水村美苗さん「大使とその妻」
・真面目に働いて、人に優しくできたら・・・ちゃんとした日本人ですよ
・日本には宗教がない。その代わりに日本文化というものがある。
軽井沢-追分・ブラジルを舞台に、日本で長く暮らすアメリカ人ケヴィンが、元外交官篠田とその妻貴子と隣人として過ごした4年間の思い出を振り返り、日本語で手記を綴るという設定ではじまります。
上巻の「さらなる衝撃」で、満月の月見台で能を舞う貴子に魅了されるケヴィン、下巻に入り、ブラジルで生まれ育った貴子が10代で山根書店に預けられ、育ての親である八重や「六条の御息所」こと北條瑠璃子に見守られながら、いかにして日系ブラジル人として「日本文化」を学んできたかが描かれるあたりから物語に引き込まれます。
最後に、貴子がケヴィンへ宛てた手紙を読み終えた後、ふと水村さんが1996年から1年4ヶ月の間、朝日新聞紙上で辻邦夫さんと毎週文学作品について往復書簡を交わした「手紙、栞を添えて」を思い出し、再読したくなりました。
「手紙、栞を添えて」のプロローグ最後の手紙(水村さん→辻さん)で明かされる設定は驚きで、今でも印象に残る作品です。
この中で水村さんは「日本の読者」について言えることを2点記載しておられ、2点目を水村さんは「悲劇」と呼びます。
日本の読者は・・・
①はばひろく西洋の近代小説の古典(ことに十九世紀の近代小説)に親しんでいる。
②一方、自分たちの言葉である、日本語で書かれた古典とは遠くなってしまっている。
文学というものは、そのもっとも基本において、過去のテクストとの対話にほかならない
日本語の文学の命。それをより太いものにするため、日本語を読み書きする人間として、このさき何ができるか。ー悲しいかな、具体的に言葉にすると「古典の復活」といった、鼻じらむような空々しいスローガンしか頭に浮かびません。ただ、何ひとつできることがないとは思えないのです。・・・
「手紙、栞を添えて」から30年弱経過し、「古典の復活」というスローガンに対する一つの結実と言える「大使とその妻」は、日本文化を愛するアメリカ人が日本語で、しかも百人一首をところどころ散りばめながら手記を綴るという形式がなんとも皮肉な感じがします。
ただ、そんなことよりも、最後のシーンで貴子とケヴィンのメールによる往復書簡は、かつて辻さんと水村さんが交わした往復書簡同様、相手をおもんばかる「心と心のやりとり」が再現されており、これこそが日本文化の良さなのではないかと感じました。
「大使とその妻」上・下 水村美苗
新潮社/2024.9発行