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淡く純粋な恋心、お守り石に封じ込めて
「中学で待ってるから」
あの日は雨でもなかったけど、やっぱりこのくらいの時期だった記憶がある。
先輩が卒業し中学生になって校内で会えることがなくなってから少し。偶然。本当にたまたま私の通学路に現れた先輩は、私にそう言ってくれた。
子どもながらに、初めてその人の特別になりたいと思った2つ歳上の先輩。
私の通っていた小学校は部活動参加が強制で、4年生になるとどの部活動に所属するかを決めなくてはならない。
人数が少ない過疎化の進んだ田舎の学校だったのもあって、部活動は陸上部と吹奏楽部、そしてボランティア部活動の3つ(バスケ部もあったが、これは引き抜かれない限り選ぶことすらできない)。
選ぶにしても随分と大雑把なジャンル編成。私は運動音痴だし、何よりクラスにいた両親がスポーツ関係で活躍していたクラスメイトが陸上部を選んでいたのもあり、なんだか気圧されて私は吹奏楽部を選んだ。
あとは単純。仲の良い友達とやっぱり運動は(周りが実力派ばかりで結果がだせなくて)やだよねって話をしたことと、普通なら触れることのできない種類の楽器と過ごせることが決め手になった。
吹奏楽部に入部し、めでたく担当になった楽器はユーフォニュームという金管楽器だった。本当は木管楽器のクラリネットやフルート、サックスなどに憧れを持ちそちらを志願したけど、私がユーフォを試し吹きをした際に顧問の先生が「この子はこれ(ユーフォニューム)だな」と即断即決された。あっという間の出来事だった。
ユーフォニュームパートを担当していた生徒は私を含め3人。4、5、6年生で各1人ずつで編成されていた。
同級生がいないことにとんでもなく不安になったし、しかもその5、6年生(いずれも同性)がまた部活動の掛け持ち(なんと引き抜きされて2人ともバスケ部!)をしていた。つまりは、毎日毎時間吹奏楽部の活動時間に2人はいないのである。
そもそもユーフォニュームというはじめての相棒。まだ運指もわからない上に楽譜も満足に読めない。ヘ音記号とはなんぞや状態。
そんな我々新入部員のために、顧問の先生は頻繁にパート練習の時間をとってくれるのだが、悲しきかな、同じパートの先輩方はいつもバスケ部に顔を出していて不在だった。
ひとりぼっち。
抱きしめたユーフォニュームに移る自分の顔の情けなさにまた泣きなくなる。
そんな私に気付いてか、先生は同じ金管、低音楽器であるチューバパートの人たちと練習するようにと指示した。
ユーフォパートと同じく、4、5、6年各1名ずつの3人で編成されるパート。違うのは、全員が男であるという点。その最上級生。それが、のちに私が想いを寄せることになる先輩である。
「運指もわかんないのか。じゃあ(ユーフォの6年)に言っとくよ。ちゃんとそこはしてやらないと今後困るもんな」
ものすごく面倒見がいい6年の先輩に、
「ほらそこ。また音切れてる。腹に力入れて」
整った顔立ちがかえって怖い。口数少なく、嫌われてるのでは…?とびくびくしていた私。吹奏楽部のパート練習以外に喋ることはないが、むしろこの時間だけはいつも気にかけてくれてた5年生の先輩。
「おばさん、本当へたくそ」
こんなこと言うくせに意外と基本的な礼儀マナーはしっかりしてる憎たらしい同級生(4年)。
ムカつくけど、この同級生がいたおかげでチューバパートの先輩たちに溶け込むことに時間はかからず、私にとって、パート練習は孤独ではなくなった。
先輩は、同じ6年生の同級生からも慕われるようなしっかり者で、いつも男女問わずひとに囲まれていた(先輩の助言があったのか、あのあとユーフォパートの6年の先輩が運指諸々の表を作ってくれた)。
2人兄弟のお兄ちゃんらしいことは、パート練習の時間に話をして聞いていた。
あんなお兄ちゃんならぜひ私も欲しいと常々思っていた。何せずっとお兄ちゃん(お姉ちゃんではなく、お兄ちゃん)が欲しかったのだ。
「お願い!お兄ちゃんを産んで!」そう何度も母にお願いするくらいには。事実、今思えばだいぶ無謀なことを母に言っていたと思う。
