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疲れてる人の文章を読みたい方におすすめのnote
真摯に向き合う。
丁寧に、相手を思いやり、その活躍に添えるように、私ができることをする。
好きなことに、やると決めたことに妥協しない。
常に自分のベストを尽くしたい。
そうやって考えている私は、職人気質だった両親の遺伝子をちゃんと継いでいるのかもしれない。
お前はすぐ飽きるから。
お姉ちゃん、続かないもんね。
やっつけ作業が多いのよ。
そう言うかつての家族達は口を揃えて私に言った。
確かにそうなのだ。
飽き性だからアーティストのファンクラブ、年会制に入るのは危険だし、お手伝いでしていた家事なんてとくにやっつけ感ある(あ、家事は今もか笑)。
でも、もうかれこれずっと言葉と向き合い過ごしているから、このことに関しては例外であると胸を張って言いたい。
私は、やると心に決めたらちゃんと継続してやっているよ。
息んだり緩んだりしながら、小説だって絵本だってかいているし、字書きの仕事も今軌道に乗りつつある。
まだ生活とのバランスが不安定で、時にどっぷり空想に沈み、時に読ませるための文章を書いて、溢れんばかりの感情を、自分のために言葉にしてこうして書いている。
だから、同じ目線でいられる人といたい。
話ができる人といたい。
「高校は実力相応の学校に行きなさい。その方が、付き合う友達に恵まれるから」
あながち、今になってこの言葉が伝えたかった真意を肌で感じている。
同じ目線で物事を学ぶ人。取り組む人。考える人。
やや強引にも思うけど、当時、恩師は価値観の合う人の集まる学校を選べと言いたかったのかもしれない。
小中と、私が通った学校という場所は、選べなかった。
選ぼうと思えばできたけど、そうする条件が提示されたこともないしすることも考えていなかった。
だから、選べるのなら私に合う場所に行きなさいと。
そこで羽ばたけって行きたかったのかなと。
こじつけかも知れない。
私が恩師に対する思いが美化されすぎた結果なのかも知れない。
でも、今はこの言葉にすがりたい。
私の感覚と合う人といたい。仕事がしたい。書くことに力を注ぎたい。
言葉に沈んで眠るように。
言葉の降り注ぐ朝に目が覚めるように。
ずっと。
そんなことを考えていたら、少し病んだ。
ネガティブな気持ちになることが多い。
そういう時は決まって言葉は溢れ出す。
見てくれている人にとって、決して楽しいものじゃないと思うけど、時々読みたくなりませんか。
疲れてる人の文章。
ここは私の家であり、部屋なので。
そういう日もあって、違う日もある。
みんなそうでしょう?
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