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自分の気持ちを声に出して話す事①~話せないのは自己不在の無自覚と恐れや不安から~



(※記事の途中に喧嘩や言い合いを表現している部分があります。フラッシュバックする可能性がある方は読むのをお控えになってください。)


いつの頃からか、私は自分の気持ちや考えを、言葉にして、声に出して、話すという事が、苦手だと思うようになりました。
しばらく前から、この事との向き合いをする事を、避けては通れないと思っていました。

なぜ、私は、声に出して、言葉を話す事がこんなにも苦手意識なんだろう、出来なくなったのだろうと考えてみました。
話しが出来ないという事は、私の対人関係に密に関係していました。(対人関係が長続きしない事や、話すとなぜか相手に誤解を与えてしまう事等)
ずっと今まで、自分はそういう話す事が不得手な人物だと、そういうタイプだと思っていました。
でも、よく考えると、小学生の途中の頃までは、元気にどちらかというと明るくよく話してもいた...、と思い出しました。
なにかきっかけがあって、そういうふうに変わってしまったのか、自分の中にある、話せなくなった原因や理由を今まで探る事はして来なかったな...、と思いました。
自分の内側を見つめてみようと、何かに気づけるかもしれないと思い向き合いました。

私は声に出して話す事が出来ない...、話す事が苦手...どうしてだろう...と、静かに自分に聞きました。
自分の内側から、
「言葉にするのが怖い、...人を傷つけるから。」
という返事が、声に出て返ってきました。
自分にこうして問いかける時、横になってゆっくり休みながら自分の内側に訊ねる時もありますが、この時は日常の家事をしながら、スローペースで動きながら問いかけていました。
そうだったのか...と、自分で思いつつ、そう思ってしまった、何か出来事があっただろうか...と、ゆっくり、過去のいろいろな時を振り返りました。


幼少期の頃、父親が入信した頃、夕食の食卓で、父親と祖父が掴み合いの喧嘩をしている場面。大きな声。皿や箸が飛んで落ちる音。2人を止める祖母や母の声などを思い出しました。
言い合いが始まるといつも母に促されて私と妹は奥の部屋に行き、喧嘩が終わり、静かになるまで、母が迎えに来るまで、その部屋にいました。子供心に...怖かった、感覚でした。
喧嘩の後、父親は頭を冷やす為か庭に出て、時になかなか戻って来ませんでした。父親がどこかへ行ってしまうのではないかと心配でした。母親が迎えに出て、その後内側から玄関の鍵が閉まる音を聞いて、父親が家の中に戻ったと感じて、安心しました。
時々父親は顔にケガをしていて、そのケガをした父親を見て、幼心に急に悲しくなって泣いた事がありました。
思い出していく時、途中から、自分をしっかり自分で抱きしめて、怖かったね、大丈夫だよと。もう今は大丈夫、もう今は怖くないよ。不安だったね、大丈夫だからねと。我慢してたんだよね、ごめんね、ありがとうね。と自分に声を掛けて、落ち着いて、思い出していきました。
どうしてこの事が思い出されたのだろう...と思いましたが、怖さや、不安を感じた記憶だったから、自分の中から浮かんで来たように思いました。

それから、小学4~5年生の頃に、仲の良い友達と喧嘩をした記憶。私が言った言葉で、友達がショックを受けて泣いてしまい、その子を傷つけてしまった...という場面。それからその事で、まわりにいた友達から責められて、自分の弁明は言えずに私も泣いた場面を思い出しました。
その後、私が謝って、すぐに仲は戻りましたが、
私の中では、この出来事で、私は何か言葉に出すと人を傷つける...、と。
私は自分の気持ちを言葉にして外に出すと、相手を傷つけてしまうんだ...と、だから何も言ったらいけない...。と、思った事と、
私はいい子の私でいないと、まわりの友達から責められてしまう...と、
まわりのみんなから責められたら孤立してしまう、私は学校でも1人になってしまう、そうなったらやっていけない... ...と、思った事を思い出しました。
思春期による変化もあったと思いますが、私は学校でも大人しくなり、クラスメイトからは○○ちゃん(私)変わったね...と言われていました。
感じとった、不安、怖さ、恐れ、の気持ちから、そうしないと私は学校でやっていけないと思い込み、自分で自分を守る為に、まわりに合わせるように適応したんだと思います。


上記が理由の全てでは無いとは思いますが、この頃に起きたこれに類した事が、私が自分の感じた気持ちをそのまま言葉に出してはいけないと。私が言う言葉は人を傷つけてしまうと。私はまわりとの調和の為にまわりに合わせなければいけないと、強く感じた原因だったと思います。