そんな先輩が、ある日吹奏楽部に顔を出さなかった。朝はいたのに何でだろうと不思議に思い、チューバ担当の同級生に尋ねた。すると先輩、ボランティア部にも所属しているらしい。しかも部長。
そこから私の行動は早かった。
すぐさまボランティア部の掛け持ち入部を申請した。活動内容なんてまったく知らない。知らないけど、きっと先輩と一緒なら大丈夫でしょ!と謎の安心感を持って飛び込んだ。それくらい、信頼していたんだと思う。
ああ。これ恋だな。
そう自覚するのも早かった。
「お、いらっしゃい。一緒にがんばろーね」
「そっちぬかるんでるからこっち歩きな」
今思えば、こんな小学6年生怖い。女の子の扱いができすぎてる。今なら逆に警戒してしまうか、それこそ少女漫画の世界の話だろうとフィクションにしたくなるところだけれど、これはノンフィクションなのだ。
先輩はとにかく私を女の子扱いしてくれた。
クラスの男子は子供で幼稚で(なんならチューバの同級生だって子供で幼稚だと蔑んですらいた。ごめんほんと)、男子はなんで歳が同じでもこんなに話が合わないのか…とすごく冷めてみていた。
この頃から、同性も異性である男性も、歳上の人との方が落ち着いて話ができること、加えて博識だったり物知りであることがなんとなく肌で感じて、気がついたら用務員の方(女性)や、それこそボランティア部の顧問の先生(男性)に多大なる信頼を置いていた。
そしてまたその人たちと関わる機会を作ってくれた先輩には、もう信頼なんて言葉じゃ言い尽くせない熱のある眼差しを向けていた。
「しっかりしてんね」
そう言って頭を撫でられた私は、完全に落ちていた。でもこれで落ちないひといる?恋は盲目?フィルターかかりすぎてたのかな。でも、そうだとしたら紛れもない証明になる。これが恋だと。
先輩が好きだと自分で認めてから、私はうまく接することができなくなった。曖昧な距離感に、先輩が気がついていたかはわからない。
伝えようか、やめようか。
そう思い悩むことが日ごと増える。増えれば増えるほど、実らなかった後のことを思う。
先輩と過ごせる時間はゆうに1年を切っている。大切にしなきゃ勿体無い。うまくいってもいかなくても。もしうまくいかなくても、逆を言えばそれだけの期間、耐え忍べば先輩は卒業する。顔を合わせることはなくなるー。
そんな私を知ってか知らずか。
6年生である行事の修学旅行から帰ってきた先輩は、私にお土産をくれた。朝の部活動のあとにはい、なんてさも当然のように渡されて、もうそれだけで有頂天になる。
教室にもどり朝の会の前に封を開けてみたら、綺麗な淡い桃色。まるで見透かされたのではと思うくらいの、私の心の色だった。
恋愛成就の守りを司る石のキーホルダー。なんてことない、今じゃお土産屋さんのどこにでもわりとあるもの。でも、それだけは、先輩からもらったそのお守りだけは特別以外の何でもない。
今の私なら、想いを伝えると思う。でも、いくじなしで弱虫で、傷つくことが何より怖かった私は、溢れんばかりの先輩への想いを抱えたまま先輩が卒業し去るその背中を送り出した。
冒頭の台詞は、その後に先輩と話をしたときのもの。私は、ずっとずっと、早く中学生になりたくて毎日毎日祈るように過ごした。その手の中に眠るお守りはいつだって私の心の色を讃えていた。
先輩が今どうしているのか、私には知り得ない。ただ人伝てに大学で知り合った女性と長く恋人同士であったことを聞いていたから、もしかしたらその方とご結婚されたのかもしれないし、していないかもしれない。…どちらにしても幸せになってくれていたらそれでいい。
実家の私の部屋。
先輩への想いは置いてきた。
いくら子どもの頃の話といえど、なんとなく、結婚して新たに寄り添う夫の傍らでそれを持っているには、とても大切で、繊細で、優しく、悲しい。淡く純粋な恋心だったから。
私の部屋の窓辺に、そのお守りは今も朝の陽の光をあびてきらきら輝いている。
あの日通学路で出会った先輩を見つめる私の瞳みたいに、きっと。
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