今日という日にさようなら
あんまりにもひどい頭痛も肩凝りに吐きそう。
あずきさんで肩と目を温めて、痛み止め服用。1度目はイブ。2度目でロキソニン。
早い段階でロキソニンにしておけばよかったと後悔したところでもう遅い。
なんなら今、全然楽になってないからロキソニンでもダメなんだろうけど。
雨予報ではなかったと思っていたけど、原稿を書いていてふと窓の外を見たら、雨粒がガラスにたくさん付着していた。
それもけっこうな勢いある付着の後。
慌てて開け放した窓を閉めて、洗濯を取り込んだ。浴室乾燥機でさくっと乾かす。
なんなら最初から浴室乾燥機で乾かせばよかったなあと肩を落とした。
この前行ったカウンセリングのあと、剥がされた瘡蓋の下の傷が疼く。
誤解を恐れずに言うと、別に相手のことはもうすっぱりいけたのだ。私の中で首の皮一枚つながっていたそれすらも分断された。
だから、楽にはなったのだ。
確実に、確かに間違いなく。
でも、長年傷ついてきたことすらわからずに過ごしていた幼い自分の心の痛みが、疼いている。
もうどうにかしようという段階は過ぎていて、なんならこれからは私が私を幸せにすると決めたのに。
割り切れたつもりが、どうしても親という存在からの無償の愛が捨てきれずにいるのだと思うと、なんだか情けない気持ちになった。
人間って難しいなあ。
でももう、これは私の中での問題なので、時間が癒してくれるでしょう。ときには私が見つめることで改善していけると信じています。
無数の雨粒の中に、誰かの悲しみが、悔しさがつまっているように見えてきた。
やり場のない感情の詰まった水滴がギャロップのけたたましい足音のように過ぎ去っていくのを感じて呆然としながらも、思う。
例えば、川に流す葉の船に乗せれば心の空気孔を塞ぐ蔓延った感情が浄化されるとか、
風船にくくりつけて飛ばしてしまえばいいとか、
メッセージボトルに託せばいいとか、
蔓延る感情に埋もれてしまった人たちは、そうしたことを自分で考えられる余裕がないくらいに余裕がないのだから、その突破口があるといいのになって。
それは私も例外じゃない。
悲しい。
今とてつもなく悲しくて、心が泣いている。
誰かの声を聞きたくて、
誰かの言葉にあたたかくなりたい。
マッチ売りの少女が小さな灯火を大切に囲うように、宝物みたいに、抱きしめたい。
しんしんと積もる肩の重さ。
背中の硬直。
涙の軌跡。
痛みが閃光のように走るこめかみを抑えて、小さくため息をついた。
これすら瓶に閉じ込めてやりたい。
どこかへ放流するのだ。