのだからあれで十分。
子供に宗教の教義を伝えられては本当に嫌だから、もう会わせたくない。
会いになど、行かない。
どうしようもなく、拗らせに拗らせ、
頑なにそう思っていました。
その怒りは日々生きていくエネルギーになりました。
私は自分の両親の姿を反面教師にして、子育てをしました。
私は両親のようには絶対にならない、そう心に決めて子供に接しました。
⑩に続きます。
お読み頂き、ありがとうございました。