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私のジャーナリング①~事実を見て偏りに気づく~
2023年12月。恐れの感情のため、怖くて行動出来なかった私でした。
同時に、自分を信じて継続して取り組んでみよう…と思い、焦らずゆっくり、自分と向き合い続けました。
生まれて初めて、本当の意味で自分を大切にするという事を学んで、
目の前に起こる色々な事象、1つ1つを丁寧に見て、まずは自分に優しくして、許し受容して日常生活を送りました。
約1年後、心の摩擦が軽減していて、心に無理をせずに行動出来ていた自分がいました。自分自身、静かに、驚きました。
取り組んできた自分自身と、
そして目に見えても見えなくても今の私と繋がり、私に関わってくださった(くださっている)方々、
協力して支えてくれた(くれている)家族やまわりの方々に、心から感謝をしました(しています)。
少し前から、グループで学び始めました。
自分1人では、自分を知る事や、興味を持った分野を探求する事に限界があると感じたので、参加してみたいと思いました。
グループ内での事や詳細の記載は出来ませんので、書いているのはあくまでも私の体験を通した、私の気づきです。
考えて、記事にまとめて書く事がやはり難しく、
今日は、ある日の私のジャーナリングを載せてみようと思いました。
感じて書きとめたままなので、断片的です。
私の持つ特性が現れている事も自覚しています。
読み返して少し言葉を足しました。
私にとっては、大きな、大事な気づきがありました。
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《ジャーナリング》
帰り道から、なんか、もやもやしてた。
私の発言は、〇〇ちゃんを傷つけたかなぁ?…となんとなく気になってた。
でもそれは、〇〇ちゃんに失礼なのでは?
私が傷つける側(上) 、〇〇ちゃんが傷つく側(下)みたいな…😱
そう!無意識に、なんか、そんなような感覚
を持っていた自分にショック。
気づいた… 。それで、もやもやしてたんだ。
グループワークは、対等な場。社会の縮図。
社会は対等なんだ、本来は。
だけど、それに1人1人の意識?とか、無意識に、
意識的にも?色々くっつくから、
対比が生まれて、
カースト(社会的階級、地位) や、ヒエラルキー(階層組織、身分、上下関係)が、そういう意識が、生まれるんだ。
本来は、カーストもヒエラルキーもないのに。
平等で中庸、ニュートラルだから。
あれ、いや、でも、現実社会にはそれらが存在してる。… … …
誰もが、それぞれの人生で様々な体験をしていて
、1人1人の捉え方や、価値観を身に着けて、持って生きてる、当たり前のこと…。
これが現実だわᔪ(°ᐤ°)ᔭᐤᑋᑊ̣(現実)
これが現実 …
あれれ、私は現実を直視しないといけないってこと…???
「そういう現実があるでしょ」(内側の私が言った)
という事は、
逃げたらいけない事実、
見ないといけない事実、という事か… …
私、見たくないのかな…
見たくなかったのかな…
戦いや、争い事になるのはいやだな…
そうだね…戦いや争い事になるのはいや。
現実社会に溢れてる、
小さくても、その元になりそうな、捉え方の違いを感じたり、直視するのは苦手。 …
…触れたくない。
…そうだね。そういう、私だね。私だったね。
でも… 、それは …、ただの違い、だよね。
人によってそれぞれある、ただの部分的な違い。
部分的な違いはあって当たり前で、
あっていいもの。
少し前に、気づいたこと。
腑に落ちたこと。そう。
違いが、
戦いや争い事になると、怖がらなくていい…。
人の意識。個々の捉え方。
受け止め方。受け取り方。
自由に、様々あって、
ただ、それらに偏りがある事も事実で。
その、それぞれ1人1人が持つ偏りと、他者との人間関係で、苦しみが生じたり、生きづらさが生じるんだ。
という事は、
「偏りに気づいて、修正し、調整し、中庸へ」
もしかして、現実社会の中にいて、
偏りを身に着け、持っていたとしても、
「それぞれ個人が、それぞれが中庸な自分になる」
少しずつでもこう出来れば、
例えば、誰もが、生きづらさを感じた時、
軽減出来るという事かもしれない。
②に続きます。
お読み頂き、ありがとうございます。