そうしなければ(生きて)いけないと思って、自分の気持ちを抑圧し、外に出さずに過ごす事に慣れて、自分の本当の感情に自分で気づけなくなって長い間過ごしてしまった影響は、大人になってからの生きづらさになりました。
生きづらさの1つが、自分の自然な気持ち、本当の気持ちを、言葉にして、声に出して相手に伝えるという事が出来ない、という事でした。
なぜ、話す事が出来ないか...、私の場合は、
1つは、'確立された自分'が無かったからです。まわりに合わせる言動がもう普通の事、当たり前の事、だったので、'自分'がわからず、自分の内側に本当の自分がいる事も本当の気持ちがある事も、気づいていなかったからだったと思います。
何か感情が湧く(本当の気持ち)と、同時に、その感情を打ち消す相反するもうひとつの感情も湧いて、どちらが自分の本当の気持ちなのか?と、わかりませんでした。どちらも、自分の中に湧いて、自分が思っている気持ちなので、相反するどちらの気持ちも自分の気持ちでした。'自分'と'自分以外の人'の境界線は意識した事がありませんでした。
自分の気持ち(本当の気持ち)を感じると、同時に、その場の調和を考えて、その気持ちは相手やまわりの人にどう思われるか?、どう影響を与えてしまうか?と、自動的に、考えてしまう。
まわりの不調和な空気や、誰かと気持ちの対立が起こる事や、まわりに批判や否定される事を極端に怖がっていました。
まわりを優先し、まわりが平穏な事が自分自身も平穏で、ホッと安らぐ気持ちでした。まわりを優先する事が自分も安心で安全だったので、それで良いし、それが良い、と思っていたので、この頃は、自分で自分の本当の気持ちがわからない事の、それよりまだ手前の、何の疑問も持っていない状態。
'自分'が無さ過ぎて、気づいていない、状態だったように思います。気づいていないから、話しようが無い頃でした。
時々感じていた、不足は無いはずなのに、何故か...少し苦しい、何故か...少し辛い、という気持ちが、生きづらさの種で、少しずつ育っていったように思います。


そして、なぜ話す事が出来ないか...、もう1つは、
自分がある程度年齢を重ねると共に、気持ちのブレが減り、ある一定の自分の気持ちを持ちました。ですが、その気持ちを、正確に(相手に誤解を与えずに)伝わるように話す事自体が、出来なかったからです。
なぜか些細な他愛のない話しでも、私の意図と違う伝わり方をしてしまう事が多くあり、自分なりに話し方に気をつけて話しても、相手に誤解を与える事が多かったので、私は相手に正確に伝わるように話しが出来ない...と、的確でじょうずな話し方が出来ないと、
技術的に、出来ない...。と思いました。
自分の気持ちを、最適な言葉で正確に表現が出来ないから話せない。話すスキルが自分に無い事が悩みで、大きな辛さでした。話せないから話せない...、と苦しんでいました。


幼少期や成長期に、そこで生きていく為に(そう思い込んで)身に着けてしまった事。まわりにばかり気を配り、まわりの人の気持ちを察し、自分の本当の気持ちには気づかず声に出さず、大人になってからもそのまま過ごしていたので、
自分のいろいろな感情、気持ちを、声に出して話すスキルを、育てられていませんでした。
自分以外のまわりの人の事や気持ちならば比較的流暢に話せても、自分の気持ちや言いたい事となると、話そうとした瞬間に言葉が詰まり、頭の中は停止し、言葉が声になって外へ出なくなり、苦しみでした。
相手が待っているから、こちらから言葉を返さなくては。でも、すぐに言葉が、声が出ない。でも話さなければ。
苦しみながら、焦りながら無理やりに出した声や言葉は、その時に言いたかった言葉、言いたかった気持ちとは違う時が多々ありました。
自分が発した言葉が、自分の意図とは違う言葉だから、相手の誤解を招く事は、自分のせいでした。
すぐにその誤解を解こうと伝え方を言い直しても、相手は怪訝な表情になる。誤解を解く事が出来ない場合もある。
意図せずに発生した誤解で、時に相手を傷つける事になったり、そのせいで、私自身も傷つく事になりました。やっぱり私が何か言葉を発すると、人を傷つける。そして自分も傷つく。そう思いました。
それが繰り返され、私は自信喪失し、益々話せなくなり、まわりから私は、何を考えているかわからない人と思われ、悪循環になり、人間関係に影響が出ました。


自分の本当の気持ちを話すのが恥ずかしいから、隠したいから話せないという気持ちはありませんでした。
むしろ逆で、自分の本当の気持ちを話したい、誰か聞いてほしい、という切実な思いで、意識的に気持ちを外へ外へと言葉にしようと思っても、
どうしようもなく苦しいからすべてをさらけ出したいと思っても、言いたくても言う術が無い苦しみでした。
自分の事なのに、この自分自身の気持ちなのに、自分で相手に伝わるように話す事が出来ない。年齢を重ねていながらも話す技術が無い事に対して、どうして私はこんななんだろう...という気持ちや劣等感がありました。
努力して、克服したいと思いました。
でもそれは、それまで長い年月してきた生き方とは真逆の事で、容易には行えない事でした。
それはそうだと、今はわかります。


ただそれがまだわからない頃、親しい友人に、自分としては真剣に相談してみた事がありました。
ただ、その時には、誰にでも悩みはあるよと。

(自分の事を鬱っぽいと思うと相談した時には)

『本当に鬱の人は、自分で鬱とは言わないよ...』

と言われ、私は...そうだよね...と言ってその場をやり過ごしましたが、内心はかなりショックを受けてしまいました。
きっと友人は、そんなに深刻に考えないでという気持ちで、そう言ってくれたのだろうと思いましたが、私の話し、私自身の話しは、他愛のない些細な内容でも、真剣で深刻な内容でも、
やっぱり伝えたいありのままに伝わらない、
私は相手がわかるように話す事が出来ていないのだろうか...、
相手に伝わっていないという事はそういう事なんだ...、
私は、相手がわかるように話せていないんだ...、
相手に理解してもらえるように話せないんだ...、と思いました。思い込み、途方に暮れました。
今思えば、この時に、医療やカウンセラーを頼ったらよかったのかもしれない...と思います。でも、この時、...私は...行けませんでした。


辛さの極み(2020年秋)で、実際に医療やカウンセリングも検討しました。検討はしましたが、その頃は、精神的苦痛が増していて、私は、自分の気持ちを、自分の心の細部を、医療者やカウンセラーにさえ、もう正確に誤解を与えずに、声に出して、話して伝える自信がありませんでした。とても高いハードルに思えました。
私は自分の気持ちを話す事が出来ない...。
きちんと伝えたいように、相手に伝わるように話せないから、きっと理解してもらえない...。怖い...。と思っていました。
怖いから行けない...、怖いから話せない...。
話せないから怖い...、理解してもらえないから怖い...。
仮に受診して話したとして、もしも伝わらなくて、やっぱり伝わらないとショックを受けたら、今までの生きづらさの苦しみのそのまた上に、どんなに話しても誰にも理解してもらえない、そんな苦しみが更に加わる事はもう耐えられない...、死んでしまう...と、恐怖のように思っていました。
そして、この頃は、理解されずに誤解される事。
誤解されると、攻撃を受けると思い、恐怖でした。その攻撃をして来る、人を恐れていました。...人が...怖い。という気持ちで、外に出られませんでした。
その時は、恐怖から、自分で自分の心身を守る事で精一杯でした。
引きこもり、とにかく自分の心身を休め、眠り、数ヶ月、過ごしました。自宅内で、行えた事だけ、していました。無理はもう出来ない...と、人生に降参し、もう流れのままに任せようと、流れに任せるしか出来ない...と思いました。


その後、私の場合は、今の仕事と出会い、自然に触れる事で癒されていき、少しずつ心身回復していきました。その後、今に繋がっています。
そして、私には、この向き合いが、自分で自分を治す事(心を楽にする事)に、繋がっていたと思います。
もちろんまだ、完治には至っていない現時点ですが、自分と向き合い、気づき、考察し、こうして書く事で、自然と私は、自分で自分を癒し、治そうとしていたんだ...と、思いました。
あくまでも私の体験でした。今は、全受容しようと思っています。本当に辛く苦しい時、自分の事も、誰の事も信じる事が出来ませんでした。学びだったと思います。
全て、私に必要だった学び、そんな気がしています。
沢山間違っていた(生き方だった)かもしれませんが、でも、頑張ってきたね...と。精一杯生きてきたよ、と。いいよ、いいよ、大丈夫...、よく頑張って生きてきたよ...と。自分だけは、自分にそう伝えたいと思っています。





最後までお読み頂き、ありがとうございました。







